今回は、「新線池袋」開業のころのお話を。
現在の副都心線の一部となる、小竹向原-池袋間は、有楽町線の同区間と同時に工事が行われ、有楽町線として池袋-営団成増(当時)間が開業した昭和58(1983)年の段階では、既にトンネルや途中駅(要町・千川)の構造物は出来上がっていました。もちろん、この頃は副都心線の池袋-渋谷間は着工すらしていない段階だったのですが、後に工事を開始した際に手戻りを少なくする配慮もありました。同様の配慮は都営新宿線の建設時にも見られ、九段下-神保町間で並行する半蔵門線のトンネルと駅構造物を同時に施工しています。
そして同じ昭和58年、有楽町線の一部の列車が西武有楽町線への乗り入れを開始すると、小竹向原以遠では不等時隔となってしまいます。実際、12~18分ごとにエアポケットのように列車が抜ける時間が存在し、これが小竹向原以遠の利便性を低下させてもいました。
この不等時隔の解消を狙い、有楽町線のいわば「複々線」として、将来副都心線となる小竹向原-池袋間を先行的に開業させることとしました。

こうして、平成6(1994)年12月7日、上記区間が開業します。
ただ、当時は「副都心線」とも「13号線」とも呼称せず、この区間を「有楽町新線」又は単に「新線」とし、新しい池袋駅は「新線池袋」と命名されています。また、途中駅の要町・千川は通過扱い(未開業)とされています(以下では『有楽町新線』と呼ぶことにします)。
この「新線池袋」駅、当時の南北線と同じデザインの駅名表示に「池袋(新線)」と記されていました。そしてもちろん、開業当時にはホームドアなどはなく、島式ホーム1面の普通の駅だったように思います。管理人は開業後しばらくしてこの駅を見たことがありますが、白を基調とした非常にすっきりとしたデザインで、流石はデザインに定評のある営団の手がけた駅だ、と感心したのを覚えています。
この駅を単なる「池袋」ではなく、わざわざ「新線池袋」と命名したのは、この駅が大きく西にずれた位置にあり、既存の丸ノ内線・有楽町線いずれの池袋駅からも、そしてもちろんJRの池袋駅からも大きく離れているため、既存の各駅と識別させる意味合いもありました。この区間の開業について、短区間とはいえれっきとした新路線の開業であり、アピールしたいという営団の思惑もあったことは、想像に難くありません。
そのアピールのためなのか、当時の営団地下鉄の路線図に、池袋-小竹向原間の有楽町線のゴールドの帯の上にブラウンの帯が描かれ、有楽町新線が強調されていました。ブラウンはいうまでもなく、13号線(副都心線)のラインカラーですが、当時は有楽町線の複々線化という意味合いがあったにもかかわらず、あえてこの色を使ったところに、営団のアピールの意図を伺い知ることができます。
なお、有楽町新線の開業と同じ日に、西武有楽町線新桜台-練馬間が開業し、晴れて西武池袋線とつながりました。しかしこの時点では、練馬駅の高架化工事が未だ完成しておらず、線路はつながったものの、本格的な直通列車の運転にはさらなる時間を要しました。それでもこのとき、線路がつながったからなのか、西武の地下鉄乗り入れ対応車6000系が有楽町線・有楽町新線への乗り入れを開始し、従来の片乗り入れは解消されています。
有楽町新線の開業の大きな意義は、いうまでもなく「小竹向原~和光市間の不等時隔が解消されたこと」です。それまでは12~18分おきに新桜台行きが挟まるため、その時間がそのままエアポケットのようにすっぽり抜けていたのですが、新線開業でそのエアポケットがすっかりなくなり、利便性は大幅に改善されました。

では、有楽町新線の実際の運転系統は、どのようなものだったのか。
列車の運転本数は、当時の営団地下鉄の他の路線よりもはるかに少ない本数でした。日中は1時間あたり4本にとどまっていました。これは当たり前の話で、そもそもこの駅・この路線自体が小竹向原以遠の不等時隔解消という、運転上の必要から作られたものであることを如実に物語っています。
そのような駅ですから、利用者もごく限られたもので、朝晩のラッシュ時以外は閑散としていました。また新線池袋駅の切符売場の券売機は、少ない利用者の利用実態を反映したものなのか、池袋→小竹向原~和光市間と東武東上線・西武線の一部の駅に達する切符しか買えず、既存路線の2つの池袋駅に比べると、発売している切符の種類の少なさは際立っていました。
ただ、有楽町新線開業に伴い、関係各社の所要編成数は増加しました。そのため、東武は9000系を10030系のような軽量ステンレス車体・VVVFインバーター制御とした9050系を、営団地下鉄は07系をそれぞれ導入しています。

その後、平成10(1998)年から西武池袋線との本格的な相互直通運転が始まりますが、この段階でも「新線池袋行き」は健在でした。それも道理でして、池袋-渋谷間の副都心線は、工事着手が平成13(2001)年となったからです。副都心線開業までの間、有楽町新線は、有楽町線本体の不当時隔解消のバッファー役を地道に果たし続けてきました。
平成19(2007)年から、有楽町新線にも副都心線開業を見据えた工事が開始され、途中駅2駅の本格的な整備と同時に、新線池袋駅のリニューアルにも着手されました。具体的には、外壁の張替えとホームドアの取り付けですが、ホームドアの取り付けは同年12月に完成し、副都心線開業を前にした翌年4月から稼働しています。
そして同年6月、副都心線が渋谷まで開業し、同時にそれまでの有楽町新線は副都心線の一部とされることになりました。さらに、それまで「新線池袋」と称していた駅の名称から「新線」が外され、新線池袋駅は「副都心線の池袋駅」となっています。

副都心線の開業まで、地味な役割に徹し続けた有楽町新線。
しかし、このたった3キロの路線が、後の副都心線となりました。有楽町新線は、副都心線の先導役を果たしたと言えるのでしょうね。まさしく「布石」となった3キロだったと思います。

次回は、有楽町線と西武との相互直通運転が本格的に始まった時期を見ていきます。