話題のヴィデオ。


ケリ・ヒルソンの新曲"Pretty Girl Rock"。
ツイッター上では、ケリがジャネット・ジャクソンやTLCのT・ボズのコスプレをしてる!
なんて話題になってたけど、ヴィデオを観て驚いたのは、彼女がしてるのは先輩シンガー達の「コスプレ」だけではなく、エンターテイメント界に大きな功績を残したアフリカン・アメリカン女性たちへのオマージュとして、そしてそれを[Pretty Girls Rock]というスワッグとして表現していること。

最初にケリが扮しているのは、かの有名なジョセフィン・ベイカー(1906/6/3-1975/4/12)。
$HIP HOP UNCHIKN


ヒップホップ世代には決して馴染みのある存在とは言えないかもしれないので、ここで補足しておくと…。
ジョセフィン(ジョセフィーン)はアメリカ・セントルイス出身のダンサー。
まだ幼い頃か裕福な家の住み込み手伝いとしてお家を出され、でも働き先での扱いに絶えられず家出。
15歳のときにはセントルイスのヴォードヴィル・ショーに出て、ダンサー、そしてシンガーとして活動を開始。
程なくして「ハーレム・ルネッサンス期」まっただ中のNYへと移り、その才能を開花させていく。
一時期は「最もギャラの高いブロードウェイ・ダンサー」として名を馳せていたみたい。
そして1925年、ジョセフィンはパリへ。シャンゼリゼ劇場で行われていた「レヴュー・ネグロ」に出演が決まると、彼女の人気は決定的なものに。
なぜ彼女がそんなにセンセーショナルだったかと言うと、その扇情的なパフォーマンスにあるの。
たまにジョークの対象にもなるけど、腰ミノを付けて、周りにバナナをぶら下げた「踊り子」のイメージって、どこかで見たことありませんか?
あのスタイルを始めたのがジョセフィンだったのよ。
トップレスで、腰にバナナを付けただけの格好で踊るって、そりゃみんなびっくりするよね。
彼女の存在は本当にセンセーショナルで、ハーレム出身の作家、ラングストン・ヒューズに始まり、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルド、パブロ・ピカソ、そしてクリスチャン・ディオールまでがジョセフィーンのことを崇めていたんだって。
で、フランスでは大きなツアーが組まれる程に大人気を博したジョセフィンだったんだけど、本国アメリカでは非難の対象に。
当時のアメリカはまだ人種差別が色濃い時代。
そんな中で、刺激的な衣装を纏い扇情的なダンスを披露していたジョセフィンは蔑まれる事の方が多かった。
特に、黒人女性といえば「黒人であること、そして女性であること」が二重苦とも言われ、本当に生き辛い時代だったし、否定的な「黒人女性のステレオタイプ」を助長するとも言われて、あまり歓迎されることはなかったの。
そんな扱いを受けて、ジョセフィンは生まれ育ったアメリカよりもフランスでキャリアを積む様に。
女優としても活躍していくんだけど、1950年代に入って、アメリカで人種差別を撤廃しようとする公民権運動が盛んになると同時に、自身も活動家としての動きを活発化していく。キング牧師らとも交遊関係を築く程に。
そして、なんと彼女は違う人種の孤児たち12人を引き取り、「レインボー・トライブ」(虹の家族)と呼んで自らが育てることにしたの。
韓国、日本、コロンビア、フランス、フィンランド、コートジボワール、イスラエルなどなど…。
人種や生まれた国も関係なく「家族」と呼び合えるということを身をもって証明したってことね。
でも女手一つで12人の子供を養うのは相当厳しく、60年代には財政的に苦しむように。
そんなジョセフィンを支えたのがモナコのグレース・ケリー女王。彼女の計らいもあって、1973年にはアメリカで凱旋公演を行う。
1975年には芸能活動50周年を祝う記念イベントが催されたんだけど、そのわずが4日後に倒れ、帰らぬ人に。享年68歳。

長々と書いてしまいましたけども、ジョセフィンって今じゃ当たり前だけど「セクシー」を売り物にして成功した黒人女性第一人者としても捉えられるし、それよりも何よりも人種差別の激しかった時代になかば亡命の様な形でフランスに移り、自分の祖国に追われてまで「自分らしさ」を追求した強い女性であるとも言える、と思うんだな。
で、HIPHOP世代にとって、ジョセフィンって必ずしも身近な存在じゃないと思うし、アメリカでも若い世代にとっては「誰?」って感じかもだけど、そのジョセフィンを取り上げたケリにもびっくり&リスペクト。

ここんとこ、荒このみ先生の「マルコムX」を読んでたからってのもあるんだけど、やはりこうした内面に働きかける「意識」の基準って相当大きいよなーと思うの。マルコムと同じだけど、辞書で「黒(BLACK)」と引けば、そこにはネガティヴな言葉ばかり。
黒いこと=醜いこと、不正
という感覚を押し付けられたまま、そしてまっとうな人権も与えられぬままアフリカン・アメリカンの人々は生活を送ることを余儀なくされていた。
そんな中、「私は美しい」と絶対の自信を持って活躍していたジョセフィンの強さ。
まさにPretty Girl Rockってところかしら。
(この辺り掘り下げたい方はトニ・モリソン『青い眼がほしい』でどうぞ)

以上、大したことは書けませんでしたが何かしら感じる事があれば、もう一度ケリのヴィデオを見てみてください。
最初に感じたのとは別の感想を抱くかも。

ほんではー。