東京六大学野球、早稲田優勝!! | 非常勤講師はつらいよ―私学非正規教員の本音と生活向上作戦

東京六大学野球、早稲田優勝!!


早慶戦優勝

 昨日・今日と行われた早慶戦。例年よりもチケットの売れも良かったみたいで・・・(^^;

昨日は慶應が勝ったとの事でしたが、今日はあの斎藤佑樹投手も登板し、快勝!

見事に優勝を決めました!!クラッカー結果はこちら。


2007年 東京六大学野球 春季リーグ試合結果

▼2007/06/03(日) 早大-慶大2回戦 (1勝1敗、神宮)
1 2 3 4 5 6 7 8 9
早 大
慶 大

【投手】
(早)斎藤、松下、須田-細山田
(慶)中林、加藤-坂本、高橋玄、真田

【責任投手】
(勝)斎藤6試合4勝
(敗)中林5試合3勝1敗

【本塁打】
(早)原2号3ラン(中林)、細山田1号2ラン(加藤)
(慶)

【戦評】
 早大は一回に重盗、犠飛で2点を先制。三回に原の3ランなどで4点、四回にも細山田の2ランで突き放した。斎藤は六回に制球を乱して失点したが、継投で反撃をしのいだ。慶大は六回に4点、九回にも1点を返すなど粘った。

 私この大学卒なのに、実は春の早慶戦は見に行った事がないんです(^_^;(秋は1年の時に一度アリ)注目の選手もいなかったし、バイト優先の生活でしたから(^o^;)

卒業後は「ああ、早慶戦の時期だなあ」と思うくらいですが、さすがに今年は気になりましたね(笑)

しかし昨日はTOEFLを受けたため、中継すら見られなかったのですが(><)

それにしても、球場は盛り上がりはすごかったですね!!昨日は夜も早大生はバカ騒ぎをしていたようで・・・でも羨ましいです(^_^)

今日も試合があったのですか。で、パレードも今日だったのですね!昨日だと思っていましたよ。

そう、早稲田が優勝した時のパレードは、在学中に一度参列した事があります走る人懐かしいですキラキラ


斎藤の力投が優勝呼んだ! 早大2季連続39度目V


確かに斎藤投手はスター性があると思いますが、個人的にはこのお兄さんの支えが素晴らしいと思いました合格

ハンカチ王子を陰で支えた兄、斎藤聡仁さん

東京六大学野球で大活躍の早大・斎藤佑樹投手(18)。その快投に沸く神宮のスタンドにはいつも、日大商学部2年の兄、聡仁(あきひと)さん(21)=写真=の姿がある。都内で2人暮らしをし、早実時代の弟の全国制覇を陰で支えた聡仁さん。自身も球児としてならし、早大でのプレーを夢見ていた。日大に進んだ現在は、社会人のクラブチームで二塁手として活躍する。弟への思いや、野球に対する気持ちを聞いた。

--弟の活躍をみて

「小学校から佑樹のプレーを見てきましたが、あらためて、アイツはすごいと思いました」

--早実時代の斎藤と東京で2人暮らしをしていましたが

「佑樹が早実に進学、自分も東京の予備校に入りました。2人とも実家(群馬県太田市)から通うのは大変なので、親と相談して決めました」

--志望大は

「ワセダです。高3のとき、練習会に参加して、鳥谷さん(阪神)や青木さん(ヤクルト)がいて、レベルの高さと雰囲気の良さに感激しました。自分も神宮でプレーするのが夢でした」

--どんな生活

「自分が炊事、洗濯をしました。最初は佑樹に洗濯をやらそうと思ったのですが、忙しそうなので…。結局、自分が全部やっちゃいました」

--聡仁さんの生活は

「朝6時ごろ起きて、佑樹に朝食や弁当を作って予備校に。夕方に近所で食材を買い、夜10時すぎに戻る佑樹に夕飯を作って、ユニホームなどを洗濯して寝るという1日でした」

--家事と受験勉強の両立は大変では

「自分が甲子園に行けなかったので、アイツにはぜひ行ってほしいという一心でした」

--1人暮らしなら早大に合格していたかも

「正直、『この生活でいいのか』という葛藤はありました。勉強中、眠くなることもあったし、夜もじっくり勉強したいと思うこともありました。当然、そんなことは佑樹には言わないし、浪人させてもらった両親にも言いませんでした」

--2浪目の年も早大受験に失敗

「日大に合格しました。そのとき、佑樹は3年生で、まだ2人暮らし。アイツ中心の生活で、大学の仲間と飲みに行ったりすることも、ほとんどありませんでした。サークルにも入っていません」

--今の生活は

「佑樹が早大の寮に入った4月から、1人暮らしになりました。神経を使う必要がなくなって、もうすごい楽です。アルバイトも週3ぐらいやって、自分中心の生活です」

--昨年10月から社会人野球チームで、プレーを再開

「最初は六大学以外での野球は考えられませんでした。けどやっぱりプレーしたいと思い、父親に相談したら『クラブチームはどうだ』と言われたのがきっかけです」

--佑樹さんとグランドで対戦したい

「そうなればうれしいですね。でも、本音は佑樹とワセダでやりたかった。これからは、佑樹の兄ということで、それなりに見られると思うので、それに恥じないよう、自信をもって生きていきたいです」

(聞き手・山内倫貴)

■斎藤聡仁(さいとう・あきひと)

昭和60年7月26日、群馬県太田市生まれ。弟・佑樹と同じ生品小で野球を始める。群馬・桐生高では1番、二塁手として活躍し、3年の夏の県大会では4強進出。現在、解散した社会人野球「熊谷組」を母体とする「熊球(ゆうきゅう)クラブ」でプレー。1メートル80、80キロ。右投げ左打ち。


★「ハンカチ」嫌がっていた

聡仁さんによると、「ハンカチ王子」の呼び名について斎藤は当初「『ダサい!』と嫌がってましたね」。早大進学後は「『ハンカチより、まだ佑ちゃんのほうがいい』と言っています」という。

2人暮らしでは「佑樹は帰ってくると、メシを食べて風呂に入って、すぐ寝てしまう。会話は野球の話ぐらいでした」。また「たまに洗濯させると、伸ばさないでテキトーに干す。2人で外食するときも、自分にはしを渡すこともなく、勝手に食べ始めるような弟です」と証言。「ピッチングのような緻密(ちみつ)さは、家族といるときはないですね」と笑った。最後に「まずは4年間、けがなく過ごして、プロ野球やメジャーのマウンドに立ってほしい」とエールを送った。