その14(№1599.)から続く


新宿発箱根行きが「はこね」「スーパーはこね」、小田原折り返しが「さがみ」。

御殿場線直通が「あさぎり」。

江ノ島線系統が「えのしま」。

以上にかかわらず、平日夕方の帰宅用ロマンスカーは「ホームウェイ」。


地下鉄直通の一部を除いて、小田急ロマンスカーは平成16(2004)年12月から、上記のような列車名で統一されています。

御殿場線直通列車と江ノ島線系統の列車は、以前の記事で取り上げましたので、今回は主に箱根への列車について、列車名の変遷をみていきたいと思います。


特急ロマンスカーに列車名が与えられたのは、実は1910形運転開始の1年後、昭和25(1950)年、特急が毎日運転となったときで、全4往復に「あしがら」「明神」「はこね」「乙女」という名前が付けられました。「あしがら」はその後、ロマンスカーの中核となる列車名であり、「はこね」は現在まで続いている列車名となっています。

その後、1700形→2300形→3000形SE車と車両も進化しますが、同時に特急列車の本数も増加していきます。当時は現在のような「列車群」、つまり同じ性格の列車をひとまとめにして同じ愛称を冠するという発想がなかったため、ひとつの列車ごとに別々の愛称がつけられていました。昭和35(1960)年当時には、「あしのこ」「明星」「あしがら」「さがみ」「大観」「仙石」「はつはな」「湯坂」「明神」「はこね」「乙女」「神山」「姥子」「金時」「早雲」「夕月」なる列車名があり、さらにその補完列車としての準特急に「須雲」「桔梗」「もみじ」「きく」「高原」といった、多種多様の愛称が付けられることとなりました。

このような方向は、必然的に列車名の「元ネタ」の払底をもたらすことになり、昭和38(1963)年のNSE投入により特急列車が完全30分ヘッドがなったときに、愛称が整理され、「あしがら」「あしのこ」「きんとき」「はこね」「おとめ」の5種に絞り込まれました。当然これらは1往復だけではありませんから、たとえば「あしのこ」の場合「第○あしのこ」などと称していました。

このころまでは、特急列車は全て新宿-小田原間ノンストップでしたが、昭和41(1966)年から、向ヶ丘遊園と新松田に停車する、初の途中駅停車型の列車が登場し、「さがみ」と命名されます。「さがみ」のような列車は、今にして思えば、ロマンスカーが観光客のための列車から、沿線の用務客や通勤客も取り込もうとした最初の動きだったといえます。ちなみに、「さがみ」は当初本厚木には停車しませんでした。

また、「さがみ」運転開始と同時に、箱根直通の列車の愛称が整理され、新宿-小田原間ノンストップの列車は全て「はこね」となりました。これによって、特急の愛称がついたときからの伝統をもっていた「あしがら」「乙女(おとめ)」が消えました。


途中駅停車型の列車は、翌年の昭和42(1967)年にも登場し、こちらは新原町田(現町田)に停車する列車で「あしがら」と命名、「あしがら」の愛称が1年ぶりに復活しました。
「あしがら」は、小田原折り返しか箱根湯本直通かを問わず、全て新原町田停車の列車に命名されましたが、同時に平日朝方の新原町田発の列車や、平日夕刻以降の新原町田行きの列車なども登場しました。これはまさしく、「ホームウェイ」の源流といっても良い列車で、このころから小田急ロマンスカーは、通勤客を取り込もうとしたことを伺い知ることができます。

なお、「さがみ」が本厚木に停車するようになるのは、さらにその翌年、昭和43(1968)年のことです(おおっ、管理人の生まれた年だ)。


昭和43(1968)年以降、特急ロマンスカーは以下のような分類がなされました。


「はこね」…新宿-小田原間ノンストップ、箱根湯本直通。

「あしがら」…新原町田(→町田)停車。小田原折り返しか箱根湯本直通かを問わない。

「さがみ」…向ヶ丘遊園、本厚木、新松田停車。小田原折り返しか箱根湯本直通かを問わないのは「あしがら」と同じ。


御殿場線系統もこの年、SSE車への置き換えとともに列車名も「あさぎり」に統一され、江ノ島線系統も「えのしま」で統一されていたため、これらを含めても特急列車の愛称は5種類となり、この体制がしばらく続くことになります。

このときの体制は、列車名と停車駅との相関関係が明確なものでしたが、平成7(1995)年、「あしがら」の一部が本厚木に停車するようになると、その相関関係も崩れ始めます。さらに翌平成8(1996)年には、特急の停車駅として新たに秦野が加わり、さらに同年分割併合が可能なEXEが登場すると、小田原方面と江ノ島線方面との列車を併結運転するようになり、平成10(1998)年に分割・併合の実施駅を町田から相模大野へ変更、同時に相模大野も特急停車駅となり、列車名と停車駅との関連性はバラバラになってしまいました。


小田急もそのような事態を直視したのか、平成11(1999)年、以下のように列車名の体系を刷新します。


新宿-小田原間ノンストップ・箱根湯本直通 → 「スーパーはこね」

箱根湯本直通・町田駅のみ停車 → 「(スーパーのつかない)はこね」

小田原折り返しか箱根湯本直通かを問わず、町田以外の途中駅停車 → 「サポート」

18時以降に新宿を発車する列車 → 「ホームウェイ」(小田原線・江ノ島線系統問わず)


御殿場線直通列車と江ノ島線系統(ただし新宿駅18時以降に発車する列車を除く)は従前どおりでしたから、4種類に整理されたことになります。「はこね」は町田停車の箱根湯本直通とはっきりしていましたが、「サポート」の途中駅停車のパターンがいくつか分かれるようになってしまいました。したがって、このときの改変は、列車名と停車駅との相関関係を一定の範囲で復活させたものの、こと「サポート」に関する限りは、以前の「さがみ」などのようなはっきりした関係は認められなくなってしまいました。

帰宅列車としての「ホームウェイ」は充実が図られ、平成12(2000)年には、それまで特急列車の設定がなかった多摩線系統にも走るようになっています。

その後、特急列車の停車駅は、平成14(2002)年に新百合ヶ丘が加わり、この駅に停車する列車が増えるのと反比例して、向ヶ丘遊園停車の列車が減少していきました。向ヶ丘遊園そのものも、この年に閉園していますので、「遊園地へのアクセス」としての役割は終わり、むしろ川崎市麻生地区の利便性を優先すべきという、小田急の企業としての判断があったのでしょう。


そして平成16(2004)年、「サポート」なる愛称が意味不明だとして不評だったことや、停車駅と行き先と愛称の関連性が曖昧になってしまったため、列車名は停車駅ではなく行き先との関連性を持たせるべきとして、冒頭のように愛称が整理されました。このとき、「サポート」が消え、5年ぶりに「さがみ」が復活しています。

さらに平成20(2008)年、地下鉄直通ロマンスカーが走るようになると、これらの列車には「メトロ○○」という名称を冠するようになりました。「メトロはこね」「メトロさがみ」「メトロホームウェイ」がお目見えしています。このとき、千代田線-有楽町線相互間の連絡線を使用して新木場へ直通する列車が登場していますが、これには以前の列車と全く関連性のない「ベイリゾート」という愛称を冠しています。


今後、MSEに続くロマンスカーが登場するとか、あるいは全く異なる発想の列車が登場するなどの可能性もありますが、ではそのときに新しい愛称が登場することがあるのか。はたまた、「あしがら」など懐かしの愛称が復活することはあるのか。そのあたりも今後の楽しみだろうと思います。


さあ、次はいよいよ、現在の小田急ロマンスカーのフラッグシップ、VSE。その登場の経緯について取り上げます。


その16(№1612.)に続く