その9(№3945.)から続く

 

今回は、「つばさ」に投入された485系の決定版、1000番代について取り上げます。

485系は、従来型でもそれなりの耐寒耐雪対応を施していました。しかし、200番代車中心の編成で運転されていた「白鳥」「いなほ」は、やはり豪雪地帯の日本海側を走る列車であることからか、冬季になると車両故障が頻発するようになりました。「白鳥」「いなほ」ですらそうなのですから、この両列車が走る路線以上の豪雪地帯を走る「つばさ」の運用は、従来型では荷が重すぎるといえました。このような状況下では、より耐寒耐雪性能を高めた車両の投入が望まれるようになるのも、当然のことでした。具体的に望まれたのは、当時「とき」に投入されていた183系1000番代の485系版の車両です。

というわけで、183系1000番代に比肩する耐寒耐雪性能を持った485系、485系1000番代が昭和51(1976)年3月から秋田に投入され、「つばさ」に充当されることになります。

 

485系1000番代について、200番代を含む従来型との違いは以下のとおりです。

 

1.電動発電機・電動空気圧縮機・主電動機を寒冷地仕様のものに変更。

2.器箱密閉化及び防水処置・空気ブレーキ装置の機器箱収納化を実施。

3.主電動機及び電動発電機(MG)冷却用風道に夏⇔冬切替およびフィルター交換の容易化を施工。

4.先頭車に搭載されているMGトラブル発生の際にもサービス電源を確保する目的からサロ481形に電動発電機・電動空気圧縮機(CP)を搭載して編成内で電動発電機・電動空気圧縮機を搭載した車両が3両になるように実施(所謂3MG化)。

5.総括制御用とは別に電動発電機トラブル発生時に運転席から給電区分変更制御を可能にするように引通し線が増設された(在来車との混結も可能だが、その際には電動発電機の給電区分変更機能などは喪失)。

6.前項の対応のため先頭車は方向転換が不可となった。

7.電動台車はブレーキシリンダに防雪カバーを取付けたDT32E形、付随台車はゴムシリンダ式としたTR69H形とし、クハ481形の先頭台車にスノープロウを装着。

8.水揚装置で凍結対策を施工。

9.クハ481形乗務員室の暖房を強化。

10.モハ484形は600番台の構造を取入れた専務車掌室を設置。

11.サロ481形は前位車端部のトイレ・洗面所を車販準備室・車販コーナー設置に仕様変更。

 

以上のスペックをご覧いただいた方は、485系1000番代という車両は雪対策と寒さ対策、そして車両故障対策に万全を期した車両という印象をお持ちになると思いますが、前回取り上げた北海道向けの1500番代には、何と1ないし3は施工されておらず、7もなし。改めて1000番代のスペックと1500番代のそれを見比べると、なぜ1500番代は北海道用でありながらこの程度の耐寒耐雪性能だったのか、信じがたいくらいの不徹底ぶりです。「現在の目で当時を見た」感想かもしれませんが、同じ485系でも、1500番代ではなく1000番代が北海道に投入されていたら、少しはマシだったのではなかったかと思ってしまうのは、管理人だけでしょうか?

 

メカニックの面では、3MG化(1編成当たりMG・CPを3組搭載すること)が施行されたことが大きな特色です。これにより、サービス電源のバックアップが三重になりました。もっとも、これには「過剰装備なのでは?」という指摘もあったようですが。また編成中3組のMG・CPを相互にバックアップさせるため、先頭車の運転台から編成内の給電区分を変更できるようにしました。そのための引通し線を通した関係で、従来型では両向きに対応できた先頭車は、向きが固定されてしまうことになりました。なお、従来型と混結した場合、この引き通しが使えなくなるため、給電区分の変更を運転台から指示することは不可能になります。

3MG化についていえば、3台目のMG・CPを搭載したサロ481も注目されるところですが、この車両は客用扉と客室の間にある車掌室の窓の上に方向幕を設置し、それが従来型サロと大きく異なる外観となりました。

ここまで耐寒耐雪性能を徹底させた車両を作ることができたのは、1000番代が従来型との混結・混用を一切考えないことにしたからではないかと思います。勿論混結は不可能ではないものの、混結した場合は1000番代の性能は生かせなくなりますから。あるいは、1500番代の蹉跌に学んだ国鉄が、従来型との混結・混用を諦めたことで、初めてここまでの耐寒耐雪性能の強化が実現したのかもしれません。1500番代が耐寒耐雪性能に関して信じがたいばかりの不徹底ぶりだった一番の理由は、やはり従来型との混結・混用が考えられていたことではなかったかと思います。だから「1500番代が劣っている」と断ずるのは、それこそ「現在の目で当時を評価する」ということに他ならず、やや酷な面もあるような。

 

485系1000番代は、前記のとおり昭和51年3月に66両が秋田に投入され、「つばさ」に充当されることになりました。

ただし、1000番代として製造されたのは先頭車、電動車ユニットとグリーン車だけで、食堂車は製造されませんでした。食堂車に関しては、従来型の新しい車両に引き通し線などの改造を施して使用されています。今思うと、このころから食堂車の縮小傾向が始まっていたのかもしれません。

食堂車の関係で余談を言えば、九州の「有明」「にちりん」は、本州から直通していたころのままの食堂車組み込みの11連で運用されていましたが、輸送力が過剰だったということか、「にちりん」の食堂車は前年11月には早くも全列車営業休止に追い込まれ、「有明」にも食堂車営業を休止した列車が出現しています。「有明」の一部と「にちりん」のように、食堂車を連結しながら営業していない列車は東の「ひたち」にもあり、「ひたち」の場合は、営業している列車の方が少ないような状況でした。

「有明」「にちりん」の食堂車が営業しないのであれば、これら編成のサシ481を新潟に持って行って、183系1000番代「とき」につなげばよかったと思うのですが、なぜそうしなかったのでしょうね? 「とき」の場合は、業者が営業を望んでいたはずですが。

 

閑話休題。

485系1000番代の「つばさ」は以下のとおり。

 

←上野 T'cM'MM'MT'sTdM'MM'MTc 秋田→

 

相変わらずグリーン車は食堂車のすぐ隣に連結されていますが、これは言うまでもなく、MG・CPの搭載車両を分散させる必要があったからです。仙台や青森の485系従来型のように、MG・CPの搭載車両を隣り合わせてしまうと、給電区分の切り替えに支障を来たすことから、このような編成を組まざるを得ないわけでして。

なお、食堂車の他に、1000番代でないサロ481のうち6両が、落成当初から1000番台改造を前提にした仕様変更が実施されていましたが、1000番代新造投入にともない改造を受け、「つばさ」編成に組み込まれています。こちらは食堂車と異なり改番を経ています(サロ481-1050)。

 

1000番代の登場は、まさに「史上最強の485系の登場」と同義であり、かつ同系の第2期黄金時代の始まりを告げるものでもありました。

1000番代が「つばさ」に投入されたことで、それまで同列車に使用していた従来型は南福岡に戻され、長崎本線・佐世保線の特急に充当されるための準備に入ることになります。

 

その11(№3967.)に続く