前回は、「都市新バスの座を兄弟系統に奪われた系統」のお話でしたが、今回は「都市新バスになることができなかった系統」を取り上げます。
それが今回取り上げる「新小21」です。

「新小21」は、新小岩から小松川にある江戸川区役所前を通り、都営新宿線と接続する船堀駅、メトロ東西線と接続する西葛西駅まで走る路線であり、江戸川区内では南北に走る鉄道がないため、平日・土日を問わず活況を呈しています。ルートのほぼ全線で「船堀街道」という道路上を走るのですが、小島・棒茅場付近では船堀街道から外れ、片側1車線の狭い道を走ります。これは恐らく、現在の船堀街道が整備される前からこの路線が開業したからでしょう。このように、路線バスが改良された新しい道路を通らず、古い旧道を走る事例は地方でしばしば見られますが(管理人は静岡県網代地区などでそのような事例に遭遇したことがある)、東京都内にもそんな事例があるのか、と思わせてくれるような区間です。
ちなみに、船堀駅から西葛西駅を通って臨海車庫へ向かう「臨海22」は、「新小21」とは異なり、船堀駅-西葛西駅間は船堀街道を直進しています。これは勿論、「臨海22」の方が後になって開業したという経緯があるからだと思われます。
ところで、東西線西葛西駅は東西線西船橋開業の10年後、昭和54(1979)年の開業ですから、それ以前の「新小21」は一体どうしていたのかという疑問が湧きます。
実は「都営バス資料館」によれば、西葛西駅開業前は、何と浦安まで達していたそうです。浦安は東京都外でありながら、東西線開業前は都営バスの東の拠点でもあったそうで、この「新小21」の他にも、亀戸から浦安に達するもの(現在の「亀29」の前身)などがあったようです。しかし東西線開業後は、浦安に達する都営バスの路線は徐々に減っていき、昭和53(1978)年までには全てなくなったそうです。この1年前には市川に達していた路線が廃止されましたから(乗り入れ相手の京成は存続)、千葉県からの都営バスの撤退は、昭和52(1977)・54(1979)年の2度にわたった路線の大リストラの一環ということもそうですが、受益者負担の面で疑義があったことも理由にあったのでしょう。
昭和53年11月に「新小21」は浦安から撤退して葛西駅発着となるのですが、さらにその1年後の西葛西駅開業により同駅発着に改められ、現在みられる形態になっています。

この「新小21」、西葛西駅方面から江戸川区役所への足となったのもそうですが、昭和58(1983)年には都営新宿線船堀開業により船堀駅ターミナルに寄るように改められ、都営新宿線のフィーダー輸送という新たな任務が加わり、さらに活況を呈するようになりました。
そうなれば当然、「新小21」も都市新バス化か、8番目の都市新バスとして「都08」になるのか、はたまた「都09」の誕生か?とも思われました。実際に平成初期に具体的な検討もされたらしいのですが、実際には都市新バス化はなされず、依然通常系統のままです。
なぜ都市新バス化がなされず、通常系統のままとされたのか。これについては、いろいろな要因が指摘できようかと思いますが、管理人が考える最大の理由は恐らく、「里22」の場合と同じように、「経由地が地味すぎてインパクトがない」ということではなかろうかと思います。「グリーンシャトル」なら渋谷や六本木・新橋、「ライナー」なら上野や錦糸町、「アローズ」なら銀座や晴海、などなどといった「華やかな経由地」がなかったために、都市新バス化すれば確かに利便性は向上するかもしれないが、都バス全体に与えるインパクトは小さいと見られたのでしょう。
あるいは、このころから既に、都市新バスと一般路線との格差が小さくなってきて、無理に都市新バスを作らずとも、一般系統の改善も十分に図られてきたという要因もあったのかもしれません。

では、「新小21」はテコ入れが行われなかったかといえば、決してそんなことはありません。都営大江戸線の全線開業がなった平成12(2000)年12月12日、「新小21」に対して停車停留所を大幅に減らし、拠点間の速達化を図った急行バス「急行04」の運転を開始しています。
しかし、この「急行04」、客足が思った以上につかず、僅か2年半後の平成15(2003)年3月、呆気なく廃止されてしまいます。
廃止された、というか客足がつかなかった理由ですが、鉄道では当たり前の「緩急接続」がバスでは成り立たないことと、もうひとつは走行ルートの問題もあったと思われます。「急行04」の走るルートは「新小21」とほとんど同じですが(船堀駅-西葛西駅間は船堀街道を直進し、小島や棒茅場などを通らないことが異なる)、その船堀街道も幹線道路とはいえ片側1車線の道路で、思うようなスピードアップができなかったという要因もあったのでしょう。つくづく、バスにおける急行運転は難しいものだと思います。あの「都01」の急行バージョンですら、呆気なく廃止されていますから。「都01」のルートですら成り立たないものが、よそで成り立つわけがない…というのは、暴論に過ぎるでしょうか。

というわけで、「都08」になり損ねた「新小21」は、今日も江戸川区を南北に結び、多くの乗客を運んでいます。
こうして見てくると、乗客数の多い路線が都市新バスになるわけでもないというのがわかります。今回の「新小21」や前回の「里22」もそうですが、池袋-王子-西新井を結ぶ「王40」や渋谷-田町を結ぶ「田87」なども、いずれもドル箱路線でありながら都市新バスの候補になることはありませんでした。やはり「テコ入れのし甲斐がある路線かどうか」という基準で選定していたのだと思います。

次回は番外編として、都営バスの深夜運行と、24時間運行の可能性について論じてみたいと思います。

その10(№2735.)へ続く

※ 03/15、タイトルを改題し一部文章を訂正しました。