岐阜空襲(昭和20年7月9日~10日) | 長良川 大好き 釣り blog        

岐阜空襲(昭和20年7月9日~10日)

調査報告No.1

   最近アメリカの研究者から多くの資料をプレゼントされた。

主に各務原空襲に関する物だが数点の岐阜空襲に関する資料も含まれていた。

彼はボーイング社の重役で退職後に第7戦闘機集団協会員となり戦闘履歴や失われた搭乗員の調査などをしている

ヒストリアンです。

 

岐阜空襲は戦術作戦任務報告書260号によれば、昭和20年7月9日23時34分~10日1時20分の間にグアム北飛行場を

発進した314航空団B29爆撃機130機により行われた。

投下された爆弾は E46焼夷収束弾(結束バンドの解放は1500m)、M47 100ポンド焼夷弾(瞬発弾頭設定) 

投下高度は4500m~5400mでグループごとに異なる。第1目標は約898.8トン 第2目標は8.7トンとなっている。

当日の目標付近の天候は快晴と報告書に書かれています。

レーダー照準と目視照準で行ったと報告。

損失は1機がロタ島とサイパン島間で火災が発生、搭乗員はパラシュート降下して救助、3機が硫黄島に緊急着陸。

この写真は爆撃中のB29から撮られた第2目標付近の状態である。撮影時刻は7月9日23時45分。

写真の書き込みから場所が分かってもらえると思います。右上が西です。

先発隊の投下した焼夷弾により大火災が起き、山の斜面が照らされている。

写真の説明も頂いた。この翻訳で良いと思うが。

この火災の南側に「川西機械製作所」がある。この会社は飛行機や真空管、繊維機械の製造メーカーですが

この工場では本来、繊維関係だったが戦争中は川崎航空機の分散工場となっていたもよう。

岐阜駅の東、高山線から分岐して引込線が作られている。戦後は専売公社の工場となっていた。

名鉄各務原線とは直角に平面交差していた。

昭和23年の米軍写真から様子を知ることができる。

こちらは 全国主要都市戦災概況図で、赤く塗られておりこの調査図からも目的を達していたことがうかがわれる。

 

こちらもプレゼントされた資料

当時米軍が使用していた地図。 日本陸軍が作成したもの、昭和7年修正測量 10年に発行された1/50000です、

岐阜県図書館等で閲覧できます。 この地図は米軍にとって都合よく作られており、送電線、変電所、

各務原では航空本部補給支部とか三菱飛行機工場、川崎飛行機工場なども表記。

岐阜では重要な工場、、68連隊兵舎、貨物駅、送電設備等が表記。

彼らが川崎の軍需工場となったと理解している川西機械製作所はTEXTIL MILS と書かれています。

また、高校や町工場が川崎航空機の分散工場となっていると理解している。

実際にこの地図には飛行場や航空産業はもとより変電所や発電所にも攻撃目標番号が打たれております。戦争が長引けば爆撃された

ことも考えられる。

また、間違って攻撃をしないように指示された建物もある、各務原飛行場滑走路南西端の格納庫群や

岐阜県南部東海道線鉄橋などである。(上は金華山から見た長良川 下は右岸から見た東海道線鉄橋)

ターゲットとしてリストされていないとある。

(この写真は絵葉書を利用したと思われる)

 

この地図は開戦1年前には完成していたようで、早くから日本との戦争を考えて情報収集していたことが

伺われます。

 他の写真や戦術作戦任務報告書には日本軍の反撃の様子が分かる資料もあり調査を進めています。