※ 平成23年2月16日 一部修正


その5(№1732.)から続く


特急「あまぎ」が157系から183系1000番代に置き換えられた後も、急行用153系との2本立ての体制は変わりませんでした。

しかし、このころから153系の老朽化が顕著になってきました。153系に限らず、151系(→181系)や101系といった初期の新性能電車は早期に老朽化が進んでしまいましたが、その理由は、当時労使対立が激しくなってきており保守に手間が掛けられなくなったことや、保守が十分になされないのに酷使されていたことなどが挙げられます。また、車体そのものも、軽量化を尽くした一方でそれに対する腐蝕対策が不十分だったことも理由です(201系は腐蝕対策が十分にとられたため車体の劣化は少なかった)。


そこで国鉄は、153系の代替車の設計に入りますが、当時既に急行の4人掛けボックスシートという普通車の内装が時代遅れになりつつあったことなどから、新車両はそれまでのボックスシートを捨て、転換クロスシートを採用します。そして、当時153系が間合いで東海道線の普通列車にも使用されていたことから、普通列車への使用ももくろみ、急行型車両と同じ1000mmの片開き扉を両端に備えた2ドア車とし、デッキを広くとりました。グリーン車は、当時の特急用グリーン車相当の内装とされています。ただ、側窓は普通車・グリーン車とも1枚上昇式で、開閉できるものです。

この新型車両について、当初は急行「伊豆」の置き換え用と目されていたためなのか、「171系」と仮称されていました。当時の国鉄では、形式の十の位が「7」というのは急行型の証ですから、この車両は当初急行型として設計・開発されていたことがうかがえます。


しかし、途中で方向転換が図られたのか、この車両は特急として使用することになり、形式名も「185系」となります。言うまでもなく183系の次に来る系列ということですが、この車両を使用する列車を特急にしようと目論んだのは、当時の国鉄の赤字財政も理由に挙げられると思います。

既に国鉄は昭和43(1968)年度から完全な赤字に転落しており、その後も赤字は膨れるがままでした。国鉄も別に手をこまねいていたわけではなく、様々な輸送改善策などを実施しますが、当時台頭してきた競合交通機関との前には競争力を失い、乗客の逸走を食い止められませんでした。また、当時は国鉄の運賃の値上げには国会の議決を要した一方で、特急料金などはそれが不要だったため、国会の議決を経ずに増収ができるということで、急行列車の特急への格上げが進められることになります。そのような流れから、この車両を使用する列車についても、特急として運転することになりました。

ただ、さすがに他系統の長距離特急と同じ特急料金を徴収するのは気がひけたのか、国鉄は東京-伊東・三島間に通常の特急料金より割安な料金(通称B料金)を設定し、「実質的値上げ」「ボッタクリ」という批判をかわそうとしています。


この「伊豆」用車両…185系の内装以外での特徴は、それまでの国鉄にはなかった鮮やかな外板塗色を採用したことです。それまでの国鉄は、用途や電化方式などによる塗色の取り決めを頑ななまでに遵守してきました。したがって、以前の取り決めに従えば、185系といえどもワインレッド+クリームの「国鉄標準特急塗装」となるはずでしたが、185系は車体を真っ白に塗り込め、側面に緑の帯を3本斜めに入れるという、当時としては実にアヴァンギャルドな装いで世に出ました。その後、185系くらいではアヴァンギャルドでも何でもなくなってしまいますが。

外見で注目を集めた185系も、特急用としてみると、他の電車・気動車などよりも、内装のグレードが明らかに落ちるもので、この点は「料金に見合ったサービスが提供されていない」と、利用者から批判を浴びる一因になりました。


185系は昭和56(1981)年3月ころから徐々に姿を現し始めました。編成内容は急行「伊豆」用153系と同じ、基本10連(グリーン車2両入り)と付属5連(グリーン車なし)で、運用に入った当初は185系との併結運転も見られたものでした。

そしてその年の10月、185系の所定数が出揃い、それまでの183系使用列車も含めて特急化されることとなり、新しい愛称は「踊り子」と決まりました。この列車名は、言うまでもなく伊豆を舞台にした川端康成の名作「伊豆の踊子」からとったもので(文学作品から列車名を命名した初めての事例)、列車の行先との関連性もあり、伊豆に行く列車としてふさわしい愛称ではあるのですが、当時は「国鉄の特急列車としての『威厳』がない」などという意見が、当時の鉄道趣味誌の読者投稿欄に掲載されるなど、愛好家や一般利用者からは、必ずしも好意的に受け取られなかったようです。

何より、利用客から非難を浴びたのは、それまで急行として乗れた185系使用列車が、特急として特急料金を徴収するようになり、実質的には値上げではないかということでした。そこへもってきて、185系がそれまでの特急用車両から見て明らかに劣る内装を備えていたことからも、利用者の反発は大きなものがありました。また、それまで特急「あまぎ」として使用されてきた183系1000番代も、継続して使用され、列車名も同じ「踊り子」と名乗っていました。前回触れたように、183系1000番代は完全な長距離特急仕様で、185系との落差はそれなりにありましたから、急行「伊豆」のときの153系と157系ほどの顕著な差はないにしても、やはり185系使用列車が183系のそれよりワンランク下、という印象がありました。


なお、185系はその後、上野発着の中距離急行に使用されていた165系を置き換え、かつ上野-大宮間の新幹線接続列車に使用する目的で増備されています。こちらは、緑のラインを1本窓の下に通すオーソドックスなデザインで、編成単位も7連(グリーン車1両)とされ、車号も200番代と区別されています。


「踊り子」はしばらくこの体制で推移しますが、185系の投入から3年半経過した昭和60(1985)年3月のダイヤ改正により、変化が訪れます。

この改正で、東北・上越新幹線が上野に達したことにより、新幹線接続列車の運用がなくなった185系200番代が、何本か東海道系統にトレードされ、「踊り子」として活躍することになりました。それと入れ替わりに、183系1000番代は「あずさ」系統増発用として転出していき、同系の東海道での活躍は僅か9年弱で終了しました。


次回は、伊豆急に登場した「日本一豪華な普通列車」について取り上げます。


-その8に続く-