多読書評ブロガーの石井です。
なんで山田ズーニーさんの書く描写は自分のこんなにも痛いところをついてきて共感してしまうのだろうと思い、山田ズーニーさんの文章を少し研究してみました。
研究結果を一言で言うと以下のようになりました。
「掘り下げた感情・葛藤に応じた動きがあり、
読む人の奥の「痛い」ところに届く文章」
注)石井の独断と偏見によります。。。
分かるような分からないような、以下解説します。
■文章に対する自分の反応を書く
読者の投稿文にたいして、ズーニーさんが呼んだ直後に感じた感情や、動作など、どう反応したかの部分が行動レベルで描写されます。
例)
じーんと打たれて、しばしその場を動けなくなった。
この文章を読んで胸痛く、気づきのように受け取ったメッセージがある。それは「枠に挑んでいるか?私」
(「おとなの進路教室」より)
■読者の文章とどう対峙したかを表現
そうすることで、単なる引用や解説ではなく、ズーニーさんという「人」がその文章にどう対峙したのかという「姿勢」が伝わってきます。
■葛藤を描く
また何かに取り組むときのポジティブなおもいとネガティブなおもいとその両面を描き、それを乗り越えていくためにどうしていくのかというストーリー構成になっています。
両面を描く、自分の中のプラスとマイナス、その両者の中でのせめぎあい・葛藤を掘り下げて描いてあります。
そこがいわゆるポジティブ思考だったり、一方的な目標指向を押しつけるような文章とは違う説得力がでてくるんですね。
物事には必ずプラスとマイナスがあり、その葛藤の中で人は常に何かを決断し、選択し続けて生きているのだというようなことを思い出させてくれます。
例)
表現しなければ生きられない。しかし、自分の想いや考えをさらすことは、裸を通り越して、めくれた身体の内側をさらすようなものだ。そこをたたかれると飛び上がるほど痛い。でもそこに通じあう喜びもある。
(「おとなの進路教室」より)
■人の感情のパターンは限られている
先日おつたえしたセドナメソッドを見ても、共感という感覚は、「痛覚」を利用して成り立っていることなどを考えても、人の感情や思いのパターンて限られていると思うんですね。
だから山田ズーニーさんの表面的な行動の奥にある葛藤や思いを掘り下げて記述した文章が、普段何気なく過ごしている自分の日常の奥にあるものと一致して、自分の心に刺さってきてしまうのです。
■ということで、ズーニーさんの文章をまねる方法
(1)葛藤を表現する
自分の中の葛藤を描いてみる。人の葛藤に思いを巡らせて表現してみる。
なんでこれが好きなんだろう?なんでこれをやってみようと思ったんだろう?やる前に躊躇した理由みたいなものはあるだろうか?などなど
(2)感情、動作を表現する
ものに対峙したときの自分の感情を観察し、動作で表現しみる。
なにか感情にふけったときに自分はどういう姿勢やポーズや行動をしているだろうか?
人の感情って、背中を丸めて下を俯いて姿勢によって制限されるので、結構ポーズとか、内蔵感覚的なものを掘り下げてみると面白いかもしれません。
【参考エントリー】
・■書評■「大人の進路教室」山田ズーニー
・■書評■「理解という名の愛がほしい」山田ズーニー
【本日の参考書籍】
「大人の進路教室」山田ズーニー
河出書房新社
売り上げランキング: 26132
「仕事に対する意欲が落ちたな」と思った時に読むといいかも
自分探しで行き詰ったら・・・・
進路変更に直面してしまった「おとな」向け
意思のある選択
【編集後記】
先週さっくんから言われてドキッとした一言。
「さっくんはパパの帰ってくるのが遅いとさびしくなっちゃんだよお」
早く帰りま~す!!
本日も最後までお読み頂き、ありがとうございます。
多読書評ブロガー石井