これまで見てきたとおり、平成23(2011)年までに、485系の勢力はかなり縮小されてしまいました。この年、九州では全ての定期運用がなくなり、北陸でも「北越」以外は全廃、さらに北近畿でも、485系改造の183系は2年後の平成25(2013)年に撤退しています。
平成23年3月末(東日本地区のダイヤ改正は東日本大震災の影響で行われず)の時点で、残っている485系使用列車は、以下の列車だけとなりました(北近畿地区の列車を除く)。
 
・「北越」金沢-新潟
・「いなほ」新潟-酒田・秋田
・「白鳥」青森-函館
・快速くびき野
・らくらくライナー(ライナー列車)
・快速あいづライナー
 
これらのうち、「白鳥」はかつての「はつかり」の流れをくむ列車で、平成14(2002)年12月の東北新幹線八戸開業に伴って、「はつかり」の盛岡-青森・函館間の運転を八戸・青森-函館間に変更の上、かつての日本海縦貫線の王者にして北陸特急の始祖の愛称をいただいたものです。同時に、青森-函館間の快速「海峡」が全て特急化され、JR北海道も789系を導入しています(同系使用列車は『スーパー白鳥』と呼称)。さらに、八戸-青森・弘前間に「つがる」を新設し、こちらは485系と789系の他、E751系が使用されています。E751系はどういうわけか青函トンネル対応を施さず、とうとう北海道への上陸は果たされないままでした。
その後、平成22(2010)年12月の東北新幹線新青森開業によって、「白鳥」「つがる」の並立も8年で終了しています。このとき、「白鳥」は青森-函館間の列車に変更され、八戸-青森・弘前間列車だった「つがる」は廃止、秋田-青森間の「かもしか」を「つがる」に改称の上E751系に置き換えました。
「かもしか」の「つがる」への改称とE751系への置き換えによって、秋田の485系の定期運用が全てなくなりました。「つばさ」用の485系従来型が暫定的に配置され、その後すぐ1000番代に入れ替わって35年。新幹線網が充実していくごとに規模を縮小し続け、最後は「かもしか」の3連のみという、非常にささやかな運用でしたが、それでも秋田からの485系運用の完全消滅は、同系にとっても大きな区切りとなっています。
 
他の列車にも、置き換えの足音は容赦なく響いてきます。
まず安泰と思われた「いなほ」。これには、E657系の投入によって常磐線を追われたE653系基本編成が充当されることになりました。同系にはグリーン車がないので、片方の先頭車をグリーン車に改造し、あわせて車体色を日本海の夕暮れをイメージしたオレンジ色を基調としたカラーリングに一新、「いなほ」運用に入り始めました。
結局「いなほ」は、平成26(2014)年までに全てE653系に置き換えられています。
 
残った「北越」と快速の「くびき野」「らくらくライナー」「あいづライナー」ですが、平成27(2015)年の北陸新幹線長野-金沢間開業に伴い、「北越」が廃止されました。「北越」の代わりに設定された特急「しらゆき」も、485系ではなくE653系の4連が専用カラーを纏って充当されることになり、ここでも485系の出る幕はなくなりました。また、快速「くびき野」は115系に置き換えられ「名無し」となり、「らくらくライナー」も「らくらくトレイン信越」と改称の上E653系に置き換えられ、いずれも485系の充当がなくなっています。
「あいづライナー」も、北陸新幹線開業とは無関係ではあるものの、こちらは列車そのものが廃止され、485系の定期運用が消えています。
 
これら改廃によって、北陸新幹線金沢開業後の485系の定期運用は、特急は「白鳥」の1系統だけ、それ以外では新潟-糸魚川間の快速1往復だけとなりました。交直両用特急型電車の始祖・481系が登場してから51年。あれだけ日本中を駆けめぐった485系ですが、定期運用を持つものは、遂に新潟(←上沼垂)と青森に所属する車両のみとなってしまいました。
 
さて、既に北陸新幹線金沢開業の段階で、翌年度の北海道新幹線新函館北斗開業はアナウンスされていましたから、青森-函館間の在来線を走る列車は全廃が決定していました。そう、最後の485系特急となった「白鳥」も。
北海道新幹線開業直前の「白鳥」の運用は、朝青森を出て函館まで1往復、さらに午後~夜にかけてもう1往復するというもので、これだけ見るといかにも「軽い」という印象のある運用となっています。青森の485系といえば、大阪発着の「白鳥」、上野発着の「いなほ」「はつかり」といった足の長い列車ばかりか、「ひばり」「やまびこ」にも充当され、1週間以上も基地に帰ってくることができないほど苛酷な運用をこなしていたもの。そのような同系の「黄金時代」からすれば、最後の「白鳥」の、青森-函館間を2往復するだけの運用が「軽い」と見えてしまうのも、無理からぬところではあります。
しかし、最後の「白鳥」運用、軽いのは走行キロ数だけで、黄金時代には走ることのなかった、青函トンネルと北海道南部という過酷な気候のエリアを日夜走り、しかも青森県-青函トンネル内-北海道南部と、目まぐるしく走行環境が変化する中を走っているという点からすれば、黄金時代当時と比べても、安易に「軽い」とは言えないように思われます。まして、このころの485系といえば、既に製造から30年以上が経過、リニューアル改造(3000番代化)からでも15年以上が経過しており、もはや老朽化は無視できないレベルまで進行していました。それでなくても、VVVFインバーター制御が主流の時代にあって、2世代も前の直流電動機・抵抗制御。直流電動機はブラシという接触部分があるのでメンテナンスが必要ですし、整流子のフラッシュオーバーもゼロにはできません。加えて、抵抗制御ということは接点がありますので、これが雪の降る真冬には弱点となります。しかも「白鳥」の場合、途中の青函トンネルが常に温度が一定していて冬は外気温より高いため、付着した雪がトンネル内で融け、トンネルを出た後に融けた雪が凍ることもあります。また、青函トンネルは湿度がべらぼうに高いため、温度と相まって機器内に結露が生じ、それがトンネルの外で凍結することもあります。それでも1000番代の卓越した耐寒耐雪性能と、検修スタッフの絶え間ない奮闘により、大きな故障や不具合はなく運用されてきました。
 
しかしそのような、485系と検修スタッフの奮闘も、終わりを迎える時がやってきます。
北海道新幹線新函館北斗開業が平成28(2016)年3月26日と決定し、その前に青函トンネルの信号システムなどを改めるため、開業5日前をもって全ての在来線列車を運休することとなりました。そのため「白鳥」は、この年の3月21日をもって運行を終了、これによって485系の定期特急運用は全てなくなりました。
思えば、北海道新幹線開業の41年前の山陽新幹線博多開業以来、485系は常に新幹線開業によって活躍の舞台を狭められてきました。それでも国鉄時代末期までは、新たな舞台が与えられ続けたのですが、JRが発足し、各社が新型車両を投入するようになると、徐々に新たな舞台が増えるよりも、舞台が狭められる方が多くなっていきました。そして北陸新幹線金沢開業、北海道新幹線新函館北斗開業は、485系に完全に引導を渡すものだったといえます。
最後の定期特急となった「白鳥」からの撤退が、新型車両投入ではなく、新幹線開業が理由であったことに、485系の「国鉄特急」としてのプライドを見るような気がするのは、管理人だけでしょうか。
 
次回は、最後の定期運用となった新潟-糸魚川間の快速列車を取り上げます。