その12(№757.)から続く


平成19(2007)年初頭には、東横線所属の8000系は3編成にまで減ってしまいました。

東横線には、オリジナルの8000系の他に8590系編成が5本ありましたが、こちらも平成17(2005)年からこの年にかけて、大井町線や田園都市線にトレードされてしまい、東横線を去っています。8590系は、もともとみなとみらい線への乗り入れを考慮して製造された車両でしたが、16年の雌伏の時を経てようやく本来の任務に就いたと思ったら、その期間は3年にも満たない短いものでした。これもまた、運命の悪戯なのでしょうか。


この年のゴールデンウィークが終わった頃、東急の公式ホームページ(HP)に「8000系8039Fを使用したイベント列車を運転」という告知が載りました。内容は、「歌舞伎装飾」がなされず最も原型に近い編成だった8039Fを使って臨時急行を運転するというものでした。これはいうまでもなく、8039Fの退役に際したイベントです。
それと前後して、8039Fの両先頭車に貼られていた赤帯が剥がされ、さらに両先頭車の行先表示器がLEDから幕に変更されました。これは、更新も「歌舞伎装飾」もなされておらず、残存編成の中で最も原形に近い編成を、より登場時の姿に近づけようとするもので、まさに8039Fの「最後の花道」を飾らせようという、東急の配慮に他ならないものです。この幕の装置は、先に退役した8023F(この編成は、退役まで行先表示器が正面・側面とも幕だった)から移植したものでした。

6月30日(土曜日)と7月1日(日曜日)、この8039Fを使用した臨時急行列車が運転されました。内容は、


1 両先頭車の行先表示に幕を復活。
2 幕は、横浜方が登場時の「白幕」、渋谷方が「急・渋谷」の赤幕。
3 両先頭車とも急行を点灯。
4 前面にはあの急行の「赤サボ」が復活。


という、これでもかとばかりに「懐かし仕様」のてんこ盛りで運転され、多くの愛好家を集めたようです(※)。


※余談


復活した白幕には、「元町・中華街」という表示が見られましたが、これは当然のことながら、実車の白幕時代には見られなかったものです。管理人は、このイベントの日は自らの主催したオフ会「名古屋吊り掛け夏の陣」で名古屋に出かけており、生では見ることが出来ませんでした。後日あるブログで写真を見たところ、絶句してしまいました…。管理人としては是非とも「桜木町」を表示してほしかったところですが。もっとも、この列車はイベント列車とはいえ一般客の利用も可能な臨時列車として運転されたので、実在しない駅名を行先として表示するのは、旅客案内上問題があったのでしょうね。そこまで贅沢を言うべきではないことは百も承知ですが(^^ゞ


このイベントを花道に、8039Fは退役してしまい、残るは「歌舞伎装飾」を施された8017Fと8019Fのみになってしまいました。
8039Fの退役に前後して、5050系の16本目の編成が就役しました。この編成(5166F)はドアの窓ガラスの支持方法が変化したのと、それまではドアの客室側はステンレスが剥き出しだったのが化粧板を貼った仕様に変更されるなど、細かな仕様変更がありました。後者の仕様変更は、既に本家のJR東日本が新造車をE231系からE233系へとシフトさせていましたので、その仕様変更に沿ったものと思われます。


いよいよ稼働編成も出番も少なくなった8000系、既に出番は平日の朝のラッシュ時のみになってしまいましたが、予備車を考えなければ8000系抜きで定期運用を回せるようになったためか、滅多に出てきてくれなくなりました。たまに出てきても、ラッシュ終了後すぐの武蔵小杉行きになって入庫ということがほとんどになってしまいます。あるとき、管理人は学芸大学駅のホームを轟然と通過する8000系を見たことがありますが、そのときは特急運用に入っていました。そのときが、管理人が優等列車運用に充当されている8000系を見た最後になります。


8000系の退役は大井町線でも進められ、8590系編成の転入と引き換えに8003Fが、また「ドアが勝手に開く事故」で長いこと運用を離脱していた8005Fが退役し、残りはトップナンバーの8001Fのみになりました。
8005Fは平成17(2005)年、ホームのある側と反対側のドアが突然開くという事故を起こし、その日から運用を離脱してしまいます。この事故は国土交通省の調査の対象とされ、そのためもあってこの編成は長いこと長津田に留置され続けていましたが、この事故以後一度も運用に復帰しないまま、廃車解体されてしまいました。


そして平成19年も年の瀬になると、8019Fに惜別ヘッドマークが取り付けられるようになります。いよいよ東横線からの8000系の完全撤退が現実のものとなって、管理人にも迫ってくるようになりました。それと同時にHPに本当の意味の「さよなら運転」が告知されるようになりました。その「最後の日」は1月13日。


明けて平成20(2008)年。
新年を迎えると同時に8019Fが退役し、最後に残ったのは8017Fとなりました。管理人は、なぜこの編成が残ったのか分からなかったのですが、この編成は平成13(2001)年3月28日、渋谷発の下り特急一番列車に充当されるという栄誉を担った編成だったというメモリアルな編成だったために残されたのでしょう。

そして1月13日、渋谷-元町・中華街間の臨時特急として「さよなら運転」が行われましたが、そのダイヤはこの区間を2往復半し、最後に元住吉で入庫というものでした。管理人も下り列車に2度乗車したのですが、最後の元住吉行きには乗車せず、元町・中華街駅で8017Fの発車を見送りました。このとき、管理人は不覚にも込み上げてくるものを抑えることができず、ホームの上でしばらく立ちつくしていました。


東横線用8000系の退役によって、東急線に残るオリジナルの8000系は大井町線の8001Fのみとなりました。

しかし、8001Fの活躍も長くは続かず、2月25日、大井町線へのATC導入を前に、その最後の8000系も退役することになります。東横線の8017Fのときのような、大々的な「さよならイベント」が行われるのかどうか、愛好家の耳目が集まりましたが、実際には「さよならヘッドマーク」の取り付けすらない、実に静かな引き際でした。管理人個人としては、東横線のときが「カーニバル状態」と評するには生やさしいほどの阿鼻叫喚の図が見られたため、そのような状況を見たくなかったというのが正直なところですが、今にして思うと、せめて「さよならヘッドマーク」の取り付けくらいはあってもよかったのでは…と思います。


こうして、今年平成20(2008)年、昭和44(1969)年の第1編成登場から足かけ40年で、8000系は東急の路線から姿を消しました。兄弟車の8500系や8090・8590系は健在ですが、やはり8000系が姿を消したというのは、月並みな言い方ですが「ひとつの時代が終わった」という感慨を抱かずにはおれません。

次回は最終回となりますが、次回は、管理人にとって8000系はいったいどういう存在だったのか、そのことを記していこうと思います。


その14(№764.)に続く


※ 今回は「年末特別進行」として、当記事と次の記事を連続でアップし、当連載を終了させていただきます。