ウトロ問題に対する悪質な印象操作 | 誰かの妄想

ウトロ問題に対する悪質な印象操作

ウトロとは、京都府宇治市伊勢田町の地域で、もともと宇土口(うとぐち)から「ウトロ」と呼ばれるようになった。場所はJR奈良線新田駅、近鉄京都線伊勢田駅・大久保駅の西側、自衛隊大久保駐屯地のすぐ北にある。


問題の発端は、1940年2月に決定された京都飛行場建設事業である。場所は、宇治市と久御山町にまたがる97万坪(320万平米)。


久御山町史によると、京都飛行場は1939年に逓信省によって計画、1940年2月着工、1942年4月に飛行場と乗員養成施設の建設がほぼ完了、とのこと(参照:「大久保駐屯地」http://ksa.axisz.jp/a5407Okubo.htm )。
京都飛行場は、航空機製造工場と乗員養成所、滑走路をもつ施設として計画されたようす(参照:「ウトロ形成史」http://www007.upp.so-net.ne.jp/aohyon/keisei01.html )。所有は、日本国際航空工業(1941年7月に、日本航空工業(1937年5月設立)と国際工業(1939年11月)が合併して設立。)。


乗員養成施設は1944年8月に閉鎖、工場そのものも1945年7月の空襲により生産停止となっている。滑走路については、建設開始時期は不明だが、結局終戦までに完成せず、1948年時点では造成更地状態だったらしい。


要は、太平洋戦争の期間ずっと建設中状態だったわけで、これに動員されたのが朝鮮労働者である。募集に当たって逓信省は「(1) 労務することにより徴兵を免れること (2) 家族が敷地内で一緒に暮らせること などの条件」を与えたと言われる(「ウトロ形成史」)。こうして、現在のウトロ地区に飯場が出来、朝鮮人労働者と家族約1300人が居住するようになった。この飯場(21000平米)の所有は日本国際航空工業である。


1945年の敗戦後、米軍はJR(国鉄)新田駅から降り立ち、新田駅すぐ西にある京都飛行場を接収し駐留する。駐留したのは米第6軍の一部。このときウトロ地区も接収しようとしたが、住民の反対により接収できなかった。米軍がウトロ地区を接収しようとしたのは、グーグルの航空写真で見れば推測できるのだが、現在の自衛隊大久保駐屯地西部にある滑走路の北方延長上にウトロが存在するからであろう。建設途中であった滑走路を米軍も利用できるようにするため拡張したかったのではないかと思われる。

なぜ南方ではなく北方への拡張を考えたかというと、京都飛行場もウトロも同じ日本国際航空工業の所有であり、日本国際航空工業の資産は軍需会社として米軍の接収対象となっていたからだと思う(日本国際航空工業社長の津田信吾は1945年12月A級戦犯容疑で連行されている(1946年5月釈放))。


これは、不法占拠とは呼べない。当時、現に居住しており朝鮮への帰国などのケアがされていない以上、住民が占領軍による土地の接収に反対するのは当然だからである。実際、同じく日本国際航空工業の資産である社宅には日本人が住んでいたが接収されていないし、不法占拠とも呼ばれていない。


さて、1947年5月在日朝鮮人の運命を変える勅令が出される。外国人登録令(http://ameblo.jp/scopedog/entry-10043402640.html )である。これは朝鮮半島出身者から日本国籍を取り上げる内容(第11条)で、ネトウヨがよく言う「宇治のウトロ問題は日本国籍を捨て帰国も拒否し不法占拠した結果だ http://mussen.fc2web.com/kako/10_06kako.htm )」などの言説が、いかに事実誤認しているかを如実に示している。

大体、国籍を選ぶ選択肢があり自らの意思で「日本国籍を捨て」ることを選択したかのような記述はでたらめであり、悪質な印象操作。


その後、「ウトロ形成史」(前述:http://www007.upp.so-net.ne.jp/aohyon/keisei01.html )によると「軍需工場時代の清算対象資産のうち、米軍基地となった部分は、日本政府に買い上げられ、宇治市内に点在した旧社宅は日本人の居住者にそれぞれ払い下げられる。ウトロの土地部分は未処分のまま、1962年7月に日産車体工機株式会社(新日国工業の後身)と日国工業(清算会社)は再び合併する運びとな」ったという。


1955年、京都飛行場敷地は米軍から返還され、1957年自衛隊第10特科連隊が駐屯し大久保駐屯地となり、これは日本政府が旧日本国際航空工業(1946年に日国工業と改称し、1949年には日国工業は精算会社として残す一方、本業の車体製造については新日国工業として設立している(参照:http://www.nissan-shatai.co.jp/INFO/history_01.html ))から買い上げた形になっている。社宅については日本人居住者に払い下げ、その他の資産は、日国工業が保持した。

この一連の流れを見れば、1950年代後半の精算の段階で現所有者に対し払い下げするのが普通であったろう。しかし、ウトロに対してそれは行っていない(交渉があったのかどうかはよくわからない。金額や国籍の問題があったであろうとは思うのだが)。

そのまま、1962年日産傘下となった新日国工業は日産車体工機と社名変更し、ウトロの土地を所有する日国工業を吸収することになる。


その後、1970年2月にウトロ住民代表が「土地の売却」要望を日産車体に送る。ここで売却されていれば問題は収束したと思われるのだが、結局成立しない。むしろこの要望がウトロ住民にとっては命取りになった。民法第162条の規定「(所有権の取得時効)第162条 20年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その所有権を取得する。2 10年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その占有の開始の時に、善意であり、かつ、過失がなかったときは、その所有権を取得する。」により、ウトロ住民はウトロの所有権を取得できた可能性があるのだが、「「土地の売却」要望」が「所有の意思」を持っていなかった証拠とされると、適用できないからである。


このころになると土地問題が表面化しており「平穏に」「占有」できず、問題は泥沼化していく。その結果、1980年代にいたってなお、ウトロ地区には水道管すらひかれない状況であった。


こうして1980年代後半のバブルを迎えることになり、ウトロは土地転がしに巻き込まれていく。


以下、細かい事実関係が不明なので、経緯を簡単に、


1987年3月9日、日産車体が、元ウトロ自治会長の許(平山)氏に、ウトロの土地21000平米を3億円で売却。
★ウトロ住民は知らなかったと言う話あり(参照:http://25oclock.blog.shinobi.jp/Entry/152/
★そもそも3億円の出所は?
★おそらく許(平山)氏が土地転がし目的で、住民に無断で契約したのでは。


1987年4月30日、西日本殖産設立。
★許(平山)氏が経営者とも役員とも言われるがどちらか不明。


1987年5月9日、許(平山)氏が西日本殖産に、ウトロの土地21000平米を4億5千万円で売却。
1988年12月、西日本殖産より住民に立ち退き通告。
★おそらく西日本殖産自体がいわゆる地上げ屋で、許(平山)氏がそれに加担したと思うのだが、詳細不明。


1989年2月、西日本殖産、京都地裁に第一次土地立ち退き訴訟提訴
1997年1月29日、住民側主張7億400万に対し裁判長「和解金額」14億円を提示。
2000年11月14日、最高裁、上告棄却決定。全住民敗訴。
★訴状も判決内容も見つけられなかったので、よくわからん。
★まあ、民法第162条が適用できないのなら法的に住民が敗訴するのはわからんではない。ただ詳細を知らないので断言は出来ない。
★どちらにせよ重要なのは、法的にどうかではなく、戦後日本政府が在日朝鮮人から一方的に国籍を剥奪した挙句、ろくに救済していない点であろう。1947年の外国人登録令(1952年に外国人登録法に継承)に始まり、1950年代の払い下げの段階での救済もなく、在日朝鮮人を差別してきた経緯が背景にあることを理解しないと、ウトロ問題が”問題であることすら”理解できないだろう


理解できない人はこういう非難をする。

例:http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50229469.html

戦中から終戦直後の複雑な状況に触れることなく、「日産車体(日本企業)の所有する土地を朝鮮人が不法占拠する(終戦後も帰国を拒否)」とだけ述べる。無知か、でなければ悪質な印象操作のどちらかだろう。


2004年1月29日、西日本殖産が井上正美にウトロの土地を3億円で売却。
★ネトウヨサイトでは井上正美が在日であると記載しているが事実関係は不明、ただし井上自身が裁判で「自分は在日であり、同胞を助けるつもりで買い取った」などと主張しているらしい。
★ウトロの土地の価格がどの程度が適切かは判断できないのだが、1997年に裁判長が14億円を提示、ウトロ住民も7億円と言っていることから考えると、3億円と言う金額は異常に思える。井上正美の背景にヤクザなどがいることを示唆しており、地上げか債権回収であろうと思われる。


2006年9月、最高裁判決で強要と判断され、井上正美への売却取引は無効となる。
★結果として、ウトロ住民と西日本殖産との交渉に戻ったわけだが、状況はあまり変わっていないようで。
参照:http://hamnidak.exblog.jp/6371719/



個人的には、諸悪の根源は最後の勅令「外国人登録令」だと思っている。無理やり併合して日本人にしておいて散々協力させた挙句に、「今日からお前は日本人じゃないから保護しない、嫌なら出て行け」的な措置をとるとは、何が「日本国民は、(中略)行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保」(日本国憲法全文)、「国民誰もが自ら誇りにし、国際社会から尊敬される「品格ある国家」を目指す」(自民党憲法草案より)だよ、と。


国家が国民(日本国内に居住する外国人含む)を保護するのは当然のことだが、外国人登録令はわざわざ保護すべき範囲に空隙を作って、非合法活動が行われる余地を作ったわけだ。西日本殖産や許(平山)氏、井上氏による土地転がしはその好例だろう


「在日同士のごたごただよなあ」http://kuyou.exblog.jp/2585042 )等と言えるほど、単純な問題ではありませんね。

こういう投げやりな発言は、日本は外国人にとって住みやすい場所ではない閉鎖的な国であることを認めているようなものです。