JR=北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州の6つの旅客会社と、貨物。

大手私鉄=路線総延長最長の近鉄から、最短の相鉄まで16社。

鉄道会社には、その他にも様々な中小私鉄、公営地下鉄などがあります。

野球やサッカーのファンに「贔屓のチーム」「贔屓の選手」というものがあるように、あるいはアイドルのファンというものがあるように、鉄道愛好家にもそれぞれ「贔屓の会社」「贔屓の車両」というものが必ずあると思います。当ブログにおいで下さる皆様もそうでしょうし、管理人ももちろんそうです。

そして、そのような「贔屓」、すなわち特定の会社や車両に対する思い入れは、たとえその対象が異なっていても、その根底において「鉄道が好き」という共通の根っこを持っていることは疑いないと思います。管理人が当ブログにおいで下さる方のコメントやよそのブログの記事を拝見したとき、「おいおい、そうきたか」とか「この人、本当にこの会社(あるいは車両)に思い入れがあるんだなあ」ということは、見ているこちらにも痛いほど伝わってくるもので、それは管理人にとっても実に楽しいことでもあります。


ところで。

「好き」という感情の裏には、「嫌い」という感情があるのもまた当然のことです。もちろん、管理人も人間ですから、正直に申し上げれば、「嫌いな鉄道会社」「嫌いな車両」というものはあります。いくら「生まれながらの鉄ヲタ」を自負する身であっても、そこまでの博愛主義者になれるほど、管理人自身の器は大きくありません。

しかし、管理人自身は、「嫌い」だからといって、その鉄道会社や鉄道車両を貶めたり、腐したりすることはしないように心がけています。その理由は、当ブログを御覧になる方の中に、ひょっとしたらその会社あるいはその車両が好きな人がいて、その人に不愉快な思いをさせることがあるかもしれない、それはできれば避けたいと思うからです。いくら「個人の好き嫌いの範疇でものを言っています」という注釈を付けたとしても、自分が好きなものをけなされることは、あまり気分のいいものではありませんからね。要は管理人自身、そういうことをされると気分が悪く、悲しくなってしまうので、そういう気持ちを他の人に味わってもらいたくないという気持ちがあるからです。

そうであるならば、自分が「嫌い」、あるいは「気に入らない」会社や車両についての話題が仮に出たとしても、あるいは自分の贔屓にしている会社や車両が貶められたとしても、そのような議論には首を突っ込まず、「高みの見物」を決め込むのが正しい態度ではないかと思います。

とはいえ、内心はかなり穏やかならざるものになるでしょうし、むしろそれが当たり前といえば当たり前で、このような態度を取ること自体「言うは易く行うは難し」であることは百も承知ですが、仮にそのような人に反論をしたとしても、自分の感情の次元ではカタルシスが得られるかもしれませんが、そのやり取りを傍観している第三者は、あまりいい印象を持たないでしょう。そう考えてくるとやはり、「高みの見物」が正しい態度であろうかと思います。


ところが、現実にはそういう対応を取る人ばかりではありません。

自分が嫌いであることを理由に、その嫌いな会社や車両に対し、「親の仇」でもあるかのように激烈な誹謗や罵倒を加える人もいますし、自分が嫌いな会社や車両を擁護・礼賛している人に対し、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とばかりにそのような人を批判し、甚だしきは人格攻撃にまで及ぶことすらあります。

管理人が思うに、こういう人は、特定の会社や車両の贔屓=「ファン」ではないと思います。「ファン」であれば、自分の贔屓の会社や車両が貶められても、「俺は俺。あんたはあんた。人それぞれ好き嫌いがあるんだからしょうがないじゃん」と、泰然としていられるはずですし、また贔屓の会社や車両について、正当な批判と誹謗中傷の違いは見分けることができるはずです。したがって、正当な批判としての意見に対しては、嫌にならずに聞く耳を持つことができるはずなのです。

より甚だしきは、このような正当な批判としての意見に対してすら、それを一切許さないような態度に出る人も、鉄道趣味界には決して少なくありません。


管理人に言わせれば、それは「ファン」ではなく、もはや「信者」です。


「信者」になってしまうと、自らの贔屓にしている会社や車両が、誤解を恐れずに言えば「信奉の対象」となってしまい、それらに対する正当な批判や建設的な提言などは、一切耳に入らなくなってしまいます。そりゃ当然です、「信奉」とは「(ある主義・教えなどを)最上のものと信じて従うこと」(新明解国語辞典)を意味しますから、その「信奉の対象」に異論をはさむことや批判することなどは、許される余地がなくなるんです。ここまで読まれてお気づきかもしれませんが、このレベルまで来てしまうと、もはや「贔屓」というレベルではなく、「宗教」のレベルに達していますよね。どの宗教も、教祖を否定し、あるいは疑いをさしはさむのは許しませんから。

また、「信者」の困ったところは、その人の意見を他者に対しあたかも「踏み絵」のように押し付け、自分と同じ考え方の人以外は徹底して排他的になるということです。こういう人は、管理人に言わせれば、「自分で自分の趣味活動の領域を狭くしてどうするのか」と思います。どの鉄道会社、どの車両にも一長一短があるのは当たり前です。なのにある特定の会社・車両を最善として持ち上げ、それを他者にも押し付け、さらにそれに対する異論反論を一切認めないというのは、あまりにも偏狭な考え方でしかないような気がします。


このような「信者」は、一部の過激な野球ファンやサッカーファン、あるいはアイドルファンの中にもいますが、鉄道趣味界にも一定数いるのだろうと思います。


ただ、あえて「信者」を弁護するなら、鉄道趣味界でこのような人種が出現してしまうのも、分からなくはありません。なぜなら、鉄道愛好家という人種そのものが、自己の思い入れのある分野に対してのこだわりが半端ではなく強いという特性がありますので(このことは以前の記事で指摘したことがあります)、そのこだわりが高じて、「私(たち)の好きな○○は最高、異論は認めない」という態度になってしまうのは無理からぬことでもあるからです。

それでも管理人自身は、ある特定の鉄道会社あるいは車両の「ファン」でありたいと思っています。「信者」にはなりたくありません。


最後に。

「ファン」と「信者」の差は、以下の点にあるのではないかと思います。


1 自分が贔屓にしている鉄道会社や車両について、他の人の異なる意見を容れられる人が「ファン」、そうでない人が「信者」。

2 自分が贔屓にしていない鉄道会社や車両を見下さない人が「ファン」、そうでない人が「信者」。

3 自分が贔屓にしていない鉄道会社や車両を批判するとき、事実に基づいて議論しようとする人が「ファン」、事実を捏造してもとにかく叩こうとする人が「信者」。


他にもいろいろあるのではないかと思いますが、煎じ詰めると、


ファン=自分と相手の嗜好の違いを尊重できる人


信者=自分と相手の嗜好の違いを許せない人


ということになるのではないでしょうか。

ことは感情の問題なので難しいものですが、管理人自身は「信者」ではなく「ファン」でありたいと思っています。