腸捻転および腸閉塞の手術後
順調な回復を遂げていた私が
運命の罠にはまってしまったのは
手術の翌日の夕方のことでした・・・

術前・術中・術後の私は鼻から胃にかけて
チューブを通されておりまして、
で、このチューブが入っている間は
基本絶食、という話だったんです。

「はい、じゃあ今日の夕方から
食事をとってみましょうか。
でも固形物じゃなくスープや
ゼリーから始めてくださいね」

「ドクター、そうなるとこのチューブは」

「もう外して大丈夫です」

まあ、嬉しい!

いや、このチューブが私には
どうも喉に不快で・・・
我慢できないほどでは
なかったんですけどね。

医師のこの回診は朝の出来事で、
私は一日中わくわくと
チューブが抜かれるのを待っていたのですが、
しかしこの日は病棟が妙に忙しい感じで。

頻繁に鳴るナースコール、
忙しなく歩き回る看護師さんたち、
受付から漏れ聞こえる深刻な声。

病室の担当の看護師さんは
私の顔を見るたびに
「チューブ、あとで外しますから!
忘れていませんからね!」
と言ってくれたのですが、
気がつけば夕食の配膳の時間になり
私の前のテーブルには
スープとアイスクリームが置かれており。

しかしこのチューブが鼻に入っている限り
私は物を食べてはいけないので、
まあ仕方ないか、
消灯前にチューブを抜いてもらって
食事は明日の朝から食べることにすれば、
と静かにひとり納得しておりましたら
夕方の血圧測定にやって来た看護師さん
(とても元気で笑顔のいい方)が
「あら!Norizo、経鼻胃チューブを
まだ外していなかったのね!」

「はい、あ、でも、後でお時間のある時に
外しに来ていただければ。
今日はお忙しいみたいですね」

「そうなのよ、ごめんなさい、
患者さんにそんなこと言わせちゃ駄目なんだけど
今日は本当に色々あったの。
でもね、そのチューブ、抜くのは簡単だから
今ぱぱっと抜いちゃいましょ、はい、
顔をこっちに向けてーリラックスしてー」

次の瞬間、わが体内にこだました
ベリベリッ(チューブを鼻に固定していた
テープが一気に剥された音)
ぽこっ(体の中の何かの圧力が変化した音)
ずーるずるずるずるー
(チューブが引きずり出される音)
こぺっ(チューブの端っこが
私の鼻から飛び出た音)
ミギャー!(声にならなかった私の悲鳴)

看護師さんは輝く笑顔を私に向けながら、
変な液体をぼたぼたと
床に落とすチューブを右手で掲げて
「ほーら抜けた、ね、簡単だったでしょ!」

・・・ねえ、看護師さん、どうでもいいけど
今の貴方、『今日の釣果』を誇示する
釣り師さんの姿にそっくりですよ・・・!

あと私、あの瞬間、SF映画
『エイリアン』を思い出したんですけど!

というか、自分の鼻から
何やら細くて長くてぬらぬらした管が
飛沫をあげつつ放物線を描いて
宙に飛び出す図ってものすごく
精神的にきついものがあるんですが!

しかし骨の髄まで『よき患者』であろうとする
鉄の意志に呪われた私はただ静かに
鼻と目を拭きながら(いや・・・なんか
液体が噴き出て、そこらへんから)
「・・・ありがとうございました」

「いいのよ、ほら、久々の食事でしょ!
よかったわね、ゆっくり食べてね!」

ええ、本当にありがとうございます。

ですが・・・ですが、お言葉ですが、
今、私の胃と食道が全力で
「おい!我々はどう考えても
今のショックから立ち直る時間が必要だぞ!
胃から喉にかけてかなりのダメージありだぞ!
物なんて食えるわけがねえだろう!」
と叫びまくっているのです・・・!

でもなあ、快復には体力が第一だし、
腹が減っては戦は出来ないし・・・

「あんまり私、その、食欲がないんですが、
やっぱり少しでも食べたほうがいいんですよね?」

「そうね、無理をしない程度に
少しでいいから食べてみるといいわ」

結果:私はどうやら無理をしてしまいました。

まあこの私の判断ミスが
敗因の第一手でしたね。

それに加えてですね、なんでも
腸というのは外部からの干渉を
非常に嫌う臓器らしいんですよ。

今回私の手術はうまくいき、
捻転はすべて解消されたのですが、
腸としてはそれが面白くなかったらしく、
デモ隊は排斥されたけれども
バリケードは残っている、みたいな
腸内環境がこの時あった様子なのです
(それにしてもこの学生運動臭のする
奇妙な比喩はどこから来たのか)。

その一方で腸以外の私の臓器は
いつもと変わらぬ健康状態にありまして、
特に肝臓は何故か元気いっぱいだったらしく
ノリノリで胆汁を生成していたみたいなんです。

で、この胆汁が通常の規定に従い
腸のほうに下りて行こうとしたわけですが、
どっこいそこにはバリケードがある。

若さ溌剌の胆汁君たちは
しばらく胃の辺りにたむろしていたのが
そのうち中でも機知にとんだ子が
「下が駄目なら上を目指せばいいじゃない!」
みたいな発想に至ってしまったらしくてですね。

うん、私、若い皆さんのそういう
無鉄砲かつ実行力のある冒険心、
普段だったら嫌いじゃないな!

まあそんなこんなで、その日の夜、
私はがっつりナースコールを
押す羽目に陥りまして、
治まっていた痛みがぶり返し
モルヒネを追加投入されるわ
すでに抜いてもらっていた
点滴用の留置針を再び入れられるわ
お腹が張りはじめて動けなくなるわで、
結局その3日後、またも鼻から胃に
チューブを通されることになりまして・・・

あの4日間は割と辛かったです。

開腹手術を控えた皆さん!

術後の無理な飲食は厳禁よ!

ゆっくりあせらず元気になりましょうね!

以上、私の心の叫びでございました。


あ、私のチューブを豪快に引き抜いてくださった
看護師さんの名誉のために申しあげますと
『経鼻胃チューブが抜かれた直後の患者に
食事を勧める』のは間違いじゃないんですって

「あそこでご飯を食べた私が馬鹿だったんですかね」
と後日痛みに丸まりながらつぶやく私に
その日の担当だった看護師さん(ちょっと年配)が
「私が看護の勉強をしたときは、チューブを抜いたら
しばらくは液体だけ飲ませろ、と教わったんだけど、
最近は『直後から食事させて良し』って習うらしいの、
だから貴方の行動は現代看護学の先端からして
間違いじゃないし、『無理しない程度に食べて』と
そこで貴方に言った彼女の行動も正しいのよ。
でもチューブを抜いた後って違和感があるでしょ?
貴方もよく食欲があったわね、ああ、なかったけど
そこで頑張ってしまったのね、
でもそこでつい無理をしてしまったのは、
つまり無理が出来たのは、それは体力の証よ、
基礎体力がある人は回復も早いから安心して!」

うっうっうっ(優しさに咽び泣き)

今回私がご面倒をおかけした看護師さん、
お医者さんは皆様優しかったです

経鼻胃チューブの再度装着についても
かなり早い段階でとある看護師さんが夜勤中に
見覚えのある長々としたあの器具を持ってきて
「Norizo、貴方の苦痛と吐き気を軽減するには
再び鼻からこれを入れるしかないと思うわ、
体力の落ちているときにこのチューブを
鼻から胃に通すのはすごく不快だと思う、
でもチューブなしじゃ残念だけど
苦痛は取り除けないわ、
ね、チューブを着けさせて、お願い」

うん、看護師さん、たぶんあなたが正しい、
でも、でもね、私あのチューブはもう嫌なんです!

「いえ、でも吐き気は吐き気止めをいただければ
なんとか抑えられそうな感じですし、
吐き気さえ治まれば痛みも軽くなりそうですし・・・
あの、もう少し様子を見てもらえませんか」

ダメ元で懇願した私に
看護師さんは嫌な顔一つせず
「・・・わかったわ、そこまで嫌なら無理強いはしない。
でも、夜になって苦しさが我慢できなくなったら
いつでもナースコールボタンを押してね。
チューブなしで痛みをコントロールできる方法を
その時は試すから、ドサクサに紛れて
チューブを入れたりしないから、だから
怖がらずに絶対にすぐ私を呼んでね」

結局そのまま一晩我慢して
吐き気は注射でどうにか治まったものの
痛みはずっと消えないままだったので
朝、観念した私は
彼女にチューブを入れてもらいました

気合でなんとかチューブを飲みこみ
胃に入れることに成功した私に
看護師さんはウインクをして
「頑張ったわね!あんた、チャンピオンよ!」

面白い看護師さんでした

しかしチャンピオンって

そのセンス、嫌いじゃないな
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