日本ハム44年ぶりの制覇~新庄劇場、最高のフィナーレ~
もうご存知の通り、日本ハムが日本シリーズを4-1で制し、日本一に輝きました!
相手のセ・リーグ優勝の中日も、勝てば52年ぶりで、両リーグで最も日本一から遠ざかっているチーム同士の対戦だったとの事です。
ただ中日といえば、西武黄金時代に星野監督を率いての優勝や、おととし落合監督就任一年目の優勝など、リーグ優勝は何度か見てきたため、そんなに遠ざかっていた感じがしませんでしたし、
そうした実績からも中日が有利だと思っていました(世間での予想も同様だったようです)。
おとといの第5戦も、テレビに釘付けになりました。
最初は両者無得点でしたが、私がラジオ英語講座を聞いている間に中日が1点先制したようで(笑)
しかし5回裏、金子選手による意表をつくスクイズで同点に追いつくと、セギノールが2ランホームラン!!ここで試合をひっくり返しました!
8回にもホームランが出て4点目。そして打席には、現役最後のバッティングとなる新庄選手。
三振に終わってしまったものの、観客からはスタンディング・オベーション、声援はすごいものでした。新庄の目にも涙、なんだかジーンときましたね。。
そしていよいよ9回表。2アウトの後、最後に打たれたボールを森本選手が受け止めて試合終了!
おめでとう!!!!!真っ先に胴上げされたのは、新庄選手でした。
この勝利は、ヒルマン監督の指揮の下に、様々な選手の健闘が光ったゆえと感じます。
新庄選手は後述しますが、実力者・小笠原選手、選手会長(ですよね?)の金子選手、HRが目立ったセギノール選手、新庄の後継者とされる森本選手、など挙げればきりないです。
投手陣では、金村ら中堅~ベテランだけでなく、ダルビッシュや八木などの若手の成長も大きかったと思います。
監督の言った「必要のない選手などいない」の通りだと思います。
そして新庄選手、北海道移転が決定した年に帰国して入団を決意。人気・実力面の両方からチームに大きく貢献してくれたと思います。
派手なパフォーマンスだけでなく、チームが不振だったり悲しいニュースがあった時も、何とかして仲間の選手達を元気付けたりファンを喜ばせようとする姿勢も伺えました。
その年の新年に放送された「クイズ・ミリオネア」でも、「新庄鉛筆」などを使って一千万円を獲得してしまったのもすごかった!(^o^)
春に今季限りでの引退を宣言した時には残念でなりませんでしたが、ボロボロになる前に身を引く方が彼らしいかとも思いました(ただ、あのように見えて満身創痍だったようですね。)
そんなチームが一丸となっての今回の日本制覇、しかも本拠地での胴上げは、出来すぎるくらいの最高の終わり方でした!
何だか、新庄選手には「野球の神様」がついているかのようです。本当に最高の花道になりました。
新庄選手、ありがとう!!長い間お疲れ様でした!
冬の準備期間と言われる寂しい季節の北海道を熱くした今季のプロ野球は終わりましたが、まだまだ続きそうですね。
北海道の人々を元気付け、活性化にも大きく繋がると思います。
改めて日本ハムの皆様、おめでとうございます!そして、感動をありがとう!!(^o^)/
日本ハムが移転3年目で悲願の日本一達成
- 引退を日本一で決めた新庄は、誰よりも先にナインに胴上げされ涙のナンバーワンポーズ(撮影・宇治久裕)
日本ハムが北海道移転3年目で44年ぶりの日本一に輝いた。先発のダルビッシュは4回に中日に先制を許したが、粘りのピッチングで8回途中まで1失点に抑えた。日本ハムは5回裏に金子の意表を突くスクイズで同点とし、6回主砲セギノールが右翼越えに2点本塁打を放ち逆転に成功。8回には稲葉が右翼へダメ押しソロ本塁打を放ち突き放した。
ダルビッシュ、岡島、マイケルの継投で中日に反撃を許さなかった。引退を表明している新庄は、最後の打席となる8回に泣きながらフルスイングし、三振に終わった。中日は8安打を放ったが要所を締められ、名古屋に戻ることができなかった。
<日本シリーズ:日本ハム4-1中日>◇第5戦◇26日◇札幌ドーム
日本ハムのトレイ・ヒルマン監督(43)が歓喜の輪の中で新庄と抱き合った。号泣する新庄に、ヒルマン監督の目も潤んでいた。真っ先に胴上げを促されたが、新庄ら選手の胴上げ後に3度宙を舞った。勝利監督インタビュー。パ・リーグ優勝時のあの日本語のあいさつで札幌ドームのファンがドッと沸いた。「ありがとうございます。シンジラレナ~イ。北海道のみなさんは世界で1番です」。
ヒルマン野球の象徴的な試合で日本一を飾った。1点差の5回無死二塁から鶴岡に送りバントを指示。続く金子はカウント1-1から外角のボール球に体勢を崩しながらも投前へスクイズを決め、同点とした。さらに6回には無死から中前打で出塁した田中賢が意表を突く盗塁。セギノールの勝ち越し2ランへつなげた。レギュラーシーズンで133犠打を記録したが、シリーズでも第1戦から最多記録の13犠打。堅実な攻撃を見せる一方で時折見せる機動力、スクイズなど意表を突くヒルマン采配がピタリ的中した。
「ここまで平たんな道ではなく、いろんなことがあったが、ようやくこの日を迎えることができた。ファンの方には言葉にできないほど感謝しています。本当にディフェンスもオフェンスも頑張った。父が誕生日でもあります」。来日しスタンドで観戦の父ロイスさん(73)に最高の誕生日プレゼントを贈った。選手を先に胴上げさせたのは感謝の気持ちだった。
今季限りで引退する「新庄効果」でチームが1つになった。「新庄さんはたくさんのエネルギーをくれた。自らの花道を飾る活躍だった」と称賛の言葉を並べた。さあ次はアジアシリーズ。「外国人監督として日本を代表して戦うことを誇りに思います」。再びあの日本語のフレーズを口にすることを誓った。【平井勉】
- 日本ハム新庄は、胴上げされ涙のナンバーワンポーズ(撮影・宇治久裕)
<日本シリーズ:日本ハム4-1中日>◇第5戦◇26日◇札幌ドーム
こんな幸せな胴上げがあるだろうか。日本ハムが中日を4-1で下し、4勝1敗で44年ぶり2度目の日本一となった。今季限りでの引退を表明し、日本中から注目を浴びていた新庄剛志外野手(34=SHINJO)が、泣きながら超満員の地元札幌ドームで一番最初に宙に舞った。奔放なパフォーマンスで観客を引きつけ、チームを巻き込んで頂点まで上り詰めた。記憶に残る異色のスターは日本シリーズの舞台も「新庄劇場」にして、野球人生28年間の花道を飾った。
新庄が止まった。動きだすこともできなかった。9回2死。左中間への飛球を追った。森本がウイニングボールをつかむ。全身を丸ごと包み込むように力いっぱい抱き締めた。左肩に顔を埋めた。1秒、2秒、3秒…。固まったまま歩きだすこともできない。チームメートは自然とセンター方向へ、新庄を迎えに行った。1人ずつ抱き合っていく。試合中から流し続けた涙が止まらない。「チャンピオンになったということより、この仲間たちと野球ができなくなるという思いがすごく強くて」。日本一の涙は、北の大地に落ちた。
体がフワリ持ち上げられる。一番最初に3度舞った。両人さし指を天高く突き上げ、札幌ドームの宙を飛んだ。日米含めて初めての経験。輪から外れると、両ひざに手を突いたまま、また号泣した。
8回、最後の打席。いつも笑顔の男が、次打者席から泣いていた。4万2030人の観衆が総立ちになった。泣いて、泣いて、最後はフルスイングで3球三振だ。「7回ぐらいから(守備位置の)オレのところに(打球が)飛んできたら捕れなかった」。そう試合後に明かした。
笑顔の裏に、いつも孤独な闘いがあった。人気も成績も低迷したチームを変えた。最後の最後まで、行動を続けた。実はこの日本シリーズ2日前。札幌から敵地へ移動した19日の練習中、ヒルマン監督を呼び止め、衝撃的な直談判をした。「引退するオレではなくて若い選手を出してほしい。スタメンで出る、こういう経験はなかなかできない。成長できるから」。初戦の先発出場を自ら辞退する申し入れだった。売り出し中の若手、紺田の起用を勧めた。
シリーズ出場が決まった時から自問自答していた。その前日「言おうか、どうか迷っている。オレも最後の日本シリーズだし…」。途中出場でも構わないとの考えを約10分間、訴え続けたという。週刊誌に2人の確執の記事が掲載された発売翌日には、ヒルマン監督が事実無根と事情説明に来てくれた。02年米ジャイアンツ時代に新庄が監督と衝突した理由を調査し、束縛せずにプレーをさせてくれた。3年間、わがままを聞いてくれた指揮官に初めて強硬に言った。「そういう考えも分かる。だが最後に男になるという考えもある」。そう説かれて、最後まで出続けた。「ホントに、このマンガみたいなストーリー。出来過ぎでしょ」。ラストの「新庄劇場」を痛快に完成させた。
人生、すべて1人で決断し、歩んできた。阪神入団、メジャー挑戦、日本ハム移籍。そして4月の異例の電撃的な引退表明もそうだった。いつでも「(強運を)持ってるわ、オレ!」と自分を信じて選んできた道は最後に1本、最高の花道へとつながった。
「(3度目の)ビール掛けも慣れちゃった。引退撤回? やめちゃうよ。でも最後にこんな結果になるんだったら、もう1年ぐらいやれば良かったかなあ」。とことん野球を楽しんで、人を楽しませて、新庄は幸せすぎるピリオドを打った。【高山通史】
▼日本ハムが東映時代の62年以来、44年ぶりの日本一。外国人監督のシリーズ制覇は昨年のバレンタイン監督(ロッテ)に続いて2人目になる。日本ハムの失点は4点→2点→1点→0点→1点で合計8失点(防御率1・64)。シリーズで8失点以下は、05年ロッテ4失点、51年巨人7失点、60年大洋7失点、90年西武8失点に次いで5チーム目。また、攻撃では92年西武の14犠打に次ぎ90年西武と並び2位タイの13犠打を記録。シリーズでスクイズを成功させたのは88年2戦仁村弟(中日)以来。同点スクイズとなると、56年3戦で中谷(西鉄)が決めて以来、50年ぶりだった。公式戦同様に強力投手陣と送りバントでシリーズを制した。
[2006年10月27日付紙面から]