東京の実家に

この夏帰省していた時に

母の姉、つまり

わが伯母と会う機会がありまして。


で、伯母が登場する前に

母がわが夫(英国人)に向かって

予備知識のつもりなのか何なのか

「あのね、私の姉は正統派の美人よ。

私とは似ていなくてね、子供の頃は

よくそれで悲しい思いをしたのよ」


夫は勿論そこらへんは

しっかりわきまえた男ですので

「オーウ。オ義母サンモ、

トーテモ、ウツクシー、デース」


私も隣から援護射撃で

「うん、終戦時日本の美の基準

私もよくわからないけど、

今の基準からすれば

お母さんはちゃんと可愛いぜ!


(人間、三十路に入るとこういうセリフが

屈託ゼロで口から出てくるところが恐ろしい)


しかし私と夫の言葉に対し母は

「ううん、でもね、姉と私は全然違うの、

姉は若い頃雑誌やテレビにも出たし、

あの人、グレース・ケリーに似ているのよ!」

喝采 [DVD]/グレース・ケリー

・・・母よ。


「お母さんお母さん、いくらなんでも

グレース・ケリーはちょっと!」


「あら、本当よ、和製グレース・ケリーって

姉は色々な人に言われていたのよ!

本当に美人だったんだから!」


「いや、伯母様が美人だったことには

私も異論をはさみませんけど、

しかしグレース・ケリーはないでしょ!」


騒いでいるところに伯母、登場。


いや、うちの伯母は

身内の贔屓目を抜きにしても

それなりに美しい方だとは思いますよ?


でもさ・・・!


『グレース・ケリー』はさ・・・!


芸人用語でいうところの

『それは無茶ブリ過ぎる』

状態ですよ、これは。


合コンで女性側の幹事を務める場合

「性格のいい子ばかり集めた自信はあるけど、

顔については私は友人たちを

そういう目で見たことはないので

可愛いか可愛くないか判断できない」

と前もって男性側に伝えておくことが大事、

と、これはもう基本中の基本でしょ!


「超可愛い子ばっかり集めたから!」

って女性幹事が断言する場合の

男性陣落胆率の高さといったら。


何故突然こんな話なのかと申しますと

それは私がサノシンこと佐野眞一さんの書いた

『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』

を遅ればせながら読んだからです。


沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 上(集英社文庫)/佐野 真一

沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 下 (集英社文庫)/佐野 真一



佐野さんはその主義主張はどうあれ
真面目に足で情報を集め、
手に入れたネタの裏を取るその姿勢は
ノンフィクション作家として素晴らしいと
私も心から思うんですけど、
この方の何が惜しいって、それは
本論に入る前に大風呂敷を広げすぎる癖。


読者がこれまで読んだこともない物語を!

読む者すべての胸に響く登場人物の魅力と魔力を

今まで誰も書かなかった驚愕の事実を!

私が!絶妙な筆致で!衝撃とともに!

満を持してここに皆様にお届けします!


・・・みたいなことを佐野さんってどうも

『まえがき』で書かずにはいられない病

かかっていらっしゃるご様子なんですよ。


自らあえてハードルを高く掲げる、

それはそれで作家として

勇気ある選択なのかもしれませんが、

でもさあ、そういうことはさあ、

自分の胸の内にひっそりしまっておくか

飲みの席で担当編集者にだけ

こっそり打ち明けるかに

したほうがいいんじゃないかなあ・・・


こういうことを書かれてしまうと

読者もどうしても

過度な期待を抱いてしまうというか。


それで本論がどの程度かというと・・・


ねえ・・・


いや、決して本論が駄目、とか

そういうわけじゃないんですよ!


でも単純な読者である私は

まえがきの勢いでつい色々、ね!


日本の誇る伝統『謙遜の美徳』にのっとり

実は本論にとてつもない自信があるのに

「私の取材力ではこれが限界、

己の未熟さを恥じるばかり」みたいなことを

サノシンさんも

まえがきに書いておいてくれれば

こんな余計ながっかり感

私も直面せずに済むというのに・・・


まあこれがサノシンさんの

味といえば味なのかもしれないんですが。


うん、自己評価の高くないサノシンさんは

サノシンさんである意味がないですものね。


というわけで、

『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』、

同じくサノシンさんの書かれた

『誰も書けなかった石原慎太郎』よりは

読んで損はないと私は思いました。


誰も書けなかった石原慎太郎 (講談社文庫)/佐野 眞一



『誰も書けなかった石原慎太郎』はね、

あれはもう『誰も書かなくてもよかった

石原慎太郎』の間違いではないかと私はね。


本日の結論:

謙遜は美徳であるばかりではなく

ある種の実利をもたらす技術でもある


大事ですよね、本当に。



『誰も書けなかった石原慎太郎』で

サノシンさんはまるで世紀の大発見のように

「慎太郎は裕次郎にコンプレックスがあった!」

みたいなことを書いていらっしゃるのですが

読者である私が読みたかったのは

「だからどこからその裕次郎氏に対する

慎太郎氏のコンプレックスが生まれたのか」

であって、慎太郎氏の心の底に

なんらかのコンプレックスが存在することなんて

別に驚きでも何でもないじゃないですか、という


しかしこんなことを書いてはいますが

サノシンさんのあのセンスを

好ましく思う人も世の中には

たくさんいるのだと思います

これはほら、福本伸行氏の絵柄が

鼻につくかつかないか、みたいなもので・・・

自分で書いていて気が付きました、

これは比喩として正しいようで正しくない


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