10月特選映画【22】★映画のMIKATA「食べる女」★映画をMITAKA | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。

10月の初めに設備管理関係の試験勉強のために暫く映画観賞を「封じ手」にしていました。なので、10月の多くの掲載を割愛しました。その後にさらに、手足が痺れる体調に驚き「脳神経外科」で検査・診察したところ、軽い脳梗塞の前兆が見られました。脳の血管の一部に細い部位が発見されましたので、早速不正入試で話題になった横浜の大学病院で1週間あまりの間手術を受け、入院退院を繰り返していました。そんな訳で、再びブログ掲載がストップしました。未だ脳神経外科の治療を残してますが、一段落がつきましたので、今回、未だ劇場で公開中の作品も数多ありますので、過去に公開された映画作品も含めて、掲載しました。映画ファンにはもうとっくに観賞済の映画ばかりで、鑑賞の参考にならないかもしれませんが私の映画鑑賞の備録も兼ねて掲載しました。11月の小康状態を利用して鑑賞した新作公開作品を大幅の遅延で«10月特選映画»としてアップロードしました。11月も観たい映画が、マイケル・ムーア監督の『華氏119 』を初め陸続と公開されますーネ。

 

やれやれやっとのことで、10月の特選映画をまとめてアップロードします。今回5本を映画館で観賞、通算で5本を掲載しました。選んだ特選映画1本は、『食べる女』でした。どのようiにまとめるか…とコメントを書くのに一番悩んだ作品でした。

 

1

プレデターシリーズは、『シュワルツェネッガー/プレデター』(1987年、ジョン・マクティアナン監督) 以来、『プレデター2』(1990年、スティーヴン・ホプキンス監督) 、『エイリアンVS. プレデター』(2004年、ポール・W・S・アンダーソン監督) 、『AVP2 エイリアンズVS. プレデター』(2007年、コリン・ストラウス &グレッグ・ストラウス監督) 、『プレデターズ』(2010年、ニムロッド・アーントル監督)とシリーズ続編がいろいろと公開されてきました。宇宙からの無敵の侵略者が地球人とガッチリ戦う戦闘シーンが、仲間が残虐な敵に殺される「味方と敵」の対立パターンにピッタリ嵌る、例えば開拓民の頭の皮を剥ぐ残虐なインディアンと第七騎兵隊、列車を走る強盗団と保安官・ワイアッアープ・・・という西部劇のパターン、腹黒い商人と正義の味方の任侠渡世人、農民をいたぶる悪代官と水戸黄門と言う善と悪の定番のパターンが、アメリカ人や日本人の心さえも恐らくワクワクドキドキスカートする勧善懲悪のストーリに人類が、多種の猛禽類や多種の猿人類から生き残ってきた文化的深層心理を心地よく刺激するからだろう・・・ネ!!!これは『ザ・プレデター』は丁度シリーズ第6弾めにあたる公開でしょうか…ネ。私はどれをシリーズに入れてよいのか迷うほど作品が多かったです。取りあえず、9月にコメントする1本目『ザ・プレデター』(2018年、シェーン・ブラック監督)をシリーズ第6作目に数えました。87年のアーノルド・シュワルツェネッガーが傭兵として主演に登場して以来、地球侵略のSF映画「プレデター」ですが、その都度、プレデターと闘う主役の地球人が監督によってさまざまな俳優が主演しています。

 

前作『プレデターズ』では、地球外生命体によって謎の惑星に拉致され、鬱蒼としたジャングルの中に放置された傭兵のロイス(エイドリアン・ブロディ)たちー、狩猟を楽しむためだけのために拉致され惑星に放置された地球人CIAの凄腕スナイパーやロシア特殊部隊の隊員、日本のヤクザや死刑囚といった戦闘のエキスパートや殺し屋たちが、生き残りをかけてプレデターとサバイバルの戦いを繰り広げる。今作では、 元米兵のスナイパー ・ クイン(ボイド・ホルブルック)と、いずれも元軍人ではあるが、軍事裁判にかけられたはみ出し者の受刑者たちー、ネブラスカ、コイル、バクスリー、リンチ、ネトルズたち5人の「退役軍人受刑者」たちが闘う。そこに生態学者であるケイシー・ブラケット博士と、クインが自宅へ梱包して送った、メキシコで遭遇したプレデターの墜落円盤の宇宙人から手に入れた彼らの装置品を、彼の天才的な息子ローリーが興味本位に起動させ、地球にプレデターの位置を探知させるシグナルを発信する・・・という展開で、プレデターズと戦うことになる。基本的なストーリ設定に沿って、宇宙人「プレデターズ」と5人の地球人戦闘員との戦いです。

 

娯楽映画として私も堪能しました。気にいたならば難しい話は抜きにして西部劇のジョン・ウエインを楽しむように、レンタルショップで他のプレデターシリーズを借りてより楽しみを膨らませてください。

 

2

2本目は、『食べる女』(2018年、生野慈朗監督、筒井ともみ原作&脚本、『食べる女』新潮文庫発行)原作)でした。

 

映画の原作の傾向が少し変わったようだ。劇画・漫画が映画監督によって採用され、それを脚本家や映画監督自らが脚本と脚色をする荒唐無稽の時代劇や、人気アイドルを起用したケバケバシイ恋愛映画や淡い初恋物語が作品になっていました。この、『食べる女』日日是好日』などは、エッセイが原作となっています。エッセイを映画化するのは私など映画の新しい流れが始まているとしか思えませんーネ。この作品も筒井ともみのエッセイ的要素を持つ短編集『食べる女  決定版』が原作です。

 

エッセイを映画化するのは難しいと私は思います。エッセイにはストーリがないので、断片断片のエッセイストの心象風景と、それに付帯した視線に広がる流動的な情景から、映画のフィルムに「物語」らせるのは、あふる意味で自由度が高いと同時に、監督の心象と情景を接着するにぱとてつもないエネルギ―と想像力がそつ必要とするのではないでしょうか…。

 

映画の冒頭で、多感な小学生が道路に蹲り、道路に耳を付けて道路の下に隠れた地下水脈の水の音に耳を澄ませている女の子の姿がありました。大地の奥深く流れる生命の音…は、人間の人体に例えるならば、食欲と性欲だろうか。

 

食べることとセックスは人の原初的で根源的な生存本能です。食べなければ生き続けられないし、セックスなしにホモサピエンスは絶滅していただろう。食欲と性欲は人間の生存を支えています。が、本能以上に長い文化さえも形作っているとも言えます。食欲と性欲は、人類の歴史の営みの中で人間らしさの輪郭線をも引いてます・・・。が、私は女性と性について経験を交えて語るほど経験豊富ではないので、あまり多くは語れませんーネ。さてさて、どのようにこの映画を三枚におろしてコメントを書こうかと…と迷っていました。今まで食べた食事の中で忘れられない味覚はー、四季折々の食材を生かした和食で舌鼓した包丁さばきの料理人はー、海外で食べた西洋料理のシェフが皿の上にせた絶品のメニューはー、或は、今まで私か愛撫した女性の肌の感触が手に残こる女はー、見知らぬ街で偶然に出会いその土地の訛りしか覚えてはいない忘れられない女ー、絶頂の快感を味わった肉体の惑溺をもう一度体験したい女・・・などと語るほど、豊穣な女性経験もしてませんからーネ。だから、とてもこんな「食べる女」についてコメントする含蓄のある言葉など持たないといってもいいです。

 

だから、他人の言葉を借りましょう。詩人のアポリネールやピカソとも親交のあったフランスの女性画家・彫刻家であるマリー・ローランサンはこんな詩を残していました。

 

堀口大學 訳

 退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。

 悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。

 不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。

 病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。

 捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。

よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。

 追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。

 死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。

 

この映画を見た私は、「男に忘れられた女は不幸です。が、

美味しい料理を味わえない女はもっと哀れです。…」と付け加えたいです。

 

小泉今日子、沢尻エリカ、前田敦子、広瀬アリス、鈴木京香ら8人の女優陣が共演する。雑文筆家の餅月敦子役小泉今日子(トン子)は、古びた古書店「モチの家」の女主人で、彼女の元に一癖も二癖もある強烈な性格を持ち、料理をこよなく愛するキャリア女性たちが料理を囲んで夜な夜な集まってくる。一人は、トン子の編集者で男を寄せつけない小麦田圭子役の沢尻エリカ(ドド)、一人は、彼女の飲み仲間でドラマ制作会社勤務の白子多実子役の前田敦子、男から肉体を求められると愛に溺れる古着屋店員の本津あかり役の広瀬アリス、一人は、中年女性のオーラを振りまく料理屋「ごはんや」の女将・鴨舌美冬役の鈴木京香たちが、美味しい料理を食べながら雑談をする食と性の楽しさを謳歌する映画です…。

 

3

藩内の一刀流平山道場で剣豪の四天王と言われた扇野藩の勘定方・瓜生新兵衛(岡田准一)が、商人から賂を受けていた藩の重鎮・家老の石田 玄蕃を告発した。3本目は、藩の不正を暴こうとしてた結果、妻・篠(麻生久美子)とともに藩を負われ故郷を放逐された剣客・瓜生を主人公に、篠を奪い合った恋敵でもあった榊原采女(西島秀俊)を巻き込んだ藩内の権力騒動を描いた時代劇『散り椿』(2018年、木村大作監督、葉村麟原作、小泉堯史脚本)でした。地蔵院に妻・篠と身を寄せていた瓜生新兵衛が篠の病死を機に帰郷する。藩の権力争いと内乱が瓜生周辺で再燃する。

 
私は時代劇小説も時代劇映画大好きです。特に、山本周五郎のファンは、現代の普遍的なテーマ、家族的な愛屋や夫婦愛や病気・貧困を描いているので、決して古い昔のドラマではあるが、今でも共通ストーリが多いので、今なお時代劇ファンは根強いですーネ。久々の本格時代劇映画なので、どんな作品なのかと私も期待してみました。昨今特に、劇画の映画化ー、或は劇画の様な荒唐無稽のスーパー侍が主人公の「漫画時代劇」が多いので、尚更に期待していました。


私は、旧い作家としては池波正太郎原作の中村吉右衛門演ずる火付盗賊改方長官・長谷川平蔵の「鬼平犯科帳」シリーズ全26巻や、藤田まこと演じる秋山小兵衛の「剣客商売」シリーズのDVD全22巻は全巻見ている程の愛好家です。もう一人、時代劇小説家と言えば矢張り司馬遼太郎の数々の名作に酔いしれた人は多いでしょうーネ。長編ではあるが『竜馬がゆく』や『菜の花の沖』などに耽読したひとも少なからずいたでしょう…ヨ。次世代の時代劇作家としては、私は火坂雅志、山本兼一、浅田次郎、藤沢周平、乙川優三郎、冲方丁、池宮 彰一郎などなどの原作の時代劇映画は、本も映画も必ず見ています。特に最近は、磯田 道史などの原作・脚本は単に腰に刀を差し剣を振るう幕臣のサムライの一面ではなくて、『武士の家計簿』など地方の藩内の算盤や料理などを専門とする侍が主人公になってマス。

 

葉室麟もまた次の世代の時代劇小説家です。木村大作が映画化した彼の時代小説は、藤沢周平に継ぐ独特の雰囲気を持つストーリ―テイラーの時代小説家です。葉室麟の『蜩ノ記』(2014年公開、小泉堯史監督、役所広司主演)は私も時代劇映画の白眉として以前観賞して感動した記憶があります。

 

『七人の侍』『蜘蛛巣城』『用心棒』『椿三十郎』など時代劇作品も多く製作・監督した巨匠黒澤明の撮影助手として活躍した、伝説さえ持つ木村大作が自ら監督として製作した初監督作品『劒岳 点の記』(新田次郎原作、木村太郎監督&脚本、2009年公開)は、第33回日本アカデミー賞で最優秀監督賞を初め数々の賞を獲った秀作でした。

 

黒澤明監督の数々の時代劇映画の制作にもタッチしていた木村大作監督が第2作目作品は初時代劇映画を監督しました。さてさて、どうだったろうか…ナ???まず原作小説の葉室麟の『散り椿』は一言で言うと藩内のお家騒動です。江戸時代の3大御家騒動と言えば加賀100万石の外様大名・加賀藩の「加賀騒動」、仙台藩の「伊達騒動」、出石藩の「仙石騒動」、福岡藩黒田家の「黒田騒動」が有名ですーネ。「伊達騒動」は、当時は歌舞伎『伽羅先代萩』として上演され、山本周五郎の小説&映画『樅ノ木が残った』の舞台ともなっています。藩を牛耳り藩を乗っ取ろうとする権力者と不正を正そうとする正義感あふれる若侍や伝統的な既存の権力の奪い合いは、テーマとしては手垢のついたチョット月並みなストーリと言えませんかーネ。古い江戸時代の藩の権力争いのテーマでは、いくら時代劇とはいっても古色蒼然で退屈でした。私は原作ストーリの選択ミスだと思っています。それともう一つ、主演の瓜生新兵衛役岡田准一の一刀流の流派が余りに現実離れのした、まるで舞踊なような流麗可憐な剣術の姿は、いくら偽物の模造刀による「時代劇」とは言え嘘っぽく見えました…。黒澤明監督ならば、真剣の人きり包丁を使った、血しぶきの飛び散る刀の斬りあいはこんな美しい舞踏の様な仕草では到底ないよな…と感じました。噂に寄ると殺陣そのものが岡田准一が演出したようです。チョット肩に力が入り過ぎたいるな…と思いました。

 

4

4本目は、母親の勧めで茶道教室へ通うことになった大学生・典子(黒木華)が従姉の美智子(多部未華子)と共に、茶道教室の武田のおばさん(樹木希林)から手ほどきをうけ、茶道を通して成長していく姿を描く映画『日日是好日』 (2018年、大森立嗣 監督&脚本)でした。四畳半の「方丈」の茶室から響く静かな茶釜の音、季節の風景の移り変わりにいる典子の時間がゆつくり静かに流れていきます。典子の心と、日本独特の季節の風情を暗示する「立春」「立夏」「立秋」「大寒」などの二十四節気の言葉。日本の四季折々の情景とそれ全体と共にゆっくりと流れる世界の時間が切り取られた風情のある映像でした。この映画から、そこに人が生きて死ぬことの儚さと諸行無常を感じる人も居るだろうーナ…、映画の題名のように、毎日毎日を茶室の狭い空間で一服の茶を味わい、季節の移ろいを肌で感じながら小さな世界に一瞬の楽しみを覚えることを喜ぶ趣味人も居るかもしれないな…。そう、禅問答のように映画から人間の「老病生死」とは何か…???という問いを投げかけるような作品でした。

 

人の一生には男も女もいろいろなことに遭遇し、いろいろな人と交り、万華鏡なような目まぐるしい色と虚しさをの感情を味わうものです・・・ネ。典子の場合、結婚相手の男に裏切られ失意のどん底にいる時や、心機一転家族から離れて一人暮らしをする時や、たった一人の娘とお酒を飲むのを喜ぶ父親が亡くなった時・・・など、その時々の典子の人生が茶室つともに流れていく情景が描かれていました。

 

原作は、森下典子が通った茶道教室での伝統的な日本文化の密室空間をエッセイに綴っ「日日是好日」を映像化したものですが、脚本もまた大森立嗣が書いています。私はエッセイを映像るのは難しいと思っています。この映画に関して、監督がテーマに沿って映像にまとめ上げてないなのではないかな…という感想を持ちました。言葉とセリフがバラバラではない…ノ。映画のラストシーンで、20歳から45歳までの主人公・典子が、人生の数々の遍歴を越え乍ら茶道を続けた典子のセリフに、「セリーヌの道」も分かるようになった…とはまた突然のセリフと呟きではないのか???、それは何なんだと<私はビックリして、鑑賞後まで気になって仕方なかたです。明らかにエッセイの中の言葉をそのまま台詞にした脚本の失敗ですかーネ。

 

大森立嗣監督の映画には、「さよなら渓谷」「まほろ駅前多田便利軒」など話題になった作品もありますが、けれども、私にはいつも焦点とテーマのボンヤリした映画を作る人だな…と先入観がありした。今まで不思議ですが、魅力的で傑作だナーと感じた作品はこれまで何一つありませんでした。でー、今回の『日日是好日』はどんな作品かと、半分は期待して見て見ました。原作のエッセイをどんな風像化するのか、興味津々でした。今公開されている『食べる女』は原作がエッセイですが、エッセイの映像化に可なり成功している映画でしょうーネ。エッセイの映画化に成功している傑作でした。でも、『日日是好日』は、敢えて言えば出演者の樹木希林の遺作になった映画と言うことが特別、観客を惹きつける魅力ではな渇ったのかな…!?依然、樹木希林の演技の魔力に魅せられ居るといえようか…ネ。先行上映とは言え、私の行った映画館は満席でした。一年に数回しか映画を見たことのない人たちが、樹木希林を見に来たのかも知れません。

 

結論から言えば、観る人によって感想は別れる作品ではないでしょうか。老人には禅問答のような人生の問いを投げかける作品かもしれません…ネ。エネルギーあふれた若者には、物足りない薄ぼんやりした、テーマのはっきりしない作品と映るかも知れませんーネ。

 

5

5本目は、教誨師・佐伯(大杉漣)を主人公に、6人の死刑囚たちと刑務所内のテーブルを挟んで、個人個人の過去や生活に沿った会話を重ね乍ら、何時死刑がきまるかも知れない彼らの死への不安と罪への後悔などの言葉に耳を傾けて、安らかな死へ導く、キリスト教の牧師の心の救済のストーリで、死刑囚に手を差し伸べる教誨師と死刑囚とのマンツーマンの会話を描いた死刑囚映画『教誨師(きょうかいし)』(2018年、佐向大監督&脚本)でした。6人の死刑囚は高宮真司(玉置玲央)、野口今日子(烏丸せつこ)、進藤正一(五頭岳夫)、小川一(小川登)、鈴木貴裕(古舘寛治)、吉田睦夫(光石研)等が登場しました。

 

それぞれ6人の罪と過去が牧師・佐伯の過去の記憶と交差するのがこの映画の深淵だろえぅな…。6人それぞれの過去よりも何よりも、佐伯の少年時代のある出来事の過去と牧師になった理由がこの映画の真相のテーマの闇に見えます。
 
少年時代の佐伯兄弟の母は子供を捨てて別の男と再婚する。ある日河原で再婚相手とその息子が河原で魚を焼いていた時に、その男の息子が佐伯兄弟と母に対して侮辱的な言葉を発したため、佐伯保は男の息子を殴るのだが、逆に再婚相手の男は馬乗りになり佐伯を殴り始める。それを見た兄は河原の石で何度も男の頭を石で叩いた。その結果、兄は少年院に入り自殺した。後々、佐伯は牧師になる道を選んだ・・・。それが、死刑囚以上の深き悩みを抱えた牧師の闇でした。確か、フロイドの精神分析に「メサイヤコンプレックス」という用語がありました。つまり、他人への救済は、自分が救われたいための魂の行為と祈り…という。
 
2018年2月21日に急逝した名脇役の大杉漣が主演、エグゼクティブプロデューサーも務めたこの作品は漣さんの最後の姿でした。とはいえまだ未公開の彼の映画が残されているようです。ヤクザが性転換&全身整形をして、芸能界にデビューする極道アイドルコメディに大杉漣さんが友情出演する「Back Street Girls」という作品が来年2月頃に公開が予定されているようです。大杉漣ファンにとっては、楽しみですーネ。
 
平成元年の坂本弁護士一家殺害事件、平成6年の松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など、世間を驚嘆させた数々のセンセーショナルな事件を引き起こして、オーム教団によって29人が死亡、およそ6500人が被害に遭ったと言われています。丁度、このオーム真理教のサリン事件に関与した死刑囚が上川法務大臣によって死刑執行を承諾する文書に判を押され7人、その後6人が続けて2回にわたって13人の死刑が執行された時期であったので、映画自体はそのニュースからかなりインパクトを与えました。
 
私など天皇陛下が来年4月30日に退位され、皇太子さまが5月1日に即位されることが正式に決まったので、天皇即位の恩赦によってオウム真理教死刑囚たちの刑罰が軽減されることを恐れて、その前に死刑が急いで執行されたと思いましたーがネ…。
 
刑事裁判による「冤罪事件」も含めて、日本の死刑制度と死刑執行の方法「絞首台」には、いろいろな問題が議論されています。ただ、この映画は死刑制度を問題にしている作品ではない。率直に言って、私はこの映画のテーマは「何なのか?」良く分かりません…。
 
その日、死刑執行が実行されたのは、学生運動家の闘志のような青年でした。つまり社会体制を守るために、政治的断罪と言う「死刑制度」の陰の役割をカッコに入れて、死刑囚に死の安息を解く「教誨師」は偽善ではないか…の問いを投げかけているのではないかと、私は誤解を恐れ乍ら解釈したです。皆さんはどのようにこの作品を鑑賞しましたか???
尚、11月に観賞した邦画のコメントは下記yahooブログで公開しています。多少、鑑賞の前の参考になると思っています。
 
是非、コメントを一言お寄せください。必ずご返事させていただきます。尚、 誤字脱字その他のために、アップした後で文章の校正をする時があります。予告なしに突然補筆訂正することがありますが、ご容赦ください…