親父のことは忘れろ、

そうすればお前は強くなる、

ラーメンマン先生の名言ですが

(自分で書いておきながら

この書き出しはどうだろうと思いました、

『キン肉マン』を知らない皆様

本当に申し訳ありません)、

私も早く迷作邦画『火天の城』のこと

(前述その1 )(その2 )を

頭の中から消し去らないと

健やかな日々

取り戻せないと思うのです。


しかしそれにしても。


木曾に大ヒノキを求めて旅をした

主人公の着物の襟が

いつ見ても・いつまでたっても

真っ白っていうのは何なのか。


何なんでしょうね、

我々の世代の一部にある

この不潔恐怖症的

身ぎれいさの追求っていうのは。


いや、現実社会において

常に襟元を白くしておくことは

褒められるべき態度だとは思うのですが。


それを天正時代の大工さんの姿にまで

求めなくていいじゃない、という。


長旅でしょ?

ヒノキ林への潜入でしょ?

汗をかかないわけが、

垢じみないわけが

ないと私は思うんですよね。


それともそういう現実を

見切った上であえて

「でも映画は銀幕の夢だから!

登場人物は全員

いまどきの衛生観念を

身に着けている設定だから!」

との演出方針を固めたのか。


ちなみに雨上がりの山道を

人間が本気で走ると

約1時間で

次のような有様になるのが

この世の摂理というものです。


スコットランドひきこもり日記-どうです


スコットランドひきこもり日記-いい柄ですよね

夫(英国人)の大好きな

山岳変態レースの季節

(詳しい説明はこちら )が

やってまいりました。

スコットランドひきこもり日記-汚れの映える白!


この汚れ具合、

ぜひ山賊モノ時代劇の

企画を練っている皆様に

参考にしていただきたい。


スコットランドひきこもり日記-この茶色は、泥です


ところで、

最近の映画やドラマにおいて

『登場人物が汚れない』というのは

私はアニメーションの

影響なのではないかと

ひそかに考えているのですが、

どうですか。


ほら、アニメの主人公って

泥や血で汚れたりすることはあっても

汚らしい印象には

ならないのが常じゃないですか。


頬についた汚れも

手の甲でぐっと拭うと

何もなかったかのように

きれいになるじゃないですか。


よくも悪くも最近の映画の作り手って

子供時代に漫画・アニメの洗礼を

受けているのが当然だと思うので、

『物語の登場人物は汚れない・

汚れてもそれはきれいな汚れ方』

みたいな刷り込みが

無意識のうちに

されているのではないかな、と。


名作漫画『風の谷のナウシカ』に

主人公のナウシカが

血まみれになったところに

「特配の水です、

顔だけでも拭ってください」

と仲間の兵士が水を持ってくる場面が

描かれているのですが、

たぶんあそこらへんにおけるナウシカは

長いことお風呂に入っていないという

設定だと思うんです。


でもナウシカは垢じみない。

スパッツはいつも真っ白、

黄ばむことなんてありえない


いや、私だって

汚らしく臭いそうなナウシカなんて

別に見たくはないんですよ。


しかしこういうのって

漫画という表現方法の

いいところでもあり

物足りないところでも

あるわけじゃないですか。


で、私はそういう

万能清潔感みたいなものを

実写映画にまで

持ち込まなくてもいいじゃない、

と思うんですが・・・


こういう考え方のほうが

今後は少数派になっていくんですかね?


髭は伸びないもの。

歯は常に真っ白なもの。

服は汚れず皺もつかないもの。


むう。


いや、本当に私は早いこと

『火天の城』のことを

忘れたいものなのです、はい。



あんまり『汚れ』を追求しすぎて

役者の演技がそれに追いつかないと

それはそれで

見ていられないわけですから

映画作りというのは難しいんだなあ

としみじみ思う次第です


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