神の発明であると私が信じる
『モルヒネ・スイッチ』について
ここでもう一度ご説明申し上げます。

以前の説明はこちらの記事に)

患者が痛みを感じた時
手元にあるスイッチを押すと
夢の鎮痛剤モルヒネ君が
ぷしゅっと体に入る。

そして諸君!

モルヒネはいい!

(鎮痛剤として)

本当にいい!


(いえ、ですから鎮痛剤として)

私がこの素晴らしいスイッチに出会ったのは
数年前の大手術の時だったのですが、
手術前に病室まで麻酔科医さんが来て
スイッチの使い方を
懇切丁寧に説明してくださり
「では、術後に意識が戻ったら
思う存分スイッチを押してくださいね」

はい、ですけど先生、モルヒネって
原料はアヘンでございましょ?

わたくし、麻薬には
手を出さない所存でして・・・

声には出さない私の逡巡を
敏感に感じ取ったらしいドクターは続けて
「大丈夫、安心してください、
このスイッチをどれだけ押しても
貴方はモルヒネ中毒にはなりません!」

どういうことかと申しますと、
患者が調子に乗ってスイッチを押しまくり
『はい、今これ以上使うとアータ
依存症になっちゃいますよー』
という量のモルヒネが使用された際は

なんと機械が一時的にモルヒネの
投入を差し止めてくれるのです。

しばらく時間が経つと機械が
『はい、お望みならまたスイッチを押して
大丈夫、安全ですよ
』という判断をくだし
(なんて頭のいいマシーンでしょう)
投入差し止めが解除され、

患者は安心して痛み軽減のために再び
モルヒネを活用することができるのです。

そうか、じゃあ痛みが我慢できなくなったら
おっかなびっくりスイッチを押してみるかな、
という私の腹積もりをまたも見事に
看破なさったらしい先生は(流石プロ)、
「いいですか、痛みは絶対に
我慢しないでください。
少しでも痛みを感じたら、すぐに
スイッチを押すようにしてください。
痛みというのは、それが小さいうちは
少量の薬で抑えることができるのです。
しかしその小さな痛みを我慢すると
痛みはどんどん大きくなります。
そして大きな痛みを抑えるためには
小さな痛みをおさえるよりも
もっと多量の薬が必要になります。
『もしかして、痛いかな?』くらいの時点で
どんどんスイッチを押すようにしてください。
絶対に遠慮・我慢はしないでください」

まあ前回の手術は今回に比べ
かなり大規模なものであったため、
意識が戻った時の私の心に
『遠慮・我慢』の文字はなく
(いやーもう痛くて苦しくて)
これでもかとモルヒネスイッチを
活用させていただいたものでした。

またね、これが効いたんです。

痛みが完全に
消えるわけではないのですが、
スイッチを押してしばらくすると
格段に体が楽になるのです。

ですから、スイッチを押して
痛みが軽くなったところですっと眠って、
しばらくして痛みで目が覚めたら
またスイッチを押して、すると
ふっと眠気がやって来て、と
そういうことを繰り返しているうちに
術後の一番つらい(であろう)時間が
まどろみのうちに過ぎてくれた、という。

私がこのスイッチを
神の発明と呼ぶ理由、
皆様おわかりいただけましたか。

そんな風に私がスイッチとともに
痛みと眠気の沼を
気怠く漂っておりましたところ、
ふと気が付くとベッドの脇に
わが夫(英国人)が立っていました。

(念のため確認しますとこれは
今回ではなく
前回の手術の時の話です)

青ざめた顔に不安な面持ち。

モルヒネでトロトロしていた
状態ではありますが、
私はその瞬間、私自身よりも
夫の方が数段深い恐怖
とらえられていることを理解しました。

後から聞いたところによりますと、
夫としては手術前の私が
普段とまったく変わりない元気さで
「じゃあちょっと執刀してもらってくるわ。
あ、切り刻まれる前の私の腹を
最後に記念に拝んでおくか?
じゃ、麻酔が覚める頃にまた
お見舞いに来てくれたまえ」
とかなんとか言って笑っていたのが、
術後はまず私の顔色が死人のようだわ
(私ったら手術室に結構な量の
血を置いてきてしまったそうです)、
枕元に何やら大きなモニタがあって
ぴっこぴっこと心拍数やら何やらを
ずっと計測しているわ
(いわゆるバイタルサインというやつです)、
酸素マスクは着いているわ
(またこのマスクのサイズが小さくて
私の見た目はますます
ひどいことになっていたとの話です)、
腕にはぶすぶす点滴針が刺さっているわ
(うち1つはモルヒネ投入口でした)
・・・その時夫は受付に走って行って
「担当医を出せえー!
僕の妻に何をしたあー!」
と叫びたい衝動を
必死に抑えていたとのことでした・・・

ともあれ、あの時の夫は
本当に不安そうに震えていたのですよ。

妻として、ここは
夫の心を軽くするのが最重要案件!

体を動かす力はほとんどない、
声を出すことさえ非常に困難、けれども、
こういう状態においてこそ
配偶者として全力を尽くさずしてどうする!

私は全身の力を振り絞って
まず左手を少し持ち上げ
モルヒネスイッチを握る右手を指差し、
そしてにっこりと微笑むと
「モルヒネ(英語の発音だと『モルフィン』)を
入れてもらっているから、
それほど痛みはないんだよ、大丈夫」
と言いたいところ、そんな長文を
口にする余裕はなかったため、
かすれた、しかし必死な声で
「モールフィーン・・・グーッド・・・!」

後日、夫が語ったところによりますと、
脂汗を浮かべ髪をふり乱した
真っ青な顔の私が
薄目を開けて口元を歪めて
にたりと幽鬼のように笑うと
「モルヒネ・・・いい・・・!」
と呟いた様は、どう贔屓目に見ても
『麻薬中毒者の末期のうわ言』
みたいな感じであったそうです。

(恐怖で文字通り腰が抜けかけたらしい)

妻の心、夫知らず。

さて今回の手術は前回のそれに比べると
緊急度は高かったものの
手術自体の難易度は高くなかったためか
術後の傷自体は全然痛まなかったのですが、
麻酔から目覚めると右手にあの
天の祝福を受けたモルヒネスイッチが
握らされていたんでございますよ。

そしてほら、こういうのは
縁起物でございますでしょう?

(Norizoさん、貴方本当に
医師の説明を理解しているんですか?)

「・・・あの、このスイッチ・・・
好きなだけ押して問題ないんですよね?」

私の確認に看護師さんは頷いて
「ええ、安心して、依存症や中毒には
絶対にならないから、どんどん押して!」

しかし今回そもそもの『痛み』が
強くなかった私は、モルヒネの恩恵を
前回ほど感じることが出来ず、早々に
「これ、もう必要ないですわ」
と自己申告したのでありました。

いえ、これは『いいこと』なんですけどね。

ところでこのモルヒネスイッチ、
日本ではまだそれほど
普及していなかったりするのでしょうか。

今回何人かの知人・友人が
お見舞いのメールをくれまして、
その中の何人かは
自身が最近手術を経験していて
「いやあ、我々もそういう世代だねえ」
と私もしみじみ感じ入ったのですが、
割と高確率でそれらの人が
「医学の進歩で術後の経過とか
思った以上に順調だったけど、
でもやっぱり手術当日の夜、
麻酔が切れ始めたときは辛かったよね」
と言っていてですね。

手術当日の夜・・・って
それはモルヒネお楽しみタイムと違うの?

(Norizo、お前、言葉を選べ!)

しかしかく言う私も普段はなるべく
薬の類を飲まないほうで
(理由は『副作用が怖いから』、
ほら、私は『薬害の世紀』の
生き証人な世代ですから、ええ)、
私の弟や叔父がもうずいぶん前に
虫垂炎(盲腸)の手術を受けたときは
「傷の治りが悪くなるから
痛みはなるべく我慢してください」と
お医者さんに言われた、
という話を聞いた記憶もありまして、
「すみません、術後に鎮痛剤として
モルヒネをいただくことにより、
傷の治りが悪くなる、
ということはあり得るんでしょうか」
とこのたび麻酔科医さんに尋ねたところ
「・・・いいえ、あり得ません」

モルヒネといえども
副作用ゼロというわけには
いかないそうですが、
その副作用の中で一番怖いのが
『便秘』という話だそうで
「Norizoさんの場合、術後に
深刻な便秘になっちゃうと
それはそれで確かに問題ですが、
まあこの程度の量なら大丈夫でしょうし、
まずは術後の安静が大事ですから。
痛みを我慢すると体に力が入るでしょ?
そうすると体は疲労し、また、新たな痛みが
負担として加わる可能性も出ます。
術後の痛みを我慢して
『いいこと』なんて一つもないんです」

まあしかしですね、一番いいのは
そんな風にモルヒネを必要とするような
痛みを経験しない人生、これですよ。

なんか最近、同じことばかり繰り返す
高齢者のように『健康第一』の呪文を
唱えまくっている私ですけど、これは真実よ。

『モルヒネが必要ない状態』というのは、
イコール、『モルヒネを必要とする患者に
モルヒネが投与されている状態』なんですから。

私も今後、なるべくモルヒネとは
縁遠い人生を歩みたいと考えております。

本音です。


というわけで、今回は自ら
「モルヒネスイッチ、
もうなくて大丈夫です。
針を抜いちゃってください」
とお願いした私ですが
(しかし『念のため』ということで
もう半日スイッチは手元にあった)、
前回はもう
この子を手放すのが嫌で嫌で

いえ、本当に術後の負担が
今回と前回じゃ段違いだったのです

ちなみに今回は
モルヒネスイッチの使用期限
『特になし』ということだったのですが、
前回は『術後24時間』と
厳しく定められており
これも医学の進歩の一端なのか、と

で、前回、期限の24時間が
過ぎたちょうどその時に
麻酔科医さんが病室にいらして
「どうでしたか、モルヒネ」
「最高です、本当に助けてもらいました」

「そう、よかった、でもこれ、
期限が来ましたから、これでお終いね」

「(最後の悪あがきで
スイッチをカチカチ押しながら)
先生、あと2時間くらい
このままにしておきませんか?
いえ、2時間と言わずもう1日くらい」

ドクターは慈愛に満ちた微笑みを浮かべると
「人生、いいことにも悪いことにも
『終わりの時』はあるものです。今がそれ。
はい、素直にスイッチを僕に渡して」

先生の言葉は真実に満ちていたと思います
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