ヨコオタロウ氏:インタビューより。ゲームは消費し尽くされている | みらいマニアックス !

ヨコオタロウ氏:インタビューより。ゲームは消費し尽くされている

4Gamerによるヨコオタロウ氏のインタビューより抜粋:

「最近のゲームって,パッケージを見ただけでどんな内容なのかなんとなく分かりますよね。商品だから,なるべく購入者の不安を取り除こうとするのは分かります。でも僕は,昔のゲームのわけの分からない雰囲気が好きだったんですよ。子供がなけなしのお小遣いをはたいて,クソゲーを掴んで……。あのショックや驚きは,僕の中で本当の意味での“冒険”だったんです。

「それが,今では何を買っても大体は安心して遊べますよね。期待している面白いゲームを買ってきて,期待通りに楽しむ……。この心地良さが,僕の中ではすごく不快なんです。やる意味がないというか……。僕の中で,ゲームに飽きている部分がある。その“飽き”の根源は,ゴールが分かってしまっていること。どんなことでも結果が最初から見えていたら,面白くないじゃないですか。


「今ゲームの売上が芳しくないのって,景気が悪いとかじゃなく単純に「消費し尽くされている」だけじゃないかと思うんですよ。海外のゲームが売れていると言っても,本当に新鮮で魅力的であれば,もっと日本人も買っているはずじゃないですか。

「でも,そうはならない。ゲームに対する諦めのようなものがモヤモヤと出てきていて,それがすごく嫌なんです。ゲームは自分が生きる場所なので,ボンヤリと指をくわえて見ていたくない。やれる範囲で,変なことをしたい。でも単純にダークな展開とか,変なエンディングを繰り返すのも意味がないと痛感していて。


NS: dualshockers  「見えない壁」に取り囲まれたゲーム業界への想い。ヨコオタロウ氏が「ドラッグ オン ドラグーン3」やゲームの未来を語ったインタビューを掲載


みらい的コメント:


ゲームを取り巻く壁についてのヨコオタロウ氏のコメント。
非常に面白い。


30年の間にゲームは長足の進歩を遂げた。
生まれたてだったゲームの世界では、毎月のように新しい試みが世に問われていた。

他の世界であれば優に十年は掛かるような進歩も、ほんの半年程度の時間で達成された。
最初はせいぜい単細胞生物レベルだった原始的なゲームは、カンブリア紀の三葉虫のように爆発的な多様化を遂げ、それこそあっという間に高次の種へと進化していった。

だが進歩は一方で、ゲームという存在の可能性や伸びシロのようなものを食い尽くしていくプロセスでもあった。進歩の母であった原始の混沌、可能性という暗闇もまた、凄まじい速度で光と秩序に塗りつぶされていった。

昔のゲームの方が今のゲームよりもおもしろいとは思わない。あるいは今のゲームの世界が行き止まりになっているとも思わない。だが揺籃期のゲームの世界が持っていた極彩色の可能性が色褪せていることは、ある程度は否めないように思う。

今のゲームの世界は、そうした進歩の果てにいる。


ゲームの世界の揺籃期を知っている古参ゲーマーであれば、「消費し尽くされている」という氏のコメントには、おそらく深く頷くところがあるに違いない。

個人的にと思っているのは、ゲームの世界の揺籃期とは、そこに立ち会えたこと自体が一種の奇跡であって、人類の長い歴史で見てもそうは見当たらないくらいのレアイベントだったのではないかということだ。当時そこにいた人は、もうそれだけで自分の人生を神に感謝していいんじゃないかな、と思えるくらいに。