今回は、8000系の長編成化の過程を取り上げていきたいと思います。
8000系は本線と東上線の双方に投入されましたが、輸送量の伸びは東上線の方が大きく、長編成化も東上線の方が先んじています。8000系の投入開始は昭和38(1962)年ですが、その翌年には早くも6連での運転を開始し、さらにそれから3年後の昭和42(1967)年には、8連での運転を開始しています。
ただし8000系の組成は当初の4連(8100-8200-8300-8400)、それと増結用2連(8500-8600)が製造されただけで、6連や8連はこれらの組み合わせで作られていました。
最初に6連貫通編成が登場したのは、昭和47(1972)年に登場した8156Fでした。この編成は、電気的には4連の間に2連を挿入した形になり、形式区分は以下のようなものとされました。

8100-8200-8300-8700(T)-8800(M)-8400

その後、もともとの4連に8500-8600の2連を挿入し、運転台を撤去して6連に仕立てた編成が10本登場しています。
なお、この8156Fは、東武で初めて新製時から冷房装置を搭載する通勤車となりました。8156F以前に製造された非冷房の8000系車両については、順次冷房化改造が施されますが、全車の改造が完了したのは8156F登場の12年後、昭和59(1984)年のことでした。
また、これまでの8000系はベージュとオレンジのツートンで落成していますが、昭和49(1974)年5月に新製された8164F・8564Fから、塗装の簡略化のためセイジクリーム1色の単色塗装に改められ、以後の新造車はこの単色塗装で投入されています(在来車も順次塗色を変更)。
そして昭和51(1976)年、輸送量の伸びが相変わらず著しかった東上線に、遂に8両固定編成が登場します。電気的には従来の4連を2本合わせた形になり、形式はこうなっています↓

8100(奇)-8200(奇)-8300(奇)-8900(奇)-8900(偶)-8200(偶)-8300(偶)-8400(偶)

このような付番方法により、番号が下2桁を突破することになってしまいました。そこで、東武はこんな付番をします。

8199-8299-8399-8999-89100-82100-83100-84100 ※一例です

8999は「はっせんきゅうひゃくきゅうじゅうきゅう」でいいんですが、89100はどう読むかというと「はちまんきゅうせんひゃく」ではなく「はっせんきゅうひゃくのひゃく」なんですね。これは凄い「離れ業」だと思います。
実はこの付番方法には結構内部でも議論があったようで、

81XX+82XX+83XX+89XX+89XX-2+82XX-2+83XX-2+84XX

といった、西武の301系に近い方法や、

81-XX+82-XX…87-XX+88-XX

という、現在の10000系列や50000系列に近い付番方法も提案されています。
ともあれ、この付番方法によって、「サハ89116」という最大のインフレナンバーが登場したとともに、両端Tcのクハ8100・クハ8400には欠番が生ずることになりました。

余談ですが、後年、東急が8500系を大量に増備した際、デハ8700とデハ8800の車号が足りなくなりましたが、こちらは東武のような「87100」「88100」ではなく、千の位をゼロにして「07XX」とか「08XX」としてしまったんですね。これは東急では車号をコンピューターで管理していて、その絡みで車号を5桁にすることができないための苦肉の策でした。

東上線で8連が走り出した当時、まだ大山駅のホーム延伸が出来上がっておらず、同駅のホーム有効長は6両分しかありませんでした。これは同駅のホームの両端に踏切があったことによりますが、そのため、8000系の8連は、落成直後には暫定的に中間のT車2両を抜いた6連で運用に就いていました。その後、大山駅で編成中の2両をドアカット(扉非扱い)するための工事が施され、これが施された編成は「大山対策車」と呼ばれていました。この対策が施されていない編成については、運転台上のマーカーライトを常時点灯させることにより、大山停車の運用に入らないよう運用区別を行っていました。
その後、ホームを挟んでいた踏切のうち1箇所が地下道に改められ、踏切の廃止が可能となったことからホームの延伸が実現し、現在は10連でも大山駅でのドアカットの必要はありません。

その後、昭和51(1976)年11月からは、東武初の10連での運転が東上線で行われることになりますが、8000系は10連貫通編成を製造せず、8連に増結用2連を併結する形で対応しています。

前後しますが、昭和46(1971)年には森林公園駅新設と同時に森林公園検修区が開設され、東上線車両の検査はそこで行うことになりました。このとき、既に10連貫通編成の登場を見越し、検修設備はそれに対応して作られていたのではないかと思われるのですが、8000系では10連貫通編成が登場しなかったのは前述のとおりです。東上線での10連貫通編成の登場は、昭和56(1981)年の9000系試作車まで待つことになります。

さて、こうして8000系の投入が進められると、これまで東武の通勤輸送を支えてきた旧型車両は、相対的に見劣りするようになります。
しかし、両数が多いので、新車を沢山入れることができない。
そこで、東武は、旧型車両の走り装置を再利用して、新しく作った車体に載せ替えるという更新方法をとります。
こうした更新車には、7800系のグループと、それ以前のグループがあるのですが、次回から2回に分けて、7800系以前と7800系の更新の過程を見ていきたいと思います。

その6(№2539.)に続く

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