2月下旬特選映画【9】★映画のMIKATA「LA LA LAND」★映画をMITAKA | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。

 

映画監督の鈴木清順さんが2月13日、慢性閉塞性肺疾患のため93歳で死去しました。『ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』、『夢二』など、独特の色彩感覚の映像作家でした。ご冥福をお祈りいたします。




もTVでの過剰な映画宣伝に操られて日曜日の夜に「ラ・ラ・ランド」を観に行きました。それも昼間は混んでいると予想して、敢えて遅い上映時間を選びましたが、客席は満員でした。あれだけアカデミー賞のノミネート作品、受賞間違いなし・・・と垂れ流しのTV宣伝をされては、ふだん映画など無関心でも、否応なく好奇心は沸騰しますーヨ。一つ言えることは、国民(世論)はTVなどのマス媒体を使えば簡単に操作できる…敢えて言えば、日本の大手映画配給会社の姑息な深謀遠慮なのかな…!!!元々は、傾いたハリウッドの映画業界から始まった映画界隆盛のためのPR宣伝でした。単に映画は作品の出来栄えだけでなくて、新しい映画論で作品にアプローチする必要があるのかも知れませんーネ。


ただ面白いことに、第89回アカデミー賞の授賞式は、舞台上で発表作品を取り違える漫才のようなミスとズッコケが起こってしまった。もしこれを演出した人がいるならば、物凄い脚色とプロデュースだな…。ハリウッドのアカデミー賞は、結局、作品賞が『ムーンライト』(バリー・ジェンキンス監督)が獲得ー、ミュージカル映画「LA LA LAND」(デイミアン・チャゼル監督)は主演女優賞、監督賞になどを受賞した。しかも授賞式は、イランなど7カ国からの入国を禁じる大統領令に抗議するトランプ批判の雰囲気に満ちていた。アスガー・ファルハディ監督のイラン映画「セールスマン」が外国語映画賞に選ばれ、授賞式では司会者や受賞者からトランプ大統領による「移民国家」アメリカ社会の分裂をもたらす対イスラム、対メキシコ政策への批判や皮肉が相次いだ。未だアメリカのデモクラシーと言論の自由は健在でしたーネ。流石に、スタッフにユダヤ人と黒人と移民と「LGBT」の多いハリウッドだな…と 、感心しました。それにしても、早く「ムーンライト」を見たいですーネ・・・!!!



少し遅れましたが、漸く2月下旬の特選映画をアップロードできました。今回4本を映画館で観賞、選んだ特選映画1本は、『ラ・ラ・ランド』でした。残念ながら、2月も邦画に傑出した作品はなかったです。邦画では勿論、石川慶監督の『愚行録』も観ましたが、私にはストーリ展開がこんがらがっていて、映像のテーマは何なんだ…と見乍らただ苛立っただけで、見応えはありませんでした。


今月2月は、「ドクター・ストレンジ」「スノーデンザ・コンサルタント」「新宿スワンII」「相棒-劇場版IV」「サバイバルファミリー」★「マリアンヌ 」「未来を花束にして」「トリプルX:再起動」★「ラ・ラ・ランド」「素晴らしきかな、人生」「愚行録」…など通算で12本を観賞しました。


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1本目は、お馴染みのNSAのエージェント、ザンダー・ケイジ(ヴィン・ディーゼル)、コードネームは「xXx(トリプルX)」が、危険な敵の手に渡ってしまった世界中の軍事衛星を意のままに操作できる装置を奪還する『トリプルX:再起動』((2017年、D・J・カルーソー監督)でした。 


ヴィン・ディーゼルといえば寧ろこれまで8作品制作されているロングランのアドベンチャー&アクション映画『ワイルド・スピード』シリーズ(原題:THE FAST AND THE FURIOUS、監督:ロブ・コーエン1作目、ジョン・シングルトン2作目、ジャスティン・リン3-6作目、ジェームズ・ワン7-8作目)の主演俳優としての方が最もポピュラーです。「ワイルドスピード」シリーズはカーアクションの醍醐味が見せ場ですが、「トリプルX」はオートバイとスケボーの迫力あるアクションが見せ場です。どちらも、ヴィン・ディーゼルの持ち味を十二分に生かした作品です。

トレードマークは首の後ろに彫った「xXx」の入れ墨。自分のプレーをビデオ撮影して、ネットで販売していた。それが、危険で冒険好きで体を張った向こう見ずな無法者の若者たちから熱狂的な人気を得ていた。どんな危険な身体ゲームも難なくこなす驚異的な身体能力と冷静な判断力が、NSA(国家安全保障局)のエージェント、ギボンズの目に留まった。第一弾では、違法ビデオゲームの撮影のために上院議員のシボレー・コルベットを盗んで乗り回した上、橋から落として壊した罪で、刑務所に入るか、それともシークレット・エージェントになるかの選択をギボンから迫られ、強引にエージェントに任命された。ケイジへの指令は、チェコの犯罪組織「アナーキー99」潜入して、ソ連崩壊の際に犯罪集団に流れた化学兵器を使って、集団テロの陰謀と対決することであった。そして、第二弾の今作の指令は、軍事衛星を自由に操作できる装置を奪い返すことにあった。FCバルセロナ所属のサッカーブラジル代表のネイマールと会っている時に、宇宙空間の衛星がギボンズをめがけて落下して来る。

   

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2本目は、夢を追う人若い二人がロサンゼルス・ハリウッドで偶然出会い、夢と現実が儚くも悲しく交錯するミュージカル仕立ての悲恋のラブストー映画『ラ・ラ・ランド』(2016年、デイミアン・チャゼル監督)でした.二人の夢の一つは、何度も映画のオーディションに落ち、その都度希望を膨らませながらも何度も落とされて夢は萎え、意気消沈している女優の卵ミア(エマ・ストーン)と…、もう一つはクリスマスの夜に、レストランで食事をしているお客のBGMとして、気の乗らない他愛無いクリスマスソングを弾いているが、しかし、いつか自分のジャズの店で好きなジャズを思うままに弾けるジャズライブバーを開くことを夢見てるジャズピアニストのセバスチャン(ライアン・ゴズリング)でした。


映画は、何度も繰り返し流していたTVの予告編と同じ映像から始まるオープニングのダンスシーン…でした。大渋滞しているロサンゼルスの高速道路で、オーディションに遅刻しそうなミアと、生活のためのアルバイトに行く途中のセバスチャンが時間を気にしながら、そんな苛立ち吹き飛ばすように、道路で身動きのできない車から、皆が次々に道路に飛び出して、息のそろったステップで歌って踊るダンスシーンがありました。長く延びる高速道路の上を縦横無尽に踊りまわるシーンは、私でなくてもどうやって撮影したのかな…と驚きます。私でも知っている往年の懐かしいミュージカルヒット作、例えば『ウエスト・サイド物語』(1961年公開、ロバート・ワイズ&ジェローム・ロビンス監督)、シェルブールの雨傘』(1964年公開、ジャック・ドゥミ監督)、、『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年公開、ロバート・ワイズ監督)等が記憶に甦ります。1960年代は、華やかなミュージカルの傑作が多かったです…ネ。


映画は、セバスチャンとミアが出会う≪winter≫から二人の熱い恋が始まった。二人の恋やがて≪春≫に移る。夢を実現する為にセバスチャンはキースのバンド「メッセンジャーズ」に入り、稼ぐために地方巡業の旅に明け暮れ、二人はすれ違いが続く≪夏≫に移る。それはセバスチャンの目指す古き良きジャズとは大きくスタイルが異なっていたが、稼ぐために割り切った。セバスチャンのバンドは次第に人気が出て、別々の時間が多くなった。ミアはミヤで自分で書いた脚本で一人芝居の舞台稽古に専念していた。が、一人芝居は不評で失敗に終わり、自分の才能に見切りを付けてネバダの実家に帰ってしまった。やがて≪秋≫に移り、映画関係者から、映画のオーディションがある連絡がミアの携帯に入る。二人の夢は、紆余曲折の末に現実に近づいたが、二人は別別に離れて夢を実現していた。5年後の≪冬≫に再び戻るストーリ構成でした。ラストの「冬」に、映画スターになることを夢見ていたミアと、自分のジャズの店で好きなジャズを弾くことを夢見たセバスチャンは、別れ別れになって、もはや別々の人生を歩み始めた5年後の夜、彼女は子供をベビーシッターに預けて夫と食事に出かけた時、偶然一件の懐かしい音楽の流れるお店に入る。お店の壁に昔、ミアがキースのために考えた店名とロゴ「SEB'S」の看板があった。ラストシーンで、映画の中の映画シーンで、セバスチャンとミアは結婚して、平和な家庭で家族団欒を過ごす映像が流れる…。二人の恋は悲恋に終わって、映画の中で実を結ぶこととなった…のかな。

 

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広告代理店の代表として成功を納めてたハワード(ウィル・スミス)だったが、愛する6歳の娘を脳腫瘍で失った悲劇を機に、仕事への意欲も生きる甲斐もなくし、絶望に沈んでいた。3本目は、そこから立ち上がる人生ドラマ『素晴らしきかな、人生』(2016年、デヴィッド・フランケル監督、アラン・ローブ脚本)でした。まだモノクロの古い映像で、同じ題名のアメリカ映画『素晴らしき哉、人生!』(原題:It's a Wonderful Life。1946年公開、フランク・キャプラ監督)を私は彷彿してしまいます。このウィルスミス主演、デヴィッド・フランケル監督の作品は、可なりフランク・キャプラ監督ジェームズ・ステュアート主演の「素晴らしき哉、人生!」を意識して、むしろ私はリメイク作品とも思えました…。

もう既にこの映画を名作の記憶にストックしている映画ファンは多いだろうが、未だ見たことのない方のために、或は昔を思い起こす為に物語を少し紹介しておきます。1945年のクリスマスイブ。ジョージ・ベイリー(ジェームズ・ステュアート)という男がニューヨークのベドフォード・フォールズという町で自殺を図ろうとしていた。彼を救いたいという周囲の人間の祈りが天国まで届き、翼をまだ持っていない二級天使のクレランス(ヘンリー・トラヴァース)が翼を得るために彼を助ける使命を引き受ける。自殺の動機はこうだ…、さまざまな不運がジョージを襲い、多額の借金と負債に打ちのめされて、最早苦しんで生きることに絶望して、通りかかった橋で投身自殺をして保険金を手にいれることを考える。が、彼が飛ぶ直前に老人に扮した天使のクレランスが川へ飛び込んだジョージを助ける。「生まれなければよかった」という彼のために、天使は「それでは望み通りにしよう」と言い、ジョージが生まれなかった場合の世の中を見せるのだった。そのもしも・・・という自分の居ない人生を夢現に眺めた末、後悔の中で自分の人生は素晴らしかった、と気づき、ジョージは橋の上で「元の世界に戻してくれ、もう一度生き直したい」と願う。元の現世へ戻ったジョージは再び家族の元に帰り、妻の呼びかけで町民や友人たちが彼のために紛失した8000ドルを寄付してくれる…という物語でした。


ニューヨークの広告代理店で出世したハワードは、初めに社員に向かって「どうして皆さんはここに居るのか?」と、問いかけ、会社で働くことも広告を作ることも、「人と繋がりたいからだー」と説く。人と関係を持つことはー、「時」と「愛情」と「死」が人間関係の大切な3つのキーワードという。彼が会社をも失う悲しみのどん底で自分の殻に閉じこもっていたときに、彼の同僚たちは、彼を再び仕事と家庭に戻そうと奇策を仕掛ける…。悲しみに打ちひしがれたハワードは、悲しみを癒すカウンセリングの手段として「時間」「愛」「死」に宛てた手紙を書く。それを知った同僚たちは、潰れそうな劇団の公演費用を支援する代わりに、悲嘆にくれるハワードの前に、「死」(ヘレン・ミレン)を演じる役者、「時間」(ジェイコブ・ラティモア)を演じる演技、「愛」(キーラ・ナイトレイ)を語る俳優を彼の前に登場させ…、彼の娘を喪った悲しみを受け入れられる祈りと救い与える。その結果、喪失の過去から生きる意味を見つけて立ち上がる…。

ハワードの前に。「時」「愛情」「死」を象徴する3人の奇妙な舞台俳優たちが現れ、彼と対話する…、彼らとの幻想的な出会いにより、ハワードの人生に転機が訪れる心温まる人生ドラマでした。いわば3人の俳優が天使のクレランスで、「時」「愛情」「死」の3つのキーワードが、彼の人生を追想させて、人生の意味をもう一度取り戻した…。ただねー、私は面白くなかったですーネ。原作あるのかー?ないならば脚本が最低でだめですーネ。けれども、妙に細かい演出ばかりに、私は感心してしまいました。例えば、会社の事務所を意気込んで飛び出す時に、部屋いっぱいに並べたドミノがガラガラ倒れ崩れる瞬間の心の崩壊感は見事な脚色です…ネ。


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4本目は、一年前に起きた未解決の一家殺人事件…、商社のエリート会社員・田向浩樹(小出恵介)と、大学の同期生だった妻・夏原友季恵(松本若菜)と娘の一家全員が何者かに惨殺された事件を執拗に取材する雑誌記者・田中武志(妻夫木聡)が主人公のミステリー映画『愚行録』(2016年、石川慶監督)でした。初めは、2000年に世田谷で現実に起きたい一家4人殺人事件をモデルにしているのかな、と思いましたが、未解決という点ばかりでなくて、もう一つ育児放棄で逮捕されて、今、刑務所に収監されている雑誌記者・田中の妹・光子(満島ひかり)が、ミステリーの横糸で登場しているので、少し事件展開は違っていました。

ミステリー作家の貫井徳郎の作品は『乱反射』しか読んでないし、またこの映画の原作を私は読んでませんので、脚本の出来不出来の問題もあるので、尚更に何ともハッキリ作品について批判できないのですが…、文慶大学?(慶応大学かな?)の同期生の一人であった妹の光子が、精神分析医の部屋で独り言のように告白していたこの未解決事件の真相…、田向と結婚した夏原に嫉妬して自宅の勝手裏から侵入して、台所の包丁で次々と刺し殺した…という映画ストーリの展開は、ちょっと最後に唐突過ぎる結末だな、と感じました。もうひとこと言えば、この事件を追い掛けて記事を書いていた雑誌記者・田中に対して、妹・光子をこの事件の関係者の一人にすることは、ややストーリの糸を複雑にしてしまい、ストーリを怪奇にしているのではないのかーナ


私は映画を見乍ら同じ大学生を主人公にした浅井リュウの直木賞受賞小説『何者』(三浦大輔監督)と、それを原作にした映画をどうしても思い浮かべ比較してしまいました…。「何者」は、何者の苦悩を顕在化しているのか…。女の善(母性愛と献身)と悪(嫉妬心と犯罪)、心の中に渦巻く男の眼を核にした心の嵐を描いたにしても、果たして「愚」なるものは、男なのか女なのかーナ、人間存在そのものを「愚行」と言っているのか…。そう言えば、これまで「親殺し」というテーマの小説も映画もあったが、「母親の子殺し」を正面から映像化した作品があったかな…。しばし私の頭を悩ませました。


この作品の舞台となった大学キャンパスが、もしも「慶応」大学をモデルとしているならば、むしろ私は歪になったエリート意識を描き切っていないな…と思いました。幼稚舎から小学校中学高校大学と一貫教育のある「慶応大学生」は、よく芸能人の子息子女たちがこの一貫教育の揺り籠の中で育てられ、金持ちの家柄とエリート意識の集団になっているのだろうかーと容易に想像できます。途中から大学に入学した学生は、この映画のような劣等感と競争意識があるのかもしれないな…。以前、慶応大学 では葉山の合宿所で女子生徒を集団強姦した事件がありましたが、慶応医学部の学生など、異常に歪んエリート意識があるのではないかと想像します。もう少しこの辺りを映画にしてほしいです…!!!


   

 

尚、 誤字脱字その他のために、アップした後で文章の校正をする時があります。予告なしに突然補筆訂正することがありますが、ご容赦ください…