「究極の真実」は言葉にできないものかもしれない | 福岡 共感ヒーリング ATHANAHA(あたなは)

「究極の真実」は言葉にできないものかもしれない

 

なんで私は今の仕事をするんだろう?

なぜこの分野を選んだの?

 

これまでも、いつもいつも考えてきた。

 

 

 

好きだから?

出来るから?

他の分野より得意だから?

生活のため?

 

 

理由を考えたらいくつも思い浮かぶ。

 

どれも間違ってない。

どれも理由ではある。

 

 

でも、違う。

 

 

 

 

もしお金がいっぱいあって、

好きなことが自由にできて、

働く必要がなくなったら?

 

そうなったら、毎日楽しいことをして

暮らせばいい。

 

 

そうなったらやらないのか?

と考える。

 

 

やらなくてもいい、

 

人の悩み、

重い感情、

その人の人生に関わる責任、

 

そういうのから解放される。

 

 

 

やりたい人、私の他に出来る人に

任せればいい、と思う。

 

 

なのに、「それは違う」と思う。

 

それでいいはずなのに、

それではいけない気がする。

 

 

 

これはブロックからではない、きっと。

 

「私はこれをやらなきゃいけない」

そんな感覚。

 

 

 

その先に何があるのか分からない。

 

だけど、行かなきゃいけない。

やめてはいけない。

 

 

 

決して楽じゃないこの道を放棄する、

 

そうしようと思えばできるけど、

「嫌だ」と感じる。

 

 

 

私が逃げようとするといつも、

宇宙なのか私の中からなのか、

「NO!」という声が響く。

 

とても強く。

 

 

 

「違う」

「行かなきゃダメ」

「続けなきゃダメ」

 

私は、そうだと「知ってる」。

 

 

 

気付かないふりをしたり、

気のせいと思おうとしたり、

 

どんなに目を逸らそうとしても、

そうでなかったことにしようとしても、

 

必ず元の位置に戻される。

 

 

 

 

今の生き方、人生は、

私が生きることと、成長することと同じ。

 

生まれた目的。

 

 

私が生きる意味。

私そのもの。

 

 

だから、「やめる」ことは、

生きてる限りできないだろう。

 

 

 

 

最高のセッションをしているとき、

最高に集中しているその時、

 

私は、一番「生きてる」と感じるから。

 

 

 

スピリチュアルな世界、

サイキック能力、

セッション力、

 

いつも、もっともっともっと、と思う。

 

 

 

苦しいときもあるけれど、

行かずにいられない。

 

進まずにはいられない。

 

 

 

エキサイティングで、

ワクワクして、

興味が尽きない、

 

生きている実感と喜びを

強く強く感じることが出来る、

 

 

 

私にとってそれは、

この分野、今の仕事、

この生き方の中にしかない。

 

私が私である意味そのもの。

 

 

 

だから私は、

「スピリチュアル」という分野で生きていく。

 

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