まなちゃんの両親をご紹介します | まなちゃんを救う会

まなちゃんの両親をご紹介します

まなちゃんのお父さん・お母さんをご紹介いたします。

お父さん・お母さんからいただきました。関係先にご迷惑のないよう固有名詞は省かせていただいておりますことご了承下さい。



父親・・・光一


(略歴)
1967年(昭和42年)神奈川県横浜市で生まれました。
横浜市立の小中高在学中は、サッカーを中心にスポーツばかりして
いました。
大学入学と同時に、クラスの先輩におごってやるからと引っ張り込まれた男声合唱のクラブ(グリークラブ)の魅力に取りつかれてしまい、やがて、他大学の合唱団との交流を広げるための「渉外」という役職を担当するようになりました。
人との交渉ごとの面白さからを商社を希望するようになり、現在の会社に入社しました。東京本社で鉄鋼製品を扱う部署を経て、経理部に異動。その後、米国子会社のシアトル支店に駐在。2年弱の勤務の後、名古屋支社に異動。その後再び東京に戻り、現在に至ります。


(趣味)
サッカー・・・小学校5年よりはじめましたが、根性が無いため、中学校・高校では途中で退部。社会人になってからは、会社のサッカー部を中心に草サッカーをずっと続けています。シアトル駐在時代に、元ヴィッセル神戸の木下桂選手と知り合い、同じチームでプレーもしました。ポジションはDFかMF。テクニックはないけども、左右両足使える事と泥臭い守備が売りです。なぜか、いつも人数が少ないチームにばかりいるため、常にレギュラーです。体が動く限り何歳までもボールを追い続けていたいと思います。まなに、パパのサッカー姿を応援してもらいたいなあ、と願ってます。

男声合唱・・・高校までは、イエス、レッド・ツェッペリンといったロックばかりを聴いていました。大学より始めた男声合唱は、今でも続けており、トップテナーという一番高音のパートを担当しています。ミサ曲やワーグナーなどが好きなんですが、仲間に言わせると日本民謡が一番似合うそうです・・・なぜか、いつも少人数の合唱団に属しているため、迫力ある曲とは無縁ですが、そのぶんチームワークは抜群です。声が出る限り一生歌い続けたいと思ってます。まなに、歌うことの楽しさを教えてあげたいなあ、と願っています。



母親・・・玲子


(略歴)
1971年(昭和46年)東京都府中市で生まれ、多摩市で育ちました。そして現在も多摩市に住む、生粋の多摩っこです。多摩地区の小中高に在学。勉強好きではありませんでしたがひょんなことから、高校生の時に教師になる夢を抱くようになりました。大学では小学校教員養成課程国語科を履修。
(日本語に不自由しているようじゃ学校の先生にはなれないぞ、と先輩に言われたため)
在学中は塾講師や家庭教師など、子どもと関わるバイトに多くたずさわり、教員への夢をさらに確固たるものとして、教員採用試験を受けました。川崎市の小学校の教員となり、現在に至ります。


(趣味)
物を作ること・・・欲しいなあ・・と思うものを見つけたときは、まずは自分で作れないか考えます。決して上手ではないですが、そんなチャレンジ精神(?)のおかげで、裁縫や編み物は自力で何とか身に着けてきました。ビーズアクセサリー作りは一時自分でデザインして取組むほど凝っていましたが、現在は子育て奮闘中のため、お休みです。

映画鑑賞・・・マイナーなミニシアター系の映画をチェックするのが好きでした。今は愛の影響で「いないいないばぁっ」ばかり・・・。遊ぶこと・・・子どもたちと遊ぶのは、自分の心の開放にもなりました。学校に戻れたら、また子どもたちと元気に遊びたい!ドッヂボールはまだまだ子どもに負けないつもりでいます。