その21(№4070.)から続く

 

JR西日本・JR九州に比べると、JR東日本の485系は新しい1000番代が多かったこと、例外的に古い車が集中配置されていた勝田には直接新型車両が投入されたことから、外貌の大きな変化を伴うリニューアルの例は、会社発足直後はそれほど多くありませんでした。

その唯一の例が、上沼垂の車。上沼垂の車は、従来型が多いだけでなく、「白鳥」「雷鳥」など足の長い系統に充当されることが多いため、快適性の向上を旗印に、グリーン車と指定席車を中心にリニューアルが行われています。メニューは、JR東日本が当時「あずさ」用の183系1000番代に施したのと類似していて、グリーン車と普通指定席車について側窓の上下寸法の拡大、普通指定席車の座席の取り換えとシートピッチの拡大、グリーン車の横3列化などでした。あとは外板塗色についてもそれまでの国鉄特急カラーを捨て、白地にブルーとエメラルドグリーンの帯を窓下に引くというもので、イメージを一新するさわやかなカラーリングとして、利用者にも鉄道趣味界にも、好評をもって迎えられました。とかく批判の多い塗色変更ですが、この「上沼垂色」は485系の非貫通型にも、ボンネットスタイルにもよく似合っており、塗色変更が成功した稀有な例となっています。

ただし、以上のようなリニューアルを施されたのはグリーン車と指定席車だけで、自由席車は座席のモケットの張替えだけだったため、ボンネットスタイルの先頭車を含む古い車両は、自由席車に回されることが多くなりました。

 

塗色変更は「ひたち」も平成4(1992)年から行っており、こちらは上沼垂と同じ白色ベースながら、窓回りを広くグレーに塗り、そこに黄と黄緑の細線を入れるという、凝ったものとなりました。

「ひたち」の塗色変更で特徴的だったのは、それまで国鉄特急型車両の先頭車の前面を飾ってきた特急マーク(チャンピオンマーク)が、初めて取り外されたこと。それまでは西日本でも九州でも、485系先頭車の特急マークを外すことはしなかっただけに(ただし九州では金色一色に塗り込めた。逆に北海道は気動車も含めて銀色一色に塗り込めている)、これは鉄道趣味界でも驚きをもって受け止められました。もっとも、JR発足後の新型特急は、特急マークを装備しないのは勿論ですが、前面のヘッドマークも重要視しない傾向が現れていましたから、特急マークの取り外しも、そのような傾向の現れといえました。

その後、「ひたち」編成は2編成併結の14連での運用を行うため、ボンネットスタイルの先頭車の連結器を、自動連結器から密着連結器に取り替え、合わせてジャンパ栓を設置する改造を施しています。これは、運用の効率化のためにはやむを得ないものでした。しかし、JR西日本の車とは異なり、白く塗り込められた前頭部から特急マークが消えてしまったボンネットスタイルは、真っ赤に塗り込められたJR九州の車とは別の意味で、ボンネットスタイルの持っていた威厳とか気品というものが損なわれた気がしたものです。

 

翌平成5(1993)年にも「あいづ」改め「ビバあいづ」用の改造車として6連1本が改造されましたが、これはリニューアルというより、ジョイフルトレインに近い内容の改造でした。1両を丸々、フリースペースとしての「インビテーションカー」に改造し、内部では会津地方の歴史・習俗・観光地・特産品などの紹介・展示をするという内容でした。他の5両も座席を取り換えるなどのリニューアルを施し、一方の先頭車にグリーン席を設けました。あわせて外板塗色もグレーメタリックを基調とするものに変えられ、磐越西線を走っています。

ただし、この「ビバあいづ」用の編成は1本しかなく、予備車が無かったため、この編成の検査などのときには、455系などによる快速列車が「ビバあいづ」と同じダイヤ・停車駅で代走するようになっていました。

 

JR東日本における485系の本格的なリニューアルは、ずっと時代が下った平成8(1996)年に行われることになります。

これは上沼垂の車に施したリニューアルや、「あずさ」の183系1000番代、「あさま」の189系に施したものよりも、もっと徹底したものでした。側窓の天地寸法の拡大、腰掛の取り換え(ただし、シートピッチの拡大は行っていない)などはこれらと同じですが、最大の特徴はバリアフリー対策を施したことと、前頭形状を作り変えたこと。前者は、該当の車の客用扉が拡大されたのが外観上の特徴ですが、前頭形状はもっとインパクトがありました。運転室部分は窓から上の構体部分を切断して屋根の構体を載せ替え、中央部に柱の通っていた前頭部は滑らかな1枚窓に変わり、灯具類の位置も変更し屋根上の前照灯がなくなるなど、それまでの485系とは似ても似つかない顔に仕上がっているからです。

外板塗色も、白と青紫に塗り分け、その境界線上に濃紺の帯を引くという、それまでにないカラーリングとなりました。また、窓の間の柱を黒で塗り込め、遠目には連窓に見えるようにしています。正面は黄色に塗り込め、さらに「North East Express 485」というロゴをあしらい、一般利用者にはどこからどう見ても新車にしか見えない徹底ぶりでした。

この485系は、JR西日本・JR九州のリニューアル車とは異なり、初めて車号の変更を伴うものとなりました。番代区分は3000番代とされ、1000番代を種車とする車は原車号+2000、従来型を種車とする車は原車号+3000とされました。

485系3000番代は、盛岡-青森・函館間の「はつかり」に充当されました。

 

同じようなリニューアルを施し、3000番代に車号を改めた車が、今度は上沼垂に出現します。ただしこちらは「はつかり」用のような6連ではなく、「はくたか」に使用する9連。リニューアルのメニューは青森とほぼ同じでしたが、グリーン車は3000番代にする前に横3列化がなされていたため、そこが青森の車と異なるところでした(青森のクロハのグリーン席は横4列)。また、カラーリングも青森の車とは異なり、白地と濃紺の帯、窓回りの黒は同じですが、濃紺の帯の下は青紫ではなくブルーとなり、前面は黄色ではなくエメラルドグリーンとされ、さらに中間車の出入台・便洗面所部分をエメラルドグリーンのブロックパターンとする点が異なっていました。

この編成は、先頭車の前部に鷹を連想させる猛禽類の羽をイメージしたエンブレムを取り付け、JR東日本が唯一担当した「はくたか」(越後湯沢-金沢・福井・和倉温泉)に充当されました。この「はくたか」への出し入れのため、この編成は特定曜日のみ「北越」に充当されています。

続いて、当時「北越」「いなほ」に使用していた6連について、当初は「雷鳥」などに使用していた9連と同じ内容のリニューアル、それとカラーリングの変更を施していましたが、後にこの6連にも、「はつかり」用と同じメニューでの3000番代化が実施されます。カラーリングは「はくたか」編成と同じでしたが、クロハのグリーン室が横4列となっているのが異なっています。

 

JR東日本が485系に対して行った徹底的なリニューアルは、平成13(2001)年で終了しました。

これは勿論、その後は同系には手を加えずに使い倒すという方針に変更されたからですが、この要因としては、485系自体の老朽化・陳腐化は勿論のこと、運用範囲の縮小もありました。

 

次回は、時系列としては前後しますが、JR東日本における運用範囲の縮小、具体的には山形・秋田両新幹線の開業にまつわる動きなどを見ていきます。

 

その23(№4090.)に続く