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三田からは、神戸電鉄(神鉄)に乗車し、新開地に向かいました。
来てくれたのは、写真の3000系(@三田駅)。3年前の9月に訪問した際には、最後の粟生線訪問でやっとこさ乗ることができた車両でしたが、今回は一発ツモ!
ただそれほど遭遇するのが難しい車両かといえば、そうではなく実際には正反対。何故なら、この3000系は神鉄の最大勢力だからです(4連9編成)。
製造年次も昭和48(1973)年から平成3(1991)年までと長くなっています。もっともこれは、昭和56(1981)年から平成元(1989)年まで製造が中断された時期があるため、そのあたりは東武8000系や東急8000系列のような、長期間に製造が継続された車両とは事情が異なります。
写真の編成は第9編成で、3000系の最終編成ということになります。

3000系と2000系とのツーショットがこちら↓


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2000系は平成3年が製造初年@三田

3000系の製造初年は昭和48年ですから、両者の間には18年の開きがあることになりますが、やはりそのくらいの時間が経過すると、デザインにも相違が生じるのがよくわかるツーショットです。
…と普通はそう思うのですが、神鉄は平成3年にはこちら↓の1100系と同じようなデザインの1500系を製造しているんですよね。


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1100系 こちらの製造初年は昭和44(1969)年@有馬口

この1100系は「1000系列」を構成するもので、2扉か3扉かという違いの他は、前面形状には大差なく、大人しい顔となっています。
2010年代の今になってみれば、3000系だって十分に大人しい顔の部類に入るデザインですが、当時はかなりインパクトがあったでしょうね。ちなみにこの車両、アルミ無塗装の銀色の地にオレンジ色に近い朱色の帯を入れているものですから、その配色が某特撮ヒーローを彷彿とさせるということで、「ウルトラマン」というあだ名があります。

では、車内はどうなっているのか。
インパクトある外装に比べたら、内装はかなり落ち着いた部類と言えるかと思います。緑色の椅子と鎧戸のような日除け(写真には写っていませんが)は、親会社である阪急のDNAが色濃く出ているような気がします。


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内装は極めて落ち着いたもの(平成23年9月に粟生駅で撮影)

3000系は、冷房を搭載していることやアルミ製車体のため老朽化が進んでいないことなどが利点ですが、オールMで消費電力量が多いことが難点でしょう。ただ、神鉄は粟生線の存廃問題もあり、思い切った設備投資が難しい状況にあります。ということは、まだまだ3000系は神鉄の主力として活躍を続けるのでしょう。