今回は、予告では全日空・日本エアシステム以外のキャリアに関して取り上げる予定でしたが、全日空の国際線の展開をもう一度取り上げてからにしようと思います。予告編とは全然違ってしまいますが、ご容赦のほどを。

平成6(1994)年9月、大阪泉州沖に関西国際空港(関空)が開港します。これに伴って、前日まで大阪国際空港(伊丹)に発着していた国際線は、全て関空に移され、伊丹はVIP乗用の機材が発着するほかは、国内線専用の空港になりました。当初、関空開港と引き換えに伊丹が廃港になる予定だったのですが、曲折を経て存置が決まり、国際線の関空移転後も、国内線の最重要空港のひとつとして機能し続けています。

関空開港と同時に開設した路線は以下のとおり。

・大阪-シンガポール
・大阪-ソウル
・大阪-福岡-大連-北京
・大阪-青島(9/7から)

いずれも短・中距離のアジア線ですが、使用機材は、全てボーイング767-300ER。
このころになると、全日空の短距離国際線の花形機材だったロッキードL-1011は、退役する機材も出てきて、影が薄くなってしまいました。それも当然の話で、L-1011はエンジン3発。対するボーイング767-300ERは2発(双発)。それで収容力は同じくらい。
しかも、機長・副操縦士の他航空機関士も必要だったL-1011に対し、767-300ERは航空機関士の要らない2人常務が可能なハイテク機。
であれば、燃費に劣る3発機であり、しかも乗務員の数も多くなるL-1011が、活躍の場を狭めざるを得なくなるのも道理。加えて、L-1011の泣き所は、部品その他に他の機材との互換性がなかったこと。しかもロッキード社の製造した旅客用ジェット機はL-1011だけであり、予備部品調達のコストも馬鹿にはなりません。現役晩年になると、次第にメンテナンスに支障を来すようになってきました。
このような状況では、全日空がL-1011を置き換えざるを得なくなるのも道理。そこで全日空はL-1011を退役させることを決断、関空開港の翌年の平成7(1995)年限りで、日本の空から姿を消しました。
L-1011を置き換えたのは、ボーイング767。この機材によって、国内線や短距離国際線の運用が置き換えられることとなります。もっとも、短距離国際線といえども、それに充当される-300ERは航続距離が11000kmを超えており、その気になれば日本-欧州の無着陸飛行も可能な機材ではありましたが、そのような長距離国際線に充当されなかったのは、同機の収容力の問題があったためと思われます。

その後、関空発着便としては豪州ブリスベン・シドニーへの路線を平成6年10月、同年12月21日には香港への路線をそれぞれ開設、いずれもボーイング767-300ERで運航を開始しています。
この翌年、7月21日には上海(ボーイング767-300ER)、バンコク・クアラルンプール(同)への路線をそれぞれ開設、10月31日には遂に、欧州方面への路線としてロンドン(ボーイング747LR)、12月にはローマへの路線をそれぞれ開設しています(同)。

これでかなり、全日空の国際線が充実することとなりました。勿論、関空開業後も、東京(成田)発着の路線は拡充されていますし、東京・大阪以外の空港発着でも、平成9(1997)年には以下のとおり、新路線が開設されています。

2/1 名古屋-ホノルル線就航(ボーイング747)
6/5 広島-グアム線就航(ボーイング767-300)
10/28 福岡-バンコク線、4年ぶりに運航再開(ボーイング767)

平成9年の時点では、全日空が国際線定期便に進出してから11年となりますが、11年でここまで伸長・拡充されてきたことは、こうして改めて見てみると、まさに「怒涛の勢い」といえます。ただ、搭乗率が振るわず休止になった路線もありましたが。

同じころ、全日空では機材の充実・世代交代も進められ、新世代の機材となるボーイング777が同年に就航、国際線用機材としては東京(成田)-北京間の路線に初めて就航させました。ボーイング777はその後世界の航空会社で急激に勢力を拡大しますが、全日空ではまずは-200が国内線と短距離国際線に投入されました。その後、航続距離を伸ばした-200ERが国際線に投入され、続いて全長で「ジャンボ」747をしのぐ-300が国内線に、-300ERが国際線に投入されました。
ただ、ボーイング777が就航した当初は、同機が双発機だったため、長時間の洋上飛行ができず、日本発着の欧州・北米路線には充当できませんでした。これは、エンジンの信頼性を鑑みて、双発機の場合1発のエンジンに不具合が発生した場合片方だけでどこまで飛べるかという「ETOPS」の規制があって、当初は60分以内に到達できる空港がないと飛行できなかったためです。それにより、2000年代初頭まで日本発着の欧州・北米路線には3発のDC-10やMD-11、4発のボーイング747が依然として使用されていました(例外はフィンランド航空のボーイング767だが、あれは飛行ルートが陸伝いだった)。
やや前後しますが、全日空でも、平成3(1991)年から「テクノジャンボ」ことボーイング747-400を就航させ、国内・国際の双方で看板機材となります(国内線仕様は『-400D』となり、頻繁な離着陸のためランディングギアなどを強化、短時間フライトが主のためトイレ・ギャレーを減らし座席を増やしてあることなどが異なる)。これは勿論、北米線など長距離洋上飛行を行う路線に充当するためです。
しかし、747-400が主役でいられた時間は、それほど長くはありませんでした。
その理由は、その後のエンジンの信頼性向上により、双発機が1発のみのエンジンで飛べる時間が延ばされたから(ETOPS-120など)。これにより、双発機の777でも太平洋の横断が可能になりました。勿論、燃費は3発機や4発機よりも、双発機の方が優れているのは当たり前です。これが、同機が世界の航空会社で急激に勢力を拡大した理由です。
そのため、2000年代に入ると、ボーイング747は勢力を縮小し始めます。まずは-400以前の「クラシック」が退役し、続いて-400も、国際線用機材が平成24(2012)年までに退役しました。

最後は駆け足になってしまいましたが、機材繰りまで含めた、全日空の国際線の歩みを2000年代まで概観してきました。
次回は、新しいキャリアの運行する(した・しようとした)国際線について取り上げたいと思います。

その6(№3470.)に続く