今回は、名鉄に登場した観光特急用車両を取り上げます。

名鉄では昭和55(1980)年、知多新線を内海まで開業させました。名鉄の目論見は、この路線に南知多への観光輸送の任務を負わせること。しかし、このころ既にレジャーでの旅行にはマイカーを使用する層が増えており、また南知多の観光拠点も内海駅などからバス利用を余儀なくされたため、内海へは神宮前・新名古屋(当時)方面からの直通特急列車が運転されていたものの、列車利用のシェアが伸び悩んでいました。
名鉄の当時の看板車両は、あの「パノラマカー」。しかし、昭和55年の時点において既に登場20年目を数えており、前面展望こそ得られるものの、有料特急・観光特急として見た場合、内装はいかにも貧弱でした。名鉄でもその点は分かっていたようで、昭和57(1982)年以降、「パノラマカー」一族の中でも有料特急に充当する車両について、名鉄は内装を徹底的にリニューアルして車体に白帯を巻き、「白帯車」として運用しましたが、それでもビジネス客向けの特急としてはともかく、観光特急としては物足りない面があったのも事実です。

そこで名鉄は、観光用に特化した特急用車両を製造することとします。そのスペックは、

1 前方の展望席をハイデッカー構造とし、運転台は前部の低い位置に設ける。
2 平床部には2人・4人・6人用の区分室を設置。

というものでした。
1は「パノラマカー」の伝統を引き継ぎ、前面展望を乗客に提供しようというものですが、この構造はかつて「パノラマカー」の構想時にあった「パノラマドームカー」の構想が、形を変えて実現したものと言われています。「パノラマドームカー」は中間車を想定し、ハイデッカー構造のドーム型客室を設けるものでしたが、当時は時期尚早として退けられていました。それが約20年の時を経て陽の目を見たことになります。このハイデッカー展望室の構造は、後の同社1000系「パノラマSuper」は勿論、伊豆急の「リゾート21」やその後の国鉄~JRで雨後の筍の如く登場したジョイフルトレインなどにも、多大な影響を及ぼしたといわれています。
注目されたのは2。これはまさしく、マイカー利用者を意識したもので、家族連れや少人数でのグループの利用を想定したものです。そして勿論、2両という小単位は、団体の使用も想定した結果でした。
ただ、走り装置その他のメカニックは、廃車になった「パノラマカー」7000系からの流用品とされ、完全新造車ではありませんでした。後にこのことが、この車両の寿命を大きく縮めてしまうことになります。

この車両は昭和59(1984)年に2連×2編成が用意され、形式名は「8800系」、愛称は公募され「パノラマDX(デラックス)」と決定しました。同年12月15日から、8800系は犬山-神宮前-内海間の特急に充当されるようになります。もっとも充当されるのは1本だけで、あとの1本は団体用として使えるよう、車両基地でスタンバイしていました。
8800系使用の列車で特筆されるのが、特急料金。現在名鉄では座席指定券のことを「特別車両券」と呼称していますが、当時は「特急券」でした。当時の「パノラマカー」などを使用した特急料金は250円だったのですが、「パノラマDX」こと8800系使用列車は、何とその倍額の500円! これは今にして思えば、後に近鉄、南海、小田急(現在は廃止)で行われた、2クラス制の事実上の採用ではなかったかと思えます。つまり、「パノラマカー」などに使用の特急車両が普通車だとしたら、「パノラマDX」はグリーン車だったのではないかと評し得ます。
「パノラマDX」こと8800系は、このような意欲的な設計が評価され、昭和60年度の第28回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞しました。

「パノラマDX」はその後、1編成が増備されて3編成となりますが、この編成は展望室の座席を1列増やし、6人区分室を廃止、2人区分室は開放型座席に変更するなどの変更点があります。
さらに昭和62(1987)年には中間車1両が各編成に挿入されて3連となり、編成の増強が図られています。この中間車には、車内販売などの拠点となるサービスコーナーと10人掛けのラウンジ、トイレ・洗面所が設けられ、「パノラマDX」の車内設備はますます充実しました。

こうして、「パノラマDX」は観光特急として活躍を続けるのですが、バブルの崩壊に伴い、利用が低迷してしまいます。そこで名鉄は、8800系編成のうち、団体での使用を想定した1編成を除き、2編成に改造を施しました。具体的には、6人用区分室を除いて区分室を全て廃止し、普通のリクライニングシートを並べた通常仕様にしたこと。これによって、他系統の特急に投入することも容易にしました。これに合わせて、「パノラマDX」使用の列車であっても、特急料金が他の列車と同等になるように改められています。
改造された「パノラマDX」は、西尾線や津島線へ直通する系統に投入されるようになり、観光特急としては影が薄くなってしまいました。

「パノラマDX」に引導を渡したのは、特急列車の最高速度の向上でした。
それまで特急列車の最高速度は110km/hだったのですが、これを120km/hに向上することになりました。「パノラマSuper」などは対応が容易だったのですが、7000系の下回りを使用した「パノラマDX」はその対応ができず、そのために退役を余儀なくされてしまいます。
結局、「パノラマDX」こと8800系は、平成17(2005)年1月で全て運用を外れ、同年3月までに全て廃車されてしまいました。

現在の名鉄は、観光輸送よりも都市間輸送と中部国際空港の連絡輸送に重点を置いているようで、観光に特化した列車の運転はありません。内海方面への特急列車も、平成20(2008)年のダイヤの見直しの際、一部を残して全て河和方面へ振り向けられ、激減してしまいました。これは名鉄による南知多の観光開発が不完全燃焼に終わったことも関係していると思われますが、何とも勿体無い話ではあります。やはり、観光に特化した「パノラマDX」は、バブル期の遺物だったのでしょうか。

次回は、大手私鉄初の2クラス制採用(あるいは復活?)として話題を撒いた、あの特急車両を取り上げます。