西小泉駅に降り立った管理人は、「ブラジル」の探検に向かいます。

ちなみに、今回の記事のタイトルのパクリ元はこちら↓



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前記事で、西小泉駅の駅舎を「どこにでもある地方の終着駅」「堂々たる構え」と評したのですが、その駅舎を出ると、正面にはこんな建物が↓


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いきなりブラジル!

ブラジルの公用語・ポルトガル語の大きな看板が一際目を引くこの建物、日本語の表記が一切ないのにも驚かされました。これはつまり、日本人を相手にしなくとも商売が成り立つということ。それを考えると、この地のブラジル人コミュニティーの人数の多さが分かります。

表通りを歩くとこんなお店が。


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「TATTOO」って、刺青か!

ブラジル人が刺青を入れることに関しては、文化の問題ですから管理人はとやかく言う気はありませんが、しかし日本人の子供にとっては、こんなものが町中にあると、刺青に対する心理的ハードルが低くなってしまいませんかね?

お次はこちら。元セ〇ン-イ〇ブンと思われる建物に、こんな看板。


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結婚相談所のようだ

どうやら在日ブラジル人相手の結婚相談所のようです。流石にここには、ほんの少しだけ日本語がありますが、それでも殆どがポルトガル語。ここもブラジル人だけが対象なのかな?

駅前にある、ブラジル(だけではなく、ペルーやボリビアなどの)食材・雑貨のお店。


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ここもなかなか凄い

写真に写っている自動販売機、ブラジル直輸入の飲み物を売っているのです。ちょっと買う勇気はありませんでしたが(^_^;)
ちなみに、管理人はここで、ほぐした鶏肉を衣で包み、油で揚げたブラジル風コロッケ「コシーニャ(Coxinha)」を1個250円で購入、食べてみました。衣がもっちりしていて、また中の鶏肉があっさりしていて非常に美味でした。

こちらは、西小泉駅の駅舎の壁に掲げられていた大泉町の地図「大泉まっぷ」。


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一見すると普通の地図だが

接写すると、何と!


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ポルトガル語!

これだけ見回って、西小泉駅に戻りました。

ところで、西小泉駅から先には、仙石河岸線と呼ばれる貨物線が伸びていました。西小泉駅自体も、中島飛行機小泉製作所の玄関口の駅として旅客・貨物とも活況を呈していたそうですが、当時の栄華の面影は、広い構内に偲ぶのみとなっています。

西小泉駅外れの国道354号線から、西小泉駅の方角を望みます。


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ここに貨物線が通っていた

そして国道354号線の向こう側は、現在は「いずみ緑道」として整備されています。



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この並木に沿って「いずみ緑道」が続く

かつてはこの「仙石河岸線」を活かし、利根川に橋を架けて熊谷線の妻沼駅とつなぎ、熊谷と館林・太田を直結させようという計画があり、実際に工事にも着手されたのですが、戦争の激化とともに工事は中止され、戦後も再開されることはありませんでした。その後昭和51(1976)年には仙石河岸線が、その7年後の昭和58(1983)年には熊谷線が廃止され、熊谷と館林・太田を結ぶ鉄路の夢は潰えてしまいました。
戦後に工事が再開されなかった理由については、様々な要因が指摘されていますが、結局のところ「伊勢崎線の利用者が減り、減収になってしまうから」というのが最大の理由と思われます。上越新幹線が開業した現在、この路線を作らなかった東武の選択は正しかったような気がしてなりません。なぜなら、熊谷なら上野や大宮、池袋、新宿などからのアクセスが容易なので、浅草発着の「りょうもう」のシェアが蚕食されるであろうことは目に見えるからです。それでなくても、本庄早稲田駅開業で「りょうもう」の乗客数が激減したというのに。

管理人は、西小泉13時24分発の電車で「日本のブラジル」を離れ、東小泉乗換で太田駅へ抜けました。

さて、「日本のブラジル」の感想を。
大泉町にブラジル人コミュニティーが出来上がった理由は、この地に富士重工業(中島飛行機の後身)や三洋電機、味の素の工場などがあり、そこに労働力としてブラジルやペルーから外国人を呼び込んだためで、大泉町では全人口の15%が外国人となっています。
「日本のブラジル」、旅行者として行って見た限りでは確かに面白く、刺激的な場所であることは否定しませんが、もし一部で言われているように「移民受け入れ」が現実化してしまうと、このような「ブラジリアンタウン」、あるいは他の外国人コミュニティーが、恐らく雨後の筍のごとくあちらこちらに出来上がるのではないでしょうか。そのとき、日本人との摩擦が全く起きないかといえば、そんなことはないでしょう。ブラジル人は日本に親和的ですからまだいいですが、日本に親和的ではない民族を受け入れるのには、管理人は危惧しか抱きません。有り体に言えば、「異文化の共存とその限界」を感じた訪問でありました。

太田駅到着後は駅前のカフェで遅い昼食を済ませ、足利市経由で館林へ戻り、佐野線を探訪します。