5月上旬特選映画【11】★映画のMIKATA「レディ・プレイヤー1」★映画をMITAKA | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。



 

5月上旬の特選映画をアップロードします。今回3本を映画館で観賞、今月5月もまた観賞数が少なかったです。選んだ特選映画1本は、『レディ・プレイヤー』でした。ハリウッドの映画界はどうして、アニメ原作の、しかもヒーロものが多いのかな???、私はお金と時間の無駄なので一切見ません…でした。スピルパークさえ「レディ・プレイヤー」のようなアニメっぽい映画を制作し始めたからな。最早、現実をリアルに描かなくなったのかな…と思わざる負えません。或は心情をプラスに憶測すれば、地球の悪と戦う英雄に、アメリカを救う願望を投影しているのかな、とも考えます。それにしてもこの作品はお勧めの一本でした。流石にスピルパーク監督だなと感嘆しました。今の時代の娯楽と意識を支配する三次元のバーチャルリアリティーとゲームの世界に関しては、本論で彼の意見を載せておきました。

 

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1本目は、『君の名前で僕を呼んで/CALL ME BY YOUR NAME』(2017年、ルカ・グァダニーノ監督、ジェームズ・アイヴォリー脚本)でした。第90回のハリウッドのアカデミー賞を初め、数々の脚本賞を受賞した映画なので、鑑賞してみました。『眺めのいい部屋』『モーリス』『日の名残り』などの名作映画を監督したジェームズ・アイヴォリーが脚本を書いた功績なのかな…ナ。


舞台は、北イタリアの避暑地を舞台に、共に自転車で村を散策したり、林の中を流れる川で泳いだり、ピアノで音楽を引いたり、時にはフランスから来た若い恋人と熱いセックスをしたするのだが、ストーリの本流は、17歳の文学と詩と音楽を愛する知性豊かな少年と、ギリシャ文化と彫刻を研究している大学院生の二人が、田園風景の中で惹かれあう男性同士のひと夏のエピソード、長閑で美しい同性愛を描いたラブストーリーです。

本作はアンドレ・アシマン(英語版)が2007年に上梓した小説『Call Me by Your Name』を原作として、ルカ・グァダニーノ監督が制作したもの。映画は、原作の物語の途中までしか描かれず、監督は、続編を作ることを考えているようです。原作は、フリーセックと同性愛に対して人類の堕落と業病のように、エイズが世界で蔓延して大きな社会問題になる前を描いているため、映画では二人の同性愛を17歳のエリオ(ティモシー・シャラメ)と、大学教授の父が招待した大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)との間の、誠に長閑な田園の中の抱擁のように描いています。がただ、続編では、エイズ問題について触れるようです。むしろ、続編のエイズと同性愛の作品の方を私は観たかったです。


私がこれまで見た映画の中で記憶に残る「LGBT」の作品は、『ミルク』2008年『チョコレートドーナツ』2012年『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』2014年『リリーのすべて』2015年 『ムーンライト』2016年、邦画の 『カケラ』2009年『彼らが本気で編むときは、』2017年等々辺りかな…。まだ漏らした作品があるかも知れないが、結構見ているものですーネ。でもそれらの作品と比較した時、面白い映画、傑作名作とは思いませんでした。どちらかというと同性愛を描いた映画は、フロイドの性科学の自伝的映画『危険なメソッド』(2011年、デヴィッド・クローネンバーグ監督)などで象徴的に描かれたように、特にアメリカやイギリスなどでも、ぞれぞれの文化の中では「同性愛」は精神病院に閉じ込められ、恰も左利きを右利きに強制されるように、男と女の異性愛を無理矢理に強制され、法律で禁じられる犯罪者扱いをされ、薬によって化学的に去勢されさえしました。だから、これまでの映画は、社会の同性愛に対する偏見と「性」への自由の闘いの主張とが、痛烈に練りこまれていました。が、この『君の名前で僕を呼んで』には、«LGBT»への戦いのイデオロギーが無かったですーネ。やや期待外れの不満がありました。そう言えば、同じアカデミー賞外国語映画賞を受賞したトランスジェンダーの話題作『ナチュラルウーマン』を見逃したーナ。

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2本目は、東野圭吾原作のミステリー小説を映画化したという、それだけの期待惑でこの作品『ラプラスの魔女』(2018年、三池崇史監督、八津弘幸脚本)を見に行きましたが…。「ヤレヤレ、思惑通りの駄作だなー」と退屈そのものの映画でした。三池崇史監督作品に今まで面白い印象と、傑作の映画を観た経験がなかったので、「退屈で駄作かな…」と懸念していたが、憂慮した通りでした…!!!

雪深い山中で硫化水素中毒死の死体が事件の発端で、妻と温泉地を訪れた初老男性の中毒死亡は、さらに、再びもう一つの硫化水素中毒死の死亡事件が連続して発生した。不信を抱いた警察は、両方の自然現象の下での「死」を不審に思い、地球化学の大学教授・青江(櫻井翔)に捜査協力を依頼する…、というストーリなのだが。事件捜査に動き始めた。青江の推理は、もしも2つの中毒事故を連続殺人事件と仮定するのであれば、犯人はその場所で起こる「硫化水素中毒」の発生という自然現象を事前に予測をしていたことになる筈だ…と推理する。青江の前に予知能力を持つ謎の女・羽原円華(広瀬すず)が現れる。彼女は事件の秘密を握る青年・甘粕謙人(福士蒼汰)を探していたのだった…。原作小説を読んでないので、何とも言えないが、この殺人事件の謎ときとミステリーはどうもストーリに無理があるのではないのかな…???


もう一つ付け加えておきますーネ。櫻井翔は大学教授という役は合わなかったな、完全にミスキャストでした。更に広瀬すずの「魔女」という役柄のイメージは尚更に大はずれでした。甘粕謙人役の福士蒼汰はナンカ付け足しで、どんな演技をしたいのか存在感がありませんでした。謙人の父で映画監督という甘粕才生役 の「豊川悦司」の狂気の演技が一人、笑笑わせる喜劇ぽいセリフで、異様に浮いていましたーヨ。人気の俳優を登場させて観客を惹きつける映画製作はもう止めてほしいな…。原作を消化できない脚本家が悪いのかな…、でも、八津弘幸は「下町ロケット家政夫のミタゾノ」「陸王」などのヒット作を書いたテレビドラマのベテラン脚本家ですよー?


 

ハワイのキラウエア火山で山林火災が伝えられていましたが、昨今日本でも、箱根の強羅や熊本の阿蘇山付近を初め、御嶽山山頂付近や、群馬・長野県境の草津白根山の火口などで噴火活動が起こって、二酸化硫黄が噴出しているニュースなども流れています。そこから、二酸化硫黄によって死亡する殺人事件は現実味を帯びているだが・・・、でもね、ミステリーとしてはやや無理がある気がしましたーネ。


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2045年の近未来の地球ー、環境汚染や気候変動などによて世界は荒廃、多くの人間がスラム街で暮らし、人々は希望のない生活と日常を送っていました。唯一、人々の生き甲斐と息抜きは「オアシス」と呼ばれるゴーグルを付けて現実を忘れる「オアシス」という仮想現実の世界に没我し、夢と希望を貪って、荒廃した日常に安らぎを見いだしていました。3本目は、主人公のアメリカ・オハイオ州のスラム街に住む貧しい青年「ウェイド・ワッツ」は、現実を包括するような「オアシス」というコンピュータ上の仮想現実の創成者、ジェームズ・ハリデーが亡き後に残した莫大な遺産を狙っていた。それをわが物にする権利は、オアシス内に隠したと噂されるイースターエッグと、それを手中に収めるための3つの鍵を探したものに譲渡する…と言い残されていた。そこで、若者たちと大企業IOI社のノーラン・ソレント社長が、激しい争奪戦を繰り広げました。それを獲得した勝者には、「オアシス」の所有権と5000億ドルといわれるハリデーの遺産が授与されるという遺言であった。「オアシス」を掌握することは膨大な財産ばかりでなく、人々を夢中にする意識の全世界を支配することでもあった。夜ごと日ごとに、仮想現実の中のゲーム「アノラック・ゲーム」の中で車を走らせ、ゴールをめぐりレースに凌ぎを削っていた。ゲーマ達は一攫千金と現実の悲惨を忘却するレースに熱中するという、アドベンチャーゲームそのものー、映画の中のゲームを映画化した『レディ・プレイヤー1/READY PLAYER ONE』(2018年、ィーヴン・スピルバーグ 監督、アーネスト・クライン原作、ザック・ペン脚本)でした。


日本でも本離れが進んでいるようです。文化庁によれば、年齢層では60代の本好きの読者は月に3冊以上読むが、一冊も読まない本の嫌いな10代は2冊以下の読書量のようです。ディスプレーに一日座りコントローラーの操作レバーを指で動かすことに夢中になる、本など無縁な若者は、月に一冊も読まないだろうーナ。視力の落ちた私なども、小さな活字に集中できなくて、ゲームでは遊ばないが映画ばかり見ています…。私なども「ライト読者層」の一人だろう。コンピュータエンターテインメント協会(CESA)によれば、「家庭用ゲーム」「パソコン用ゲーム」「スマートフォン/タブレット用ゲーム」etcなどに熱中するゲームプレイヤーは4,336万人もいるそうです。私なども任天堂のファミコンが市場に現れた幼少の頃は、スーパーマリオに夢中になって、ゲームソフトをプレーしたくってウズウズシテ、真っ先にパソコンを買った世代ですからーネ。ゲーム機やソフトの歴史を調べると却って懐かしいぐらいです。今更、ニンテンドウDSで遊ぶ世代ではないですが…。それを考えると、70歳を超えたスティーヴン・スピルバーグ監督がゴーグルを覗きながら3次元の仮想現実の世界を映画化したと言うのは、驚きでした…。インタヴューでも、…プレイステーションで「マリオ」などをやりました。最初にやったときはゴーグルを外したくありませんでした(笑)。ゴーグルを外したときの「何だ地球じゃないか」というがっかりする感じが嫌でしたね…、と答えています。

私なども3Dのバーチャルリアリティーが工業系の展示会に参考出品として現れた時に、このゴーグルを顔に掛けて不思議な世界を体験して驚きました。それが、実用化されたのは、ゲームではなくてまず、松下が台所のレイアウにこのツールを使い、サンゲツが内装のカーテンなどの部屋の装飾に、ショールームの代わりに仮想現実の価値を利用しました。

今月見た『レディ・プレイヤー1/READY PLAYER ONE』も、先月観賞してこの映画ブログでも紹介した政治&社会派映画で『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』もスティーヴン・スピルバーグ監督の作品でした。娯楽映画から社会派映画までスピルバーグ監督の映画は幅広いデスネ…。才能以上の、天才的な知的好奇心です。まあ、旺盛な想像力なければ「 ジョーズ」「ET」「インディ・ジョーンズ」シリーズ「ジュラシック・パーク」シリーズは製作できないだろうーネ。それぞれの映画に作品のテーマを探るのは、映画の楽しみをは半減するのだが、まあ映画ブログのコメントだから、この映画の「テーマは何なのかな…」「監督の制作の狙いは…」「アドベンチャーゲームの映画に何を言わせようとしてるのか…」などを推測してしまいます。ワッツが「イースターエッグ」を手にした最後のシーンで、「オアシス」の創始者・ハリデーが、美味しい食事は現実が一番おいしいね…と、笑いながら言います。夢は仮想現実の世界の中では、所詮、意識の中の手に掴めない幻であり、それは貨幣によって操作され操られた現実に支配されている…のだ、悲惨な現実から逃げて現実の代償として仮想現実のユートピアに逃げてはいけない…という主張なのだろうかな…、と私は考えました。ワッツは獲得した財産を、3つの鍵を見つけるために最後まで一緒に戦い協力したゲームのレース仲間とみんなで分けた…。最後の最後はハッピーエンドでした。それにしてもアメリカの80年代は、そんなに魅力的だったのかな…???

あるインタヴューの中でこう話しています。…この映画はあくまでフィクションです。ディストピアに向かっているとは思いません。ただ、今はとても好奇心が強く、シニシズム(冷笑的)な時代だと思います。80年代と比べると、人が人を信用しなくなっています。そして今のアメリカは思想的にも半分に分かれ、信頼や信用がなくなってきています。この映画を作りたかった大きな理由の一つは、そうしたシニシズムから逃げたかったから。皆さんを、空想と希望のある世界にいざないたかったのです…と。(https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/1147818 より引用)




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