というわけで幼少期に

「むかしむかしあるところに

かしこい王さまと

うつくしい女王さまがいました」

とかなんとかいう導入から始まる物語を

散々耳にして育ってしまったため、

本物の自国の

『女王陛下と王婿殿下』の

お姿を目にしたときに

激しい衝撃を受けてしまったという

わが夫(英国人)の悲劇。


(くわしくは昨日の記事 をどうぞ)


思い出話に笑っていたら夫が突然

「君はそういうショック

子供の頃に受けませんでしたか?


「え?どういうショック?」


「だからつまり、

日本の天皇皇后両陛下のお姿

初めて写真かなにかで拝したときに、

それまで物語で聞いて想像していた

王様・女王様の姿との差異に

びっくりしたりはしませんでしたか?」


・・・しませんでしたね。


絵本で目にしていた王様・女王様と

実際のわが国の天皇皇后両陛下は

幼少時のわが脳内において

まったく別の存在でいらっしゃったというか・・・


だってそもそも言葉の響きが

明らかに違うじゃないですか、

『王様』と『天皇陛下』では。


まあ、こちらの物語の定番

「昔々あるところに

素晴らしい王様と女王様がいました」

は、日本だと

「昔々あるところに

おじいさんとおばあさんがいました」

となるわけで、間違っても

「昔々あるところに

時の帝とそのお后さまがいました」

とはならないところが面白いですよね。


平安時代までさかのぼれば

「いづれの御時にか・・・」

の『源氏物語』などもありますけど、

あれが子供向けのお話かといったら

それはまたちょっと違いますしね。


源氏物語 巻一 (講談社文庫)/瀬戸内 寂聴



しかし『源氏物語』もすごいですよね、

あの物語の第一の読者は

時の一条天皇でいらしたという話ですが、

あの中に出てくる『朱雀帝』なんて

そりゃフィクションはフィクションですけど

仮にも万世一系、世が世、国が国なら

「虚構の世界の作り話とはいえ

仮にもわが一族の

先祖と見受けられる人物を

あのように軟弱に描くとはけしからん!

作者の首をはねてしまえ!」

みたいな事態に発展しかねない

キャラクター造形じゃないですか。


それを「いと、かなし」かなんかで

「これは面白き創作である」と受容する

一条天皇のその懐の広さというか

文学的理解力の深さというか・・・


いや本当に。


ちなみに、以前 もこのブログに書きましたが

かの有名な童話『はだかの王様』、

あれの英語のタイトルは

『Emperor's New Clothes』、

直訳すると『帝の新しい御着物』が正解です。


じゃああのお話に登場する『王様』は

東洋の君主的なイメージなのか?

とか私は一瞬思ったのですが

こちらの絵本の挿絵を見ると

しっかり太った熟年白人男性

王様として描かれたりしているので

そういうわけでもない様子です。


しかし『源氏物語』、

何度読み返しても薫の中将には

本気で腹が立つ私です。


ここまでの憤りを

後世の読者に与えられる紫式部は

真の意味で凄腕の

物語作者なのだと思うわけです。



今回はいつにも増して

論旨があっちへ行ったりこっちへ行ったりで

わけがわからなくて訳ありません


それにしても薫の君だけは許せん


あのカメムシ中将めが!

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