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長良川相戸堰堤近くで生まれ育ち、長良川をこよなく愛する老人のブログです。

 美並FのHPはこちらですhttp://www.satsukimasu.info/  うお座 うお座  

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2017年04月24日(月)

今日の長良川2017 #01

テーマ:サツキマス釣り.本流釣り.あまご釣り

今年もお会いできました。(4月24日中央管内)

最初に入ったポイントに着くとルアーマン2名とぶっこみの方がやっていました。

ルアーマンの方が上流に移動したので1時間ほどやりましたがウグイが2匹釣れただけで

本命のアタリはありません。

2kmほど上流に移動して深場を探りましたが反応はありません。少しづつ下流に移動して探りましたが

ダメでした。

更に下流の水深の少ない1.5mほどのトロ場の始まる場所に移動して2投目「懐かしいアタリ」が出て

合わせを入れると水中で白い魚体が見えた。

上流に走る魚を岸側に移動させながら慎重に獲り込みました。

少し小さいが体高のある美しい魚体です。今年も会えて本当にうれしい。(*ノωノ)

 サツキマス36cm 戻り27cm

 

 

竿 ダイワエアーマスター95-100 道糸1.0号 下5m 0.8号 オモリ4B2個 針カツイチ サツキサクラM

エサ 小さいミミズ2匹掛け 

サツキは塩焼きで家族で頂きます。 祝杯は少したくさん飲んで疲れを取ることにします~

 

 

 

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2017年04月02日(日)

今日の長良川17.04.02

テーマ:サツキマス釣り.本流釣り.あまご釣り
 気の早い3人が様子を見に行きました。
昨年は4月3日(日)でしたから
まだ1ヶ月早いことは分かっていたけど。  アタリもなく終了。
今年も昨年に続き伊勢湾の小女子漁は中止となっています、サツキは伊勢湾でこれらの小魚を捕食して急激に成長しますから今年も厳しいかも知れません。

 

 

 

 雪代もあり水温は低かった。
 
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2017年02月27日(月)

長良川(岐阜新聞記事)

テーマ:サツキマス釣り.本流釣り.あまご釣り
 2017年2月27日に掲載されていました。

 
 
思った以上に「サツキマス」は少なくなっているようです。
川鵜による食害とか河口堰とか考えられているようです。
他に気温上昇による水温の変化などがあるようで伊勢湾の水温も年々上昇しているようです。
以前と比べて変化の激しいのは水辺の環境です。近年洪水の恐れから竹藪などの伐採が始まっていますが、かっては燃料として利用され定期的に刈り取られており川原に藪は少なかったのです。
また美濃市から下流地区では川床の浚渫が進み大きな石は護岸工事の材料として利用され流れに変化が無くなりなだらかな流れに変化しています。
魚たちのとっては外敵から狙われやすく住みにくい環境になっています。
 サツキマスに限らずあらゆる水生生物に厳しい状態と思います。
 
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2017年02月06日(月)

各務原空襲Ⅲ 

テーマ:戦時資料調査
各務原の爆弾写真 撮影日に付いて
 

各務原空襲を伝える米軍1トン爆弾の爆発写真として紹介され多くの本に掲載されていた写真は日本軍の爆弾だったことが分かりました。

B29爆撃機の撃破を狙って上空より投下されたが目標の下方で爆発した瞬間を狙われた爆撃機が偶然撮影したものです。
 

写真①が撮影された日時を手元にある資料から推定したいと思います。

雲やその影がまったく映り込んでおらず良い天気だったことが分かります。

爆発閃光により地上部分の写りが「かぶって」おり露光不足となっています。

閃光の下に写っている誘導路と新境川の堀切土手の深い谷間に注ぐ太陽光線と川に架かる橋の影から時間と日付を推定したいと思います。
写真②

前ページの写真を拡大したものです。

砂利舗装されたA部分と未舗装と思われるB部分の建設状況から日付を想定します。

閃光の下に白く写っているA部分は砂利舗装された誘導路です。B部分の未舗装誘導路も完成して南の方角に伸びており掩体壕も確認できます。
写真③

写真③は昭和20年4月5日に陸軍により撮られたものです。

誘導路A部分とその付近に掩体壕が構築されていますがまだB部分の工事は始まっていません。

従って4月5日以降だったことが分かります。この写真には西飛行場の北側にあった対空機関砲陣地や現市役所の東にあった高射砲陣地も確認できます。

写真の裏書き

爆発閃光写真の裏書から注意勧告されたのは20年7月6日となっていますから

4月5日から7月5日の間に撮影されたと考えられます。

以前、各務原市で調査された資料によると上記の期間でのB29の飛来は4月9日と6月22日、6月26日となっています。4月9日は地区が離れていますから除外して当該日は22日と26日となります。

次に天候に付いて調べてみると22日の爆撃写真には全てのカットに雲が写っていたり

雲の影が入っていますし、当日の爆撃概要報告書にも雲が多かったと記載されています。

閃光写真は天候の良い日だったことから26日の可能性が高いと思われます。

写真④は26日に作戦中のB29から9時54分に撮られたものです。

フィルムには撮影情報が書き込まれています.

第21爆撃集団、ミッション番号228、320番垂直、6月26日、9時54分、高度4700m、北緯・東経、カガミガハラ、部外秘などがわかります。

新境川の堀切水路の土手と架かる橋が作る影と誘導路付近の建物で爆発閃光写真と26日の爆撃写真を比較してみます。当日の岐阜地区の南中時刻は11時50分です。

右の写真は少し露光不足となっていますが新境川の土手に当たる光線の状態や左下に写っている那加橋の北側にできた影がほぼ同じだと考えられます。

誘導路付近の建物の工事の進行状況もよく似ています。

その他の建物が作り出す影も似ており、太陽の方位と角度は、ほぼ同時刻だったことが分かります。

決定的な確証は得られなかったが、これらのことから閃光写真が撮影された日は昭和20年6月26日の爆撃中、午前9時12分~10時00分の間だったと結論しました。

≪参考≫

国会図書館デジタルアーカイブ、国土地理院

 
 

 

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2017年01月17日(火)

長良川中央管内雑魚年券

テーマ:サツキマス釣り.本流釣り.あまご釣り

   長良中央年券を購入しました


上州屋関店で年券を購入しました、2500円です。
漁協から機械を借りているそうで、その場でラミネート加工していただけます。
これで、準備万端です。

 

 

後は体調のみです。
郡上漁協は組合員なので3月頃に郵送されて来ます。
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2017年01月12日(木)

釣り人生最後の竿、エアーマスター95-100

テーマ:サツキマス釣り.本流釣り.あまご釣り

   あと何年長良川を楽しめるかわからないのに買ってしまいました。

今年はこれでいきます。

 

 

 

 このお店に未開封在庫がありました。

¥123840円(税別) 少し振ってみましたが、以前所有していた先代95-100とは全く別の感じがします。先代には無かった替え穂先も付いておりありがたいことです。

後は体調を整えてシーズンを待つのみです。 \(^o^)/

 

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2016年11月10日(木)

各務原空襲Ⅱ 

テーマ:戦時資料調査
      実は日本軍「燐爆弾」
各務原空襲を伝える米軍1トン爆弾の爆発写真と紹介され多くの本に掲載されていた写真は日本軍の「3号爆弾」で「タ弾」とも言われていたものと分かりました。B29爆撃機の撃破を狙って上空より投下したが目標の下方で爆発した瞬間を狙われた爆撃機が偶然撮影したものです。写真を不自然に思い一年ほど前から調査をしていましたが岐阜市内の戦時研究家の協力を得て原画の所有者が判明し、写真の裏書から証明されました。
11月1日号中日新聞や11月2日の岐阜新聞で大きく取り上げられました。
(原画写真①)左が北、上が東で爆撃機の進行方向

(原画写真②裏書き) パイロットに注意勧告された日付は7月6日とある

(原画写真の現在地図)

(中日新聞11月1日)

(岐阜新聞11月2日)

この写真が撮られた日付けを特定できないかと調査をしてみました。
この写真は爆発閃光により地上部分の写りが「かぶって」おり露光不足となっています。
閃光の下に写っている円形誘導路から日時を特定できないかと調べました。
大戦末期には東西飛行場から各方面に誘導路が造られ、無蓋掩体が構築されていました。
(写真①)

閃光の下A部分に誘導路の砂利舗装部分が写っておりB部分から南は未舗装の状態で写っています。
(写真②)

この写真は陸軍が昭和20年4月5日に撮影したものですが写真①のA部分は完成していますがB部分は未完成ですから4月5日以降に撮られたことになります。
(写真③)

この写真は昭和20年6月26日9時54分に作戦中のB29から撮られたものです。
当日の爆撃概要報告書から爆撃時間は9時12分~10時00分で、終了間際です。この写真には当日の爆撃目標は写っていません、この後機体は右に旋回して爆撃コースに入り、機長は機体の進路コントロールを爆撃手にゆだねます。目標上空まではおよそ2500m~3000mほどです。爆撃手はノルデン爆撃照準器を操作して機体の進路をコントロールし指定された目標上空に到達します。爆撃照準器には気温、風速、風向、高度、機速、爆弾の種類などが入力されています。機長は水平飛行を維持することに専念します。
機体は中央の白いライン旧中山道21号線に沿って進み目標上空達しました、高度は4500mから5300mです。国道の左側には高射砲陣地、右には対空機関砲の陣地が写っています。
〇印の中に掩体壕が写っていますが上の物は大型機と小型が下の物に小型2機が格納されています。誘導路も鮮明にみられ写真①に近いと思われます。
(写真④)中央左の掩体壕の中に(写真③の〇印)飛行機がみれる

写真③を拡大したものです。畑の中に伸びた誘導路や川に架かる橋の影からもほぼ、この日時だと推測できます。
さらに特定するため過去に調査された資料も参考にします。
(写真⑤)

この報告書は平成11年3月に各務原市から発行されたものです。
B29爆撃機の飛来は4月12日、6月22日、6月26日と記録されていますが4月12日は地区が違うため除外し6月22日と26日が残った当該日となります。
次に当日の天気をみてみます。
原画写真や写真③には高空から撮られたのに雲は映っておらず、地上にも雲の影は見られませんから快晴かそれに近かった好天だとわかります。
22日の爆撃概要報告書の任務218号、任務219号とも雲量50%と報告されており当日撮影された写真にはすべてに雲が映っていますが、26日の任務228号、任務231号は快晴と報告され雲量は0%~30%とされており、雲は映り込んでいません。
また新境川の深い堀切水路に注ぐ太陽光線や那加橋の北側にできた影もほぼ同じと思われます。
これらのことから昭和20年6月26日9時12分~10時00分の間に撮影されたものでしょう。写っている影からも午前中の撮影だったことがわかります。
 
この燐爆弾の攻撃は何処の基地から発進した戦闘機だったのか、B29の撃破を試みた
パイロットは誰か 戦闘詳報を探したいと思います。
この日は東海地区だけでもおよそ350機のB29が飛来しており、硫黄島からはP51戦闘機も警護に出撃しました。
 
 
<参考とした資料>
国立国会図書館デジタルアーカイブ
各務原市民の戦時記録
各務原市民の戦前・戦中・戦後史
国土地理院国土返還アーカイブ
 
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2016年10月05日(水)

各務原空襲Ⅰ

テーマ:戦時資料調査

      

写真から知る各務原空襲(昭和20年6月22日、26日)

 

B29爆撃機から撮影された写真から各務原空襲を知ります。

爆撃写真は全て上が東でB29の進行方向で、

西方から進入して東方に退避しました。写真①~⑤

(時間、高度、重量は日本表記としました)

 

写真①(22日爆撃中)


この写真は昭和20年6月22日9時23分高度5500mからB29の機体後部に

搭載されたK20型カメラにより撮影されたものです。

この日、各務原に飛来したB29爆撃機は飛行場周辺の

川崎航空機工業、三菱重工業を中心に爆撃しました。

第1派はテニアン島基地から出撃した17機が9時16分~9時18分の間に

2トン爆弾を90トンを三菱重工各務原工場に投下しました。

第2派もテニアン島基地から出撃した21機が9時19分~9時23分の間に

2トンと1トン爆弾を合計144トンを川崎航空機工業に投下しました、

時間にしてわずか7分間の出来事でした。

写真①は第2派の爆撃機が撮影したもので、先発隊の投下した

爆煙に覆われていますが左側の上下の白線は蘇原街道、横線は関街道、

蛇行する境川も確認できます。中心の爆煙は川崎航空機北工場付近で

写真上の爆煙は各務山付近で現在の蘇原中央町です。

〇印の中に大型爆弾の爆発閃光が写り込んでいます。

名鉄電車線の南で大型機の飛行場搬入通路の直ぐ東です。

戦後撮影された米軍航空写真では直径20mほどのクレーターがみられます。

この写真には赤星山の防空壕が破壊された直後の爆煙が写っています。

この防空壕では多くの方が亡くなっています。一部の書物では狙って爆撃されたとの記述が書かれていますが米軍がこの地区に地下施設があって攻撃対象としていたのならLC爆弾やGP爆弾ではなく別の爆弾を複数投下したでしょう。これはすぐ近くの工場を狙ったが外れたものだと思われます。これ以外にもすぐ南側に外れた爆弾で出来たクレーターが複数ありました。

写真②(爆撃4時間後)


この写真は6月22日13時39分に高度8000mから撮影されたものです。

(撮影 第21爆撃兵団 司令部グアム島)

爆撃後をわずか4時間後にその成果を確認するために飛来したものです。

〇印の中は蘇原東島池で白く写った雲の下は各務山です。


当日の天候の雲量は50%前後と記録されており、黒く写っている部分は
日陰になっていた地上です。
 

写真③(爆撃4時間後)


この写真も6月22日13時39分に撮影されたものです。

画面、上の黒く写っている建物は川崎航空機北工場の

大型機組み立て工場です。

東の建物は損傷が激しく、西側の建物も損壊がみられます。

右側に国道21号線と名鉄電車線が写っていますが、

三柿野駅北側と南側は特に激しく破壊されているようにみられます。

線路がアメのように曲がっていたとの証言があります。

当日駅に勤務していて、近くの防空壕で難を逃れた職員さんは線路南側にあった対空機関砲陣地が爆撃後には跡形もなく吹き飛んでいたと証言もされています。

川崎航空機中工場付近の建物も損傷が激しかったことが分かります。

また飛行場と北工場を繋ぐ連絡通路付近の線路上には

大型爆弾で出来た損傷がみられます。

この2枚の写真は撮影時間と高度からB29爆撃機を改造した

F13型偵察機による撮影と思われます。

この時撮影された写真から建物の破壊状態を詳しく調べ、

26日の爆撃計画が練られました。

26日の爆撃では大型の2トンや1トン爆弾が使用されなかったのは

この写真から得られた情報で、ほぼ目的を達成したと考え、

残存する工場群には250㎏爆弾を多量に投下する作戦計画を立てたことが

考えられます。

 

写真④ (26日爆撃中)

この写真は昭和20年6月26日9時30分 高度4900mで爆撃中のB29から

撮られたものです。この日の第1派は9時12分~9時55分で70機以上の

B29がテニアン島基地から出撃して250㎏爆弾を400トン以上を

三菱航空機及び周辺工場に投弾しました。

第2派は9時26分~10時00分でグアム島基地から出撃した

B29、35機が250㎏爆弾を167トン川崎航空機工業と周辺工場群に投弾しました。

上記の写真には爆煙が写っています。爆煙の下は川崎航空機工業と

陸軍技能者養成所付近と思われます。

中央右側の飛行場主滑走路は不鮮明に写っていますが

大戦末期各務原飛行場主滑走路は迷彩塗装が施されていました。

昭和19年11月23日に撮影された米軍偵察写真には鮮明に写っていますが

昭和20年4月5日陸軍により撮影された写真には迷彩されていますから

この間に塗装が行われたことが分かります。

また、一部の工場屋根も迷彩塗装されていました。

飛行場周辺に造られた掩体壕とそれらを繋ぐ誘導路も写っています。

写真④の〇印の中に22日の大型爆弾で出来たクレーターがみられます。

すぐ西側の技能者養成所に投弾されたものが目標を外れたものです。

 

写真⑤


こちらの写真も26日の爆撃中に高度4700mから撮影されたもので、

写真④の〇印付近を更に低高度で撮ったものです。

〇印内にクレーターが写っています。右下の破壊された工場は

陸軍技能者養成所で、木造であったため基礎部分が残るのみです。

右上に各務原東飛行場の北西端が写っていますが道路の北側に掩体壕が

造られており小型機が格納されています。

滑走路の隅に大型機がみられますが損傷して掩体壕まで移動出来ないため

放置されたようにみられます。

 

写真⑥(昭和22年米軍撮影)


写真⑤の昭和22年11月の状態です。

飛行場は畑として開墾が進み、技能者養成所跡地には小屋が立っており

入植が始まっているようです。その後、当該地は住宅地として開発されました。

爆撃で出来たクレーターも少しづつ埋め戻されています。

 

写真⑦

図面①


こちらの写真⑦と図面①は1945年年7月24日にカーチスルメイ司令官から提出された、

「戦術的任務報告書」に添付されているものです。

黒く塗りつぶした「全壊」から「軽微な破壊」まで建物ごとに色分けされています。

詳細な報告書が添付されており被害がほぼ全域にわたっていたことが分かります。

東島池の近くに三角形をした公園らしき植え込みが2ケ所ありますが、

この中に多くの飛行機が破壊された状態で放置されています。

一部の機体には北側に影が見られる物もあります。

影があるのは飛行機がまだ立っていることを表していますが

損傷の程度は分かりません。

機体は出口に向かって並んでいますから空襲警報で急いで入れたのではなく

駐機場として利用されていたことが分かります。

〇印の中は川崎重工本館ビルで屋上に破壊を示すマークが書き込まれています。


この建物は損傷が激しかった東側は取り省かれ一部2階建てとして修復され、
現在も使用されていますが、耐震性の問題もあり取り壊される予定となっています。

 

写真⑧  昭和20年撮影と現在の同一建物


この写真は戦後、米軍調査団が現地調査を行ったおりに撮影したもので、

建物は川崎重工本館ビル北側の鉄骨作りの工場です。

写真⑦の破壊評価報告書では軽微な損壊と報告されていますが

実際は鉄骨の骨組みと屋根の一部が残るのみでほぼ破壊されています。

当時の撮影位置は本館ビル3階屋上で背景は蘇原地区北部の山並みです。

ほぼ同位置で撮りましたが1階低くなっていますから屋根や背景は少し違います。

 

写真⑨他の写真


調査団は多くのカットを撮影しています。

一部の写真には説明文もあります。

骨組みだけの工場内に残った完成間近の排気タービン付戦闘機。

左脚はなく、台座の上に乗っています。左の翼も支持棒によって支えられています。

右は鵜沼三ツ池町内の神明神社境内にあった飛燕戦闘機のボデー、

右前部の四角い機関砲弾倉取り出し穴と扇型の発動機後部点検扉からキ61飛燕と

分かります。市内各所に分散して保管されていました。

 

           戦後71年  秋

 

 

 

≪参考とした資料≫

・国立国会図書館デジタルアーカイブ占領軍関係 

・国土地理院航空写真国土変換アーカイブ 

・ 小山仁示訳日本空襲の全容

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2016年07月04日(月)

今日の長良川0704

テーマ:サツキマス釣り.本流釣り.あまご釣り
久しぶりに行きました。
上流地区で本流アマゴに挑戦しましたがチビあまごのエサ取りが多くて苦労しました。

ほとんど平水で超透明 条件は最悪でした

何とか塩焼きサイズをゲットしました。アユ釣りの方が入るまでの勝負です。

綺麗な本流アマゴです。


 

竿 エアーマスター85-90 糸シーガーグランドマックス0.8 ゴム張り4B2個 

針カツイチさつきL  ミミズ
塩焼きで頂きます。


今年は半世紀以上にわたる釣り人生で記憶に残る、二番目に悪い年と思います。

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2016年06月08日(水)

焼夷弾慰霊碑

テーマ:戦時資料調査

  焼夷弾の慰霊碑と呼ばれていますが実は陸軍100キロ爆弾でした

 かねてから、不思議に思っていた各務原市神置町の慰霊碑の上に乗っている
米軍M47 100ポンド焼夷弾と呼ばれる爆弾について「全日本軍装研究会」の方と地元の田中さんの協力を得て調査をしました。

戦没者の慰霊碑に敵国の爆弾を乗せるとは考えにくく疑問に思っていましたが念願がかなって本日現地で計測して頂き結論がでました。
旧陸軍 100kg爆弾でした。
私も触ってみましたが100ポンド焼夷弾より弾殻が厚く明らかに爆弾でした。
また 弾体前部分に炸薬を装便するネジ切りがしてあり、前部で分割できます。
現地での調査の様子

 

 

弾底信管も付いていましたが当然火薬は入っていませんよ。信管には小さなプロペラが付いており落下する時に回転して安全装置が解除される仕組みです。


地元の方には建築時のエピソードなど聞き取り調査をして頂き
爆弾の入手経路も分かりました。
近くの川原で投下された物を回収して戦後に利用したとのこと。
尾翼、飛行安定板には落下時に損傷があったらしく
修理がされていました。

寸法や状態は後日に明記いたします。
ネット等では焼夷弾と認識されていますが
今後 この情報は関係向きにも発信予定です。

また同日 調査を試みた 航空宇宙館西側ホッケー場の近くの山すそにある
複数の防空壕とそれらを繋ぐ無数のトレンチについては雑草が枯れる冬場に
再調査を予定しています(各務原飛行場通信施設)。

クリック→       各務原空襲 昭和20年7月30日  (グラマンF6FとTBM3)



追記  2016/10/02
  岐阜空襲で投下されたM47型焼夷弾(岐阜市立中央図書館にて撮影)
不発弾として回収されたもの。投下の衝撃により変形しています。
懸垂フックとベルトも違います。燃焼材を入れるケースですから叩くとカンカンと音がします。
通常はJR岐阜駅構内の資料館で展示されています。


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