「然れども大器は晩成なり明治三十九年再度中学参年級を御勉学あらせらる 御性温厚篤実体操点六拾弐点也 笑ひ給へば二本の牙を露出し給ひ宸怒あれば臼大の尻を有する下女の類をすらおそれしめ吹けば滔々半日に及び給ふ
近眼十八度明治四十一年三月眼鏡を初めて使用ならせらる
実に模範的好デカダンなり」


書かれた日付ははっきりしていて、明治41年5月28日。同年3月24日に撮影された記念写真の台紙の裏に記された「佐藤春夫殿下小伝」と題された文章の一節。自身を「天皇」になぞらえて戯画化、最後に「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」とある。
文中の「宸怒(しんど)」とは、天子がお怒りになること、「吹けば」とは、「ホラを吹く」の意。「二本の牙を露出」するとは、春夫がややソッ歯気味だったのを、戯画化したもの。新宮中学3年級で落第したことも述べている。「デカダン」は、虚無的、退廃的な生活態度を表す当時の「危険思想」であるが、同時にそれは、道徳的に反してでも、芸術的な美を求める矜持(きょうじ)にもつながる。一緒に写真に収まっているひとりは、先輩の中村楠雄。後に軍人となり、春夫初恋の人大前俊子を伴侶とする人である。