その24(№1167.)から続く


2系統3往復にまで減ってしまった、我が日本の食堂車営業列車。

この3往復は全て、乗ることが主目的の観光用列車といっても過言ではなく、ビジネス・用務需要のある一般の列車には連結されていません。ビュッフェにしても、現在「ゆふいんの森」や「SL人吉」など観光列車における気分転換の拠点として用意されているだけで、やはり一般の列車からは姿を消してしまいました。

では、食堂車(ビュッフェも含む)はこのまま「過去の遺物」として衰微してしまわざるを得ないのか? 最終回の今回は、そのことを考えてみたいと思います。


そもそも、かつての長距離列車には必需品だった食堂車が、現在の列車に連結されなくなった理由は、ざっと挙げて以下のとおりです。


1 値段に見合ったサービスが提供されず、顧客の満足を得られなかったこと。
2 駅弁・コンビニ・ファストフード店など乗車前に食料を調達するチャンネルが増えたこと(=『テツメシ』の多様化)。
3 無札客の溜り場となってしまい、不正乗車の温床となったこと。
4 需要を読むことが難しく、食材のロスを抑えることがままならず、原価率を低くできなかったこと(=経費ばかりかかって儲けが少ない)。
5 スタッフの待機・休憩場所を都心部につくらざるを得ず、そのための費用がかさみ、経営に影響したこと。
6 拘束時間が長いためにスタッフを確保することが難しかったこと。


これらのうち、1と2は顧客側から食堂車がチョイスされなくなった理由、3は鉄道会社の不都合、5と6は食堂車運営会社側の問題です。

もともと、食堂車は創業時から原価率が高く、なおかつ売り上げの中に占める人件費の割合も高くなっており、その意味で商売としては「旨味が少ない」ものでした。それでも、戦前期から終戦直後は駅弁なども発展途上か供給不十分であって供食サービスの有力な選択肢が食堂車しかなかったこと、昭和30~40年代までは地上のレストランを凌ぐステータスの高さにより、他の選択肢に対してのアドバンテージを保ってきました。

それが、昭和40年代後半からの車内販売の増加、外食産業の多様化や国鉄内部の労使問題によるサービスの低下、要員確保の困難などの問題により、昭和50年代には新幹線以外の食堂車は壊滅しています。

その後、平成初期から始まったコンビニエンスストアの爆発的な普及は、ほとんど食堂車に引導を渡すといってもよいものでした。コンビニでは安価かつ手軽に食料を調達できますので、相対的に高額になり、しかも揺れる車内を何両も歩かなければならない食堂車は、一般利用者からは敬遠されてしまいます。

また、鉄道会社側からすれば、無札客への対応も問題でした。これは既に、東海道新幹線開業後「こだま」に自由席を設けたあたりから顕在化したのですが、入場券だけを持って列車に乗り、ビュッフェや食堂車ではコーヒーやビールだけで居座って検札をやり過ごすといったもので、国鉄末期までビュッフェや食堂車にいる乗客には検札をやらないことが暗黙のルールだったため、これによる収入減も無視できないレベルになってきます。国鉄末期にはさすがにそのような取り扱いをやめましたが、時既に遅し。JR東海が食堂車の廃止を決断した一番の理由は、このことだったともいわれています。


となれば、現在の食堂車が生き延びるためには、上記の問題点1ないし6をすべてクリアすること、具体的には「全車指定制の列車で、なおかつ予約制にすること」が最良の選択肢だということが分かります。現在残っている列車は全て自由席のない寝台列車ですが、その事実もこのような指摘を裏付けるものでしょう。


では、その他には一切の未来はないのか?

考えられるのは、「食堂車やビュッフェは旅客の気分転換の場であるから、おろそかにはできない」という考え方です。

現にこのような考え方に基づいて、かつての「つばめ」にはビュッフェ車が登場したわけですが、そのためには①無札客の溜り場化を避けることと②運営のコストをカットすることが重要になってきます。「つばめ」ビュッフェ車に椅子がなかったのは、恐らく①のためでしょうし、メニューを絞り込んだのも②のためでしょう。

ではこのような考え方で食堂車などを連結できるかですが、現在は外食産業が発達し食料を調達するチャンネルも多様化していることを考えますと、②の観点からは薄利多売の発想は通用しませんから(必ずしも一般旅客にとって食堂車はファーストチョイスではない)、客単価を上げるしか選択肢はないと思われます。また、一般の列車の場合、①をどうするかも大きな問題になります。食堂車でなくとも、かつてのブルトレのロビーカーを団体客が占拠して一般客と摩擦が生じている事例もあり(現在でも『トワイライトエクスプレス』で見られるらしい)、ロビーカーにおいてすらこうなのだから、まして食堂車においておや…の観もあり、一般の列車にかつての形態で食堂車を連結することは、もはや現実的でないと言わざるを得ません。

それよりも管理人が問題だと思う一番の理由は、そもそも食堂車の利用体験のある人が少なくなってしまい、そのような乗客に食堂車の利用を働きかけても、利用してもらうのは至難の業であることです。人間心理の問題として、過去に体験したことのない行動をするためには、何か強力な理由付けが必要ですが、食堂車にそこまでできるかどうか。仮にできたとしても、高コスト体質という食堂車運営業者の根本的な問題は解決されない以上、企業としては二の足を踏むのではないでしょうか。


以上によれば、今後の食堂車が生き延びる道は、観光用列車などのアトラクションのひとつとして連結されるか、又は(たとえ一般の列車に連結されるとしても)予約制にして客単価を高くし、かつ食材のロスを抑えることしかないと思われます。現在のビュッフェ車又はそれに相当する設備が、観光用の列車やいわゆる「ジョイフルトレイン」に集中している事実は、これらの指摘を裏付けているといえます。

こうして見てくると、食堂車は、過去の鉄道の歴史の中に埋没していかざるを得ないサービスの形態ではないかと思ってしまいます。愛好家としては寂しい結論ですが、鉄道も時代の変化とともに変化していくもの。その変化の過程で切り捨てられるものが出たとしても、それは仕方のないことなのでしょう。


本連載は今回で25回を数え、当ブログ史上最も長期の連載になってしまいました。本連載の概要を明らかにしたのが夏至の日、今回の記事をアップするのが冬至の日ですから、半年も経ってしまったのかと感慨に浸らざるを得ません。

ともあれ、2009年の連載にお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。来年も連載記事のテーマをいくつか温めていますので、どうぞお楽しみに。


-完-