その17(№1945.)から続く


当記事では、「特急料金を使用する特急列車に使用され、仕様その他が一般用と明らかに区別された気動車」を、ここでいう特急用気動車とします。

その意味における特急用気動車を保有した私鉄としては、かつて名鉄がありました。小田急や南海でも国鉄直通用気動車を保有していましたが、小田急の御殿場線直通列車は「特別準急」と案内されていましたし、南海も線内では特急扱いだったものの国鉄線内では急行扱いだったので、当記事では除外します。

大手私鉄以外では、国鉄改革に伴い各地に出現した第三セクター鉄道に、上記の意味における「特急用気動車」が登場しました。しかし、実際に自社でこの意味の「特急用気動車」を保有しているのは、北近畿タンゴ鉄道と智頭急行、土佐くろしお鉄道の3社だけです。この3社の他に、自社線を特急列車が走る路線として伊勢鉄道がありますが、こちらは使用車両がJR東海のキハ85系で、伊勢鉄道は自前の特急用車両を保有していません。

それも当然の話で、第三セクター路線は殆ど国鉄時代に不採算とされた路線を転換しているため、そもそも特急を運転するだけの需要のないところが大半だったからです。上記「特急用」の定義を電車に拡大しても、特急用車両の保有は北越急行だけであり、気動車・電車問わず特急用車両を保有している第三セクターは4社しかありません。

前置きが長くなりましたが、以下では第三セクターにおける特急用気動車を見ていきましょう。


1 北近畿タンゴ鉄道


この鉄道は、福知山-宮津間を結ぶ宮福線を最初に承継し(したがって創業当初の社名は宮福鉄道だった)、その後国鉄→JRの路線だった宮津線を承継しています。

これらの路線は、天橋立など丹後半島の観光地を結ぶ観光路線だったことから、特に旧宮津線には名古屋・京都・大阪から多くの直通列車が運転されてきました。北近畿タンゴ鉄道発足後も、京都や大阪からの直通列車は運転が継続されましたが、別会社となってしまったためにJRから乗り入れる車両に車両使用料を支払う必要が生じました。

北近畿タンゴ鉄道では、自社路線となった宮津線のアピールと、自社で車両を保有すればJRと車両使用料が相殺できるという実利的な面から、新型特急用車両を投入しました。

この車両は「KTR001形」とされ、流線形の先頭車を両端に配した3両編成を組み、しかも眺望に配慮してハイデッカー構造とされるなど、観光列車としての性格をもった車両となりました。そして、車体色はあっと驚くゴールド(第1編成)とシャンパンゴールド(第2編成)。当時はいわゆるバブル経済の絶頂期であり、鉄道にも豪華仕様の車両が多く見られた時期ですが、KTR001形もそのような時代に生まれた車両としての特徴を数多く有しています。走り装置はキハ183系と共通とされ、キハ181系と比べてもパワーアップが実現しています。

KTR001形は、平成2(1990)年から京都発着の特急「タンゴエクスプローラー」に投入され、ゴールドの車体をきらめかせながら京都駅に出入りしていました。2年後には増備車が登場し、予備車のない状態を解消しています。
「タンゴエクスプローラー」はその未来的な外観と高い居住性で人気を博しましたが、なぜか平成11(1999)年から新大阪発着・福知山線経由に振り替えられています。

しかし、KTR001形は3両編成で収容力が限られ、特に自由席車が中間の1両しかないことから、JR側から再三にわたって自由席車の拡大が打診されました。それらの要因が重なった結果、平成17(2005)年、KTR001形はいったん「タンゴエクスプローラー」の運用を外れました。その2年後に復帰するのですが、今年平成23(2011)年3月、列車そのものが廃止され、KTR001形は新大阪・大阪駅からもその特徴的な姿を消しました。


このほか、北近畿タンゴ鉄道では線内特急用として、JRのキハ58系を譲受し改造を施して使用していました(KTR1000・2000形)。これらは平成8(1996)年、2両1組で分割併合も自在、電車へのぶら下がり運用も可能なKTR8000形に置き換えられました。KTR8000形は、KTR001形と同じスペックの足回りをもっていますので、丸みを帯びた外観に似合わず、走りはパワフルなものとなっています。

上記「タンゴエクスプローラー」はこのKTR8000形を使用した時期もあったものの、その時期は短く、平成19(2007)年限りで終了し、同列車はKTR001形使用に戻されました。


現在、KTR8000形は分割併合の自在さを生かし、京都発着の「はしだて」「まいづる」に使用されています。


2 智頭急行


京阪神と鳥取県西部をショートカットする智頭急行では、当然特急列車の運転が計画されましたが、中国山地をカーブでたどるため、スピードアップのためには振子式の採用が不可欠となっていました。

そこで、JR四国の2000系とほぼ共通の足回りをもたせ、特急用としてふさわしい走行性能と車内設備を持ったHOT7000系を、京都-鳥取・倉吉間の特急「スーパーはくと」に就役させます。ちなみに、北近畿タンゴ鉄道では社名の頭文字を冠した「KTR(※)」でしたが、智頭急行の「HOT」は、同社の路線が経由する兵庫(Hyogo)・岡山(Okayama)・鳥取(Tottori)の3県の頭文字を取ったものとなっています。頭文字を並べると「HOT」となりますが、これは智頭急行の企業経営に対する熱い(=HOT)意気込みを示すものでもあるのでしょう。

智頭急行線の開業は平成6(1994)年の12月ですが、このときからHOT7000系は「スーパーはくと」として走り始めます。このころはまだJRのキハ181系の列車も同じルートに走っていて、こちらはスーパーのつかないただの「はくと」と名乗っていました。智頭急行の開業翌月、阪神大震災が発生していますが、HOT7000系は迂回ルートの快速列車としても使われたことがあります。

このころまでは、HOT7000系は普通車だけだったのですが、平成9(1997)年には半室をグリーン車とした車両も導入され、同年11月にはキハ181系を追い出し、全て「スーパーはくと」に統一しています。


※=KTRは北近畿タンゴ鉄道の略称だが、同じイニシャルを京王帝都電鉄(旧京王電鉄)も使用していた。現在の京王はCIに基づいたロゴを使用しているため、KTRのイニシャルは使用されていない。


ただ、キハ181系自体は、このときから岡山-鳥取間を智頭急行経由で走りだした「いなば」に使用されたので、同系の智頭急行線走行シーンは続けて見られたのですが、こちらも平成15(2003)年にキハ187系に置き換えられています。


3 土佐くろしお鉄道


平成2(1990)年、JR四国の2000系と同じ仕様の車両を4両導入しました。これらの車両は、高知に常駐し「南風」などに使用されていますが、車番(+30)以外はほとんどJR所属車両と見分けがつきません。


以上、第三セクター鉄道の特急用気動車を見てきましたが、いずれもJR所属車両と同等か、それを上回る高性能となっています。これはやはり、列車そのもののスピードアップの要請が大きいからでしょうね。


次回は、キハ181系気動車が勢力を縮小していった歩みを取り上げます。


-その18に続く-


※ 当記事は08/09付の投稿とします。また、一部本文を加筆・訂正しました。