その7(№956.)から続く


「ビスタⅠ世」10000系が世に出てから30年、「ビスタⅢ世」30000系からでも10年。

この年、それまでの近鉄特急の常識を大きく覆す、全く画期的な特急車が世に出ました。その車両は特急車の標準車号10000番代を超え、21000系の名をもって世に出ることになりますが、その車両のスペックは、以下のとおりのものでした。


1 先頭部は直線的な流線型とし、非貫通構造とする(他車との併結や共通運用は一切考えない)。

2 メカニックはオールMの6両編成(後に一部編成は8連に増強)。ただし制御方式は抵抗制御。

3 6両のうち2両は、アッパークラス(※)「デラックスシート」を導入。

4 高速性能と居住性を考慮し、2階建て構造は採らない。

5 外部塗色もオレンジ+紺色ではなく、白をベースにオレンジの帯が窓下に入るというもの。


※=私鉄の優等車は、戦後では伊豆急の1等車(→グリーン車)サロ180があるので、近鉄アーバンライナーが初ではない。なお、同じ近鉄で「レクリエーションカー」デトニ2303が存在したが、この「サロンルーム」の区画に特別料金を徴収していたかは現時点では不明(調査中)。


まず1ですが、この車両は「名阪ノンストップ特急」に専従する運用が考慮され、他の特急車との混結を一切考慮しないこととし、6連の固定編成を構成しています。他車との混結・併結の必要もないことから、デザイン性と空力特性を考慮して円錐形を横に切ったような流線型に整えられ、見るからにスピード感満点のデザインが出来上がっています。しかも大阪(上本町)方先頭車はパンタグラフを前方に構えた、いわゆる「前パン」スタイルで、この格好もなかなか勇ましくなっています。

2については、「名古屋-大阪間2時間を切る」ことが大目標とされ、青山峠の急勾配区間は勿論のこと、他の区間でもトップスピードを上げて高速化を図っています。そのために、それまでのMT比率1:1を捨て、全電動車方式に回帰しています(『ビスタⅡ世』10100系は中間がT車だが、実際には全ての台車に主電動機が装備されていて、全電動車方式と同じだった)。ただし制御方式は、当時近鉄が通勤車に積極的に採用していたVVVFインバーター制御は採用されず、従来車と同じ抵抗制御とされましたが、これは、このころはまだVVVFインバーター制御方式のイニシャルコストが高く、停車駅が少なく発進・停止の機会が少ない特急車では、通勤車のような劇的なエネルギー効率の改善が望めなかった(従ってコストを回収しきれない)ことが理由と思われます。余談ですが、小田急でも通勤車1000形にVVVFインバーター制御を採用していますが、その後に登場したRSE車20000形は抵抗制御です。これも当時の近鉄と同じ考えによるのでしょう。

そして接客面での最大の特徴は3です。これは、JRのグリーン車に相当する上級クラスを設け、乗客のデラックス志向に応えようとしたものです。座席も通常の車両が横4列なのに対しこの車両は横3列と、当時投入が進んでいたJRの特急車のグリーン車と比較しても、広さ・居住性とも全く遜色のないものでした。にもかかわらず特別料金は僅か300円とされ(現在は410円)、コーヒー1杯・缶ビール1本分のプラスアルファにより、ゴージャスな雰囲気でくつろげると人気を呼びました。

これに対し、愛好家の視点で言うとちょっと残念だったのが、2階建て構造を止めたことでした。その理由は、高速性能の確保のため重心が高くならざるを得ない2階建て車両の連結を止めたことと、2階建て構造にするとどうしてもヘッドクリアランスなど居住性に難があったため、居住性を重視するため2階建て構造を放棄したのが理由ですが、並行するJRでも2階建て新幹線こと100系が人気を博していたため、車両限界の小さい近鉄では優位性がなくなってしまったことも理由になっています。そのような次第で「ビスタⅣ世」は世に出ませんでしたが、ちょっとそれは残念ですね。

外板塗色ですが、ベースが白になったことで、他の特急車に比べてその存在感は際立っていて、一般乗客にも新しい特急であることをアピールしています。


このようなスペックを備えた新しい特急車は、「アーバンライナー」とネーミングされ、昭和63(1988)年から「名阪ノンストップ特急」に投入されます。この車両を使用した列車は、最速で近鉄名古屋-鶴橋間の所要時間が1時間58分と、名阪ノンストップ特急が運転を開始して約30年の時を経て、遂に名阪間2時間の壁を突破することになります。

当然のことながら、「アーバンライナー」を使用した「名阪ノンストップ特急」は絶大な人気を博し、「アーバンライナー」使用列車のみに乗客が偏るという現象がみられるようになりました。そこで近鉄は、増結用の2両を製造して一部編成を8連化すると同時に、さらなる追加投入を行い、2年後の平成2(1990)年、「名阪ノンストップ特急」は「アーバンライナー」21000系に統一されます。

この一連の投入劇によって、21000系は30000系に代わり、近鉄の新たなフラッグシップに君臨することになります。


21000系の投入によって「名阪ノンストップ特急」の運用から押し出されてしまった30000系「ビスタⅢ世」ですが、もちろん退役するわけはなく、京都発着の奈良・橿原方面への列車や大阪・名古屋から伊勢方面への列車など、観光色の強い列車へとコンバートされ、むしろ30000系の本来の使い道に合った運用がなされるようになりました。


ともあれ、一時は単行運転も大真面目に検討されたほど乗客が落ち込んでしまった「名阪ノンストップ特急」ですが、順調に乗客が増えていき、遂にはこの「アーバンライナー」の投入に伴って爆発的な乗客増が見られました。このときの乗客増について、当時の近鉄の社内では「アーバン効果」という言葉さえあったほどです。


「アーバンライナー」の投入が進んでいたまさにそのときは、日本中がバブル経済という熱病に浮かされていたような時代でした。とにかくこれ以上ないくらいの好景気。世の中にもイケイケな空気が充満していたものですが、鉄道界でも100系新幹線やこの「アーバンライナー」のように、意欲的な設計をした車両が多数投入されていました。近鉄特急もバブルの恩恵は勿論受けていて、増加した観光客を特急列車がさばいていました。


しかしそれも、うたかたの夢に過ぎなかったのかもしれません。

その後のバブルの崩壊は、我が日本を不況のどん底に叩きこみました。当然のことながら、近鉄及び近鉄特急も、その影響をまともに受けることになります。

それに伴って、近鉄の特急網も変革を余儀なくされるのですが、そのお話はまた次回。


その9(№970.)に続く