流離の翻訳者 果てしなき旅路

流離の翻訳者 果てしなき旅路

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴15年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な独り旅を継続中

先日、雨の晴れ間を縫って藤の花を見に行ってきた。市内の「吉祥寺(きっしょうじ)」という藤の名所である。ここには初めて来た。

 

紫の花は既に終わっていたが、白とピンクの花が見頃だった。白い藤の花にはそこはかとない気高さ感じられた。境内で売られていた藤の香のソフトクリームがなかなか美味しかった。

 

 

 

 

 

外出するときにいつも感じるのだが、女性は化粧など含めて出掛ける準備に何かと時間が掛かるようだ。

 

いつも「あと5分待って!」などと言われるが、それが大抵10分になり20分になる。それでいて、いざ車を発進させると「これを忘れた!あれを忘れた!」などと言い始める。まことに困ったものである。

 

以下は、そんな「化粧」が基本的な人類の特徴の一つである、と考える東大の英作文の問題である。あらためて「そうなのか?」と思ってしまう。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部を英語に訳せ。

 

人類には、おそらく、生活の中に多少の閑(ひま)の時間を見出した前史時代から、生まれながらの顔に対して化粧をほどこすという風習があった。これは、他のいかなる動物にも見られないことである。二本足で立って歩くとか、言語を話すというのと同じような、基本的な人類の特徴だろう。

(東京大学・1997年)

 

 

(拙・和文英訳)

Probably, human beings have had a custom of applying makeup to their natural faces since the prehistoric times, when they found some free time in their lives. This custom is not found in any other animals. It may be one of basic characteristics of human beings, just like to walking on two legs or speaking a language.

学生時代に歯が立たなかった「日本の思想」(丸山真男著)を、昨年40数年ぶりに何とか読破した。読破したと言っても、書いてあることが何となくわかった、というだけである。それにしても難解極まる本だった。

 

 

今は、経済学部に進学するのに文系と理系の両方から学生を募集する大学が多くなった。東大、京大、阪大、一橋大、東北大、九大、神戸大など一流大学が多い。

 

我々の時代、経済学部は文系からの募集だけだった。但し、経済学部はその必要性から教養部で数学を原則必須としていた。原則というのは「履修した方が望ましい」程度の意味である。その当時の数学のテキストが以下の二冊である。

 

①「位相解析入門」(入江昭二著・岩波書店)

②「経済のための線形数学」(二階堂副包著・培風館)

 

数学の最初の授業に出てみた。教官は理学部出身の助教授。内容は高校数学から全くかけ離れたものだった。最初から「なんじゃこりゃ~」ということになった。

 

数学が得意のつもりでいた自分のプライドはひどく傷ついたが、周りにもそんな学生が多かったと思われる。結局、自然科学うちの一科目は数学ではなく別の科目で単位を取得した。

 

特に「位相解析入門」については、今読んでみたところでちんぷんかんぷんだろう。

 

 

 

 

以下は、そんな「歯が立たない本」に関する東大の英作文の問題である。著者の吉田洋一氏(1898‐1989)は、数学者・随筆家らしい。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部を英語に訳せ。

 

本がわかりにくいとき、それが本のせいではなく、読者の方が未熟であるためのことがないではない。こういう場合には、読者自身の成長する日を待つよりほかに手がないであろう。同じ本を年月を経てから読み通してみると、よくわかって面白かったという経験をもつ人は少なくないと思われる。

*吉田洋一「気儘な読書法」

(東京大学・1990年)

 

 

(拙・和文英訳)

When a book is difficult to understand, it's not because the book is too difficult, but because the reader isn’t mature enough to understand it. In such a case, there will be no choice but to wait for the day when the reader himself will grow mature. It seems that not a few people have had the experience of finding a difficult book well understood and interesting, when reading it again after many years.

ここ二日雨となった。先日「衣替え」をしたばかりだが気候は少し肌寒くなった。まだまだ半袖というわけにはいかない。

 

 

翻訳会社に勤務した頃、ベテランの和訳専門の女性翻訳者がいた。若かりし頃は東京・丸の内でBG(ビジネス・ガール=OL)をしていたという。

 

彼女は、和訳であれば契約書などの法務文書から技術的な文書まで何でもこなした。パソコンは使えなかったがワープロを巧みに使って実にスピーディに訳文を仕上げた。

 

彼女がよく言っていたのが「私の訳文はあくまで一次翻訳。直訳なのでしっかりチェックしてください。」ということだった。確かにその通りだった。

 

ただ、直訳ではあれ、とにかく早く一次翻訳が上ってくるので随分と助かった。まあ、確かにチェックには時間が掛かったが……。

 

 

以前、紹介した東北大の英作文問題の出典「歴史をかえた誤訳」(鳥飼玖美子著・新潮文庫)を読んでみた。

 

この本、通訳のみならず翻訳についても、かなり蘊蓄の深いことが書いてありなかなか面白い

 

翻訳のジレンマを女性に喩えた言葉『不実な美女か貞淑な醜女か』というものがある。昔からある表現らしい。

 

「原文という夫」に忠実な「訳という名の妻」はえてして見た目は醜く、誰が見ても美しい妻にかぎって夫に忠実とは言いがたい、という意味である。なかなか、「言い得て妙」な言葉だと思う。

 

昼食のついでに久しぶりに郊外まで車を走らせた。それにしても黄砂が酷い。遠くの山々まで霞んで見えた。黄砂がなければどんなにか穏やかな春の日だろうか、と恨めしい気持ちになる。

 

 

昼食を終えて農協系のスーパーに立ち寄った。入口付近にメダカなどの小魚が売られていた。何となく5尾入りのパックを買った。これで家の水槽が少し賑やかになる、と思うと小さな幸せを感じる。

 

 

スーパーで家内と買い物をしていて、いろんな人々の行動を見ていると少しづつ気分が晴れてきた。ここ数日、軽い「鬱」状態だった。何もやる気が起こらず寝てばかりいた。「春眠不覚暁」ではないがやたらに眠かった。

 

 

とどのつまり、人は皆、目の前の小さな目的のために行動している。その目的が自分のためのものであることもあれば、他人のためであることもある。そんな小さな目的を果たしていくことが「生きる」ことなのだ。あらためてそんなことを感じた。

 

 

近所に神社の祭りの幟が立ち始めた。「曽根の神幸祭」というものだ。暴風雨により未曾有の被害を受けた曽根新田の鎮守として、綿都美神社を造営し、五穀豊穣・風鎮汐留祈願の大祭を行ったことが始まりとされている。祭りは5月のGW中に行われるらしい。

 

思えば、昨年もこの祭りはあった。あっという間に一年が経っていた。時間は容赦なく過ぎてゆく。残り少ない時間。少しでも大切にしなければ。

 

 

頭の中の黄砂の嵐の中でそんなことを考えた。

 

先日、長崎県の波佐見焼の窯元を訪ねてきた。自宅の食器などで必要なものを買い揃えるためである。高速を使って2時間余り、ちょっとした小旅行となった。

 

家内に確認すると、前回から4年半ぶりくらいだったらしい。波佐見は観光施設や飲食店もかなり増えて少し賑やかになっていた。

 

 

前回、土日が休みのため行けなかった「白山陶器」で気に入ったものをいくつか見つけた。結局、「あれも欲しい、これも欲しい」となり結構買い込んでしまった。

 

帰り道、佐賀県嬉野の日帰り温泉に立ち寄った。ぬるっとした泉質で気持ちが良い。運転の疲れも少しとれた気がした。

 

帰途、高速道路から眺めた春の夕暮れがとてもきれいだった。「春宵一刻値千金」といった雰囲気である。

 

 

 

常日頃、「何か本を読もう」とか「何か勉強をしよう」という意欲はあるのだが、なかなか最初の一歩が踏み出せない。これは「読書」「勉強」が、楽しいものではなくある種の「苦行」として認識されるからだと思う。

 

若い頃から、もっと楽な気持ちで「読書」「勉強」に取り組めていたら、人生はどれくらい違っていたであろうか。そんなことを時々思う。

 

 

そんなことをテーマとした英作文の問題を見つけた。随分昔の東大の問題である。

 

(問題)

次の日本文の下線部を英語に訳せ。

 

私たちには、勉強はしんどいもの、今苦しくとも将来のためにがんばるものといった刻苦勉励型のイメージがしつこく残っています。考えてみれば、将来の幸福のために今苦しむという形でしか勉強を受け入れられないのは不幸なことなのです。私たちはただそれにならされてきただけではないでしょうか。

*野村庄吾『スコットランドの小さな学校』

(東京大学・1991年)

 

 

(拙・和文英訳)

We persistently have the image that studying is hard, and that we should do our best for the future even though it is hard now. But, when we think about this, it is unfortunate that we can only accept studying in the form of trying hard now for our happiness in the future. Haven’t we just got accustomed to doing such things?

朝は曇り空だったが午前中から雨となった。市内の小・中学校や県立高校でも始業式が開催されたらしい。制服姿の中・高校生を久しぶりに見た。天候面では生憎の新学期のスタートとなった。

 

 

桜のシーズンが過ぎ去ろうとしている。3月下旬に京都に行ったことが随分昔に感じられるくらい、季節はここ二週間ほどで桜とともに春へと入れ替わった。まあ、そんな思い出が残るからこそ旅は楽しいのだが。

 

 

しばらくブログから遠ざかっていた。年度が替わって少し思うところがあったからだ。振り返れば昨年度は怠惰に過ごしすぎたように思う。

 

読了した本も少なく勉強らしい勉強もできなかった。時間は有り余るほどあるのに何ら生産的なことができなかった。金融・経済分野の翻訳の試験にも3度挑戦したが、結局合格することができなかった。反省するところが多い一年だった。

 

とにかく「千里の道も一歩から」の気持ちを忘れずに、最初の一歩を踏み出す勇気を持って計画的に今年度を生きてゆこう。

 

 

少し古い写真を眺めていた。家内と過ごしたここ7年ほどの思い出が蘇ってきた。近郊ばかりではあるが、色々な場所を一緒に訪れた。旅先で買い求めた数々の焼物や食器など。それらを眺めているだけでも当時の情況が思い起こされる。

 

 

思い出を振り返るのは自分の習性だが、決して悪いことだとは思っていない。今年度もそんなスタンスでブログを続けられればと思う。

 

一昨日の夜の猛烈な雷雨がまるで嘘のように、昨日は青空が広がり桜も八分咲きの華やかな年度初めとなった。かねてより桜の下で家内との記念写真の撮影を予定しており、桜咲く好天の下、万事滞りなく撮影を終えることができた。

 

撮影はプロの写真館にお願いした。撮影場所は自宅から近くの「昭和池」というところ。花見客もさほど多くなく、桜の花びらが風に舞う中、美しい思い出を映像に残すことができた。

 

 

午後から地元の筍の名産地「合馬(おうま)」へと向かった。車で30分くらいのところだ。何年か前に買った同じ店で、今年も旬の筍を購入することができた。夜は家内が腕を振るい、久しぶりの「筍ご飯」である。筍は子どもの頃からの好物である。

 

こうして今日も穏やかな春の一日が過ぎていった。

 

 

(問題)

あなたの住んでいる場所について、2つの段落からなる文章をそれぞれ50~70語程度の英語で書きなさい。

 

(1)第1段落ではその場所の好きな点とその理由を具体的に述べなさい。

(2)第2段落では嫌いな点とその理由を具体的に述べなさい。

(東北大学・2003年)

 

 

(拙・解答例)

(1) Kitakyushu, where I was born and brought up, has a mild climate and few natural disasters. In addition, although it is an ordinance-designated city, the cost of living is not so high and there are many hospitals, which makes it an easy place to live in. Further, Kitakyushu is blessed with products from the mountains and seas, and the food is delicious. That’s why I love Kitakyushu. (67 words)

 

(2) However, I have some complaints about Kitakyushu. Kitakyushu has been experiencing a declining birthrate and an aging population. In addition, young people are concentrated in the city center, while only the elderly people can be found in the suburbs. Such regional disparities should be corrected, and Kitakyushu should be transformed into an attractive city for young people by establishing new educational institutions and attracting large companies’ facilities. (67 words)

 

小倉南区/貫川沿いの桜(2024.4.2)

 

京都市内には、市バス、京都バス、京阪バスなど様々な会社のバスが運行している。今回の旅行ではバスによく乗った。

 

バス停を探したり、バス停から観光地まで歩くことも多く、歩数が20,000歩を超えた日もあった。日頃マイカー中心の生活をしている私にとっては、かなりの運動量だった。

 

どのバスも観光客で溢れていたが、京都の人はそんな環境に慣れているのだろうか?嫌な顔をする人はほとんど見かけなかった。

 

混んだバスの中で赤ちゃん抱っこした外国人の女性に席を譲ったが、そんな経験をしたのも随分久しぶりのことだった。

 

 

以下は、「アメリカをバスで旅をすること」に関する東北大の問題である。たしかにバスに乗れば、その土地の町並みや人間、また風俗により直接的に触れられるのかも知れない。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

(A)アメリカはどこまで行っても同じ建物、同じ町並み、同じ料理で面白くない、アメリカ文化は画一的だ、という意見をよく聞かされる。しかしそういう人は、たぶん飛行機ばかり乗って旅行しているのではあるまいか。空港からタクシーやリムジンが送りとどけてくれる一流ホテルに泊り、一流レストランで食べ、表通りばかり見物していれば、全国画一的に見えるのは当たり前である。日本でもその点は同じだろう。ただ私たちは、日本については画一的でない裏街の日常生活も知っているだけなのだ。

私は徹底してバス旅行の徒である。(B)これには経済的な理由も大きい。自分で車を運転する人は別として、バスはアメリカで一番安い乗り物なのである。しかし長距離を行く時など、途中の宿泊費を含めればバスのほうが高くつくこともある。それでも、時間さえ許せば私はバスを選ぶ。バスで旅すると、ひとつひとつの土地や人間や風俗の変化がよくわかる。変化しない場合でも、その変化しないことが意味をもってわかってくる。

(亀井俊介『アメリカの心 日本の心』より)

(東北大学・2009年)

 

 

(拙・和文英訳) 

(A) I have often heard the opinion that America is not interesting and American culture is stereotypical because there are same buildings, same townscape, same food, no matter where you go in America. However, I think such people probably travel only by plane. If you stay at a first-class hotel which will take you to and from the airport by a taxi or limousine, eat dinner at a first-class restaurant, and only look at the main streets, it is natural that the whole country will look stereotypical. The same will also apply to Japan. The only difference is that we, Japanese, know about Japan of course, but we also know about the daily lives of the back streets, which are not stereotypical.

I'm a thoroughgoing bus traveler. (B) There are big economic reasons for using buses. Apart from those who travel by their own cars, buses are the cheapest means of transportation in America. However, when traveling a long distance, buses are sometimes more expensive if the cost of accommodation along the way is included. Notwithstanding, I choose buses if time permits. When I travel by bus, I can clearly see the changes in respective lands, people, and customs. Even if they don’t change, I can recognize that such unchanging lands, people, and customs themselves have a meaning.

 

 

ここ数日、雨模様が続いており何となく気が滅入る。血圧降下剤の副作用なのか、ここのところ眠りが浅く、睡眠薬を飲んで寝たら妙な夢ばかり見ていた。

 

「春愁」というにはまだ早いが何となく物憂い気持ちだ。「上洛」を終えた燃え尽き感なのか。目の前から目標が無くなってしまった気がして何かしら寂しい気持ちになる。

 

とにかく、必要なことを一つずつ片付けながら日々を過ごしてゆこう。不快な感情は行動により流れるものだ。行動を積み重ねた先に何がしかの目標もきっと見えるだろう。

 

 

「郷に入れば郷に従え」とは、「その土地(または社会集団一般)に入ったら、自分の価値観と異なっていても、その土地(集団)の慣習や風俗にあった行動をとるべきである。」という教えである。

 

京都で外国人旅行者(とくに白人)をたくさん見かけたが、彼らが食事する様子を見ると、器用に箸を使って日本食を食べている人もあれば、ナイフとフォークで洋食の人もいる。人それぞれである。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

旅が唯一の趣味であちこちによく出かけていくが、当然、その場所場所によって常識は違う。トイレのあと、紙で拭く国も水で洗う国もある。ごはんを箸で食べる国も、スプーンとフォークで食べる国も、手で食べる国もある。列車が時間通りくる国もあれば、時刻表がなんの役にもたたない国もある。

(A)しかし、考えてみれば、常識の違いに戸惑うということが、私にはあんまりない。違っていて当然であり、違っていなくちゃ困る、という気持ちもある。私が旅を愛するのは、自分というものがけっして普遍的な存在ではない、と知ることができるからでもある。私が「ふつう」と思っていることが、世界的スタンダードであるならば、旅に出たいとそもそも思わないだろう。

(B)異文化のなかにぽつんと出ていったとき、かたくなに自分の基準を守ろうとする人と、なんとか郷に従おうとする人がいる。私は後者である。自分の基準を守るのならば、これもまた、旅に出る必要がないではないか、と思っているようなところがある。

(角田光代「お金と沈黙」より)

(東北大学・2008年)

 

 

(拙・和文英訳) 

As traveling is my only hobby, I often travel from place to place. As a matter of course, common sense differs depending on the place. After using the toilet, bottom is wiped with paper in some countries, while it is washed with water in others. Rice is eaten with chopsticks in some countries, with a spoon and fork in others, and with hands in others. Trains come on time in some countries, while timetables are of no use whatsoever in others.

(A) However, when I think about it, I am not so often confused by the difference in common sense. It is natural that there is a difference in common sense, and I even have a feeling that it has to be different. I love traveling because it also allows me to recognize that I am not a universal existence. If what I consider “normal” were the global standard, I wouldn't want to travel in the first place.

(B) When going out into a different culture alone, some people stubbornly try to follow their own standards, while others manage to follow the local customs. I'm the latter. I even somewhat think that if I stick to my standards, I don't need to go traveling.

 

今でも年賀状の付き合いがある通訳者の方が何人かいる。翻訳会社勤務時代から通算でもう15年ほどになるのか。

 

会社は新日鐵(現・日本製鉄㈱)の系列だったため技術系の通訳が中心だった。技術会議や工場構内に入っての実作業での通訳である。この場合、通訳者も作業服を着て安全靴を履き、ヘルメットを被ることも多かった。

 

 

当時、社員にベテランの男性通訳者の方がおられた。私より一回り以上年上である。日頃は煙草を吸ってのんびりとされた方だったが、「いざ通訳」となると歯を磨き身なりを整え、顔つきから違って見えた。「これが通訳者の戦闘態勢なんだ!」と思った。

 

駆け出しの頃、「もう明日から来なくていいよ!」と言われるなど、随分痛い目にも会ったという。いつも優しくて愉快な方だったが、その方が亡くなられてもう5年になる。

 

 

以下は、「通訳者の要約能力」をテーマとした東北大の英作文の問題である。こんなことができれば理想的な通訳者だろう。自分なりの英訳を作成してみたが、かなりの難問だった。

 

 

(問題)

次の文章を読み、下線部(A)、(B)を英語に訳しなさい。

 

通訳をする場合、とくに逐次通訳の場合は、通訳者の要約能力が欠かせない。(A)もちろん、勝手に短くしたり省略したりなど編集することは許されないのだが、発言をひたすら訳せばよいかといえば、そうではない。だらだらと長いだけで、かえってわかりにくい結果になる。理想的には、通訳者自身が内容を十二分に理解したうえで自分なりに分析し、対象言語の論理構成にある程度合わせる形で要領よく、かつ過不足なく提示することである。

それがうまくいくと、通訳を通して聞いたことを忘れるくらい、スムーズに相手の話を理解できる。(B)通訳者にその能力が欠けていると、確かに訳してはいるのだが、意味不明だったり、発言者がいったい何をいいたいのかわからなかったりする。

(鳥飼玖美子『歴史をかえた誤訳』より)

(東北大学・2012年)

 

 

(拙・和文英訳) 

When interpreting statements, especially in the case of consecutive interpretation, the interpreter’s summarizing ability is indispensable. (A) Of course, it is not permissible to edit the statements, such as shortening or abbreviating them arbitrarily, however, it is not enough to interpret the statements simply word for word. Doing so makes the expressions just too long, which consequently makes the conversation rather difficult to understand. Ideally, the interpreter should fully understand the content, analyze it in his or her own way, and present it to the point, neither too much nor too little, in a manner that complies with the logical structure of the target language to some extent.

If this summarizing goes well, you can understand what the other person is saying so smoothly that you can forget what you heard through the interpreter. (B) If the interpreter lacks the summarizing ability, he or she may surely be interpreting, but it may not make sense, or may not understand what the speaker wants to say.