11月中旬特選映画【29】★映画のMIKATA「湯を沸かすほどの熱い愛」★映画をMITAKA | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。




10/30に「ハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞」の授賞式が、アンデルセンの生誕地であるデンマーク南部オーデンセで開かれました。受賞者の村上春樹氏は、スピーチで現代社会において「光」だけでなく「影」と共に生きることの必要性を強調した。アンデルセンの異色作『』を取り上げ、…アンデルセンが生きた19世紀でも、われわれの21世紀でも、必要なら影と直面し対決しなければならない…という。でもね、村上春樹さんヨ…、貴方は未だ日本の≪影≫、現代社会の≪影≫を、例えば、長崎広島の「原爆投下と戦争」「沖縄と米軍基地ついても、学校の「苛めと自殺」についても、「天皇制と靖国神社」についても、「男女の性とLGBT」についても、「貧困と格差」についても小説に書いてませんよ…ネ。どれもこれも、日本人にとっても日本文化にとっても重く苦しく辛い「影」です。個人の性格だけでなく、フロイトの発見した「無意識」も≪≫ですね…。社会心理学は個人の潜在意識ばかりでなく「社会的無意識」という言葉も使ってます。映画監督もまた、日本文化の≪影≫を映像化し、対決する課題がありますーね…!!!


さて前倒しで早く掲載します。11月中旬の特選映画をアップロードします。今回は5本を映画館で観賞、通算で9本を数えました。『スター・トレック/BEYOND』、『われらが背きし者』、★『奇蹟がくれた数式』、『何者』、『ソング・オブ・ラホール』、『だれかの木琴』、『インフェルノ』、★『湯を沸かすほどの熱い愛』、☆『手紙は憶えている』…通算9本を観賞しました。選んだ特選映画1本は、『湯を沸かすほどの熱い愛』でした。宮沢りえの魅力にヤラレマシタ。ベテラン・東陽一監督の『だれかの木琴』も味がありましたが、初めと終わりに響く音«木琴»は何かな…???どうしても私の脳裏に引っかかりますーネ。

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熟練音楽家たちが伝統的な音楽「カッワーリー」を演奏する芸術の都だったパキスタン・イスラム共和国の街・ラホールで、タリバンの軍事力により即興演奏する音楽の演奏も楽器の所持も何もかも禁じられる。1本目は、政治弾圧にる音楽の禁止に対して、自分たちの生活の手段でもある音楽と、生活の中で生きている伝統的な音色を求める聴衆を取り戻すため、アメリカのジャズを民族楽器で演奏するジャズ映画『ソング・オブ・ラホール』(2015年、シャルミーン・ウベード=チナーイアンディ・ショーケン 監督)でした。

ジャンルが全く違うジャズを伝統的な楽器で演奏する「サッチャル・ジャズ・アンサンブル」がポール・デスモンド作曲、デイヴ・ブルーベック・バンドのジャズの名曲「Take Five」を演奏するプロモーション映像がインターネットで世界に流れ、膨大なアクセス数をたたき出すという音楽史の奇跡です。音楽はワールドワイドだな…と痛感する映画でした。と同時に、ネットは本当に情報が世界を駆け巡り、世界の片隅と中心を結ぶものだな…と感じました。


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ごく普通の主婦・小夜子(常盤貴子)は、警備機器会社の営業マンの夫・光太郎(勝村政信)と娘(岸井ゆき)と共に東京郊外に引っ越し、ストーリは小夜子が初めて訪れる美容院で髪を切る。帰宅後に、小夜子の髪を担当した美容師の海斗(池松壮亮)から営業メールが届く・・・という極々、当たり前の主婦の日常の断片から始まる。初め、光太郎が「奥さん、奥さんー」と玄関からずかずか応接間のソファーに座り、小夜子を愛撫し始めるシーンでは、アー、不倫の映画かなーと錯覚しました。だが、2本目は、美容院の海斗から営業メールが届き、小夜子はそれ返信する。理容師とお客の何でもない営業メールのやり取りが、仕舞には海斗のアパートを訪ねたり、彼の恋人・唯(佐津川愛美)のロリータ専門の洋服店を訪ねたり…海斗に対する小夜子の執着が次第にエスカレートする異常心理の女性のサスペンスめいた映画『だれかの木琴』(2016年、東陽一監督&脚本、井上荒野原作)でした。


原作は読んでないので、細部の表現は分析しようがないのですか、二階の窓から聞こえる子供の叩くバラバラな音の連続は子供の心の中の不協和音と、ラストシーンで同じ窓から響いてくる美しいメロディーを弾く木琴の音は、小夜子の心の中の、いや寧ろ家族が元の穏やかなリズムに戻った、心の中の平穏を意味しているのだろうな…????東陽一脚本のセリフでもチョット映画全体を解釈するカギとなるセリフがありましたーネ。私にはやや分かり難かったです。映画の中で会社の同僚たちと光太郎と部長が酒場で飲んでいる時の談笑で、年長の部長が、「女は狂いたがる、男は女になりたがる」、と笑ってました。また、「女の狐憑き」についても部長は興味深いことを言ってましたーネ。昔、民俗学者の「狐憑き」について書かれた本読んだことありますが、狐につかれるのは女性らしいですーね。これは「女の本質」について、原作著者の視点なのかな…???

でもね、あの美容室に現れた3ミリカットして・・・という、後に連続放火魔で逮捕された変人の男は、何の意味があったのかな…???放火魔はよく小説の中で近代人の人間の象徴として素材になりますが、この作品では「何を?」シンボライズしているのかな。男の「影」の部分の何かのナ…破壊衝動カナ・・・変身願望カナ・・・欲求不満カナ・・・征服欲カナ・・・?村上春樹も小説「納屋を焼く」で放火魔を素材にしていますヨネ。


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ダン・ブラウンによる『ダ・ヴィンチ・コード』及び『天使と悪魔』の続編、第三弾にあたる『インフェルノ』(ロン・ハワード監督、デヴィッド・コープ脚本)を映画化した作品です。3本目は、再び、トム・ハンクスがハーバード大学ロバート・ラングドン教授役で主演、宗教象徴学者の権威らしく詩人ダンテの叙事詩「神曲」の≪地獄篇≫に隠された陰謀・・・、生物学者ゾブリストは、毎日25万人が地球上に増え、今世紀半ばに人類の人口は90億になる・・・、人口爆発の未来を地球の地獄(インフェルノ)と予測した。それを解決するために企んだ怖ろしい策謀を・・・、人類の半分を一掃する死のウィルスを解き放ち、人口過剰の問題を解決しようとする狂ったゾブリストの計画の謎を解き、阻止しようつする『インフェルノ』でした。やはりこの作品も迫力のある謎解きを伴うアクション映画でした。


地獄篇を図像化したボッティチェッリの「地獄の見取り図」や、ダンテのデスマスクの裏に記された暗号を解読するストーリの謎ときの手法は、ダビンチとミケランジェロに絡むキリスト教の謎の『ダ・ヴィンチ・コード』及び、ガリレオに絡む謎の『天使と悪魔』の作品って同じですよね。また、謎から謎へ手がかりを求めて歴史の遺跡ー、フィレンツェ、ヴェネツィア、イスタンブールと究明の旅と冒険を続けるのは、映画の起承転結の制作方法もまた同じですーネ。ダン・ブラウンの知識にも舌を巻くが、ただ、西欧文化とキリスト教へ深い造詣と信仰がある映画ファンでればあるほど、恐らくこの映画の興味と面白さは増幅されそうです…。でも、フジテレビ系のTV放送で『ダ・ヴィンチ・コード』と『天使と悪魔』を観た人は、その文化と歴史の壮大な謎の仕掛けに圧倒されるのは私だけではないでしょうーネ。当然『インフェルノ』も観たいでしょうね。でも、退屈はしません、掛け値なしに一級の娯楽映画です。


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銭湯「幸の湯」の主である一浩(オダギリジョー)は、チョットパチンコ屋へいてくると言って1年前にそのまま失踪、以来行方不明で、銭湯は主の蒸発によって休業になっていた。後に残された妻の幸野双葉(宮沢りえ)と、娘の安澄(杉咲花)の母娘は、表面的にはつつがなく平和な日々を送っていたが、実は、安澄は学校で同級生数人から執拗な苛めにあって、学校嫌いになっていた。双葉はパート先のパン屋で突然倒れ、精密検査の結果、余命2か月の末期ガンを宣告されてしまう。二人とも表面は何事もない平穏な生活だったが、二人とも深刻な問題を抱えていた。初め、宮沢りえの主演映画で、題名が「~熱い愛」だから、エーへ、濡れ場でもあるのかな…と多少期待して観ていたが、まるで違った。学校の苛めの悪らつな被害から始まり、失踪した夫一浩の所在を私立探偵に調査するシーン、急に末期がんの宣告、失踪先の分かった隣町のアパートに住む一浩を迎えに行く、そこには、小学生の女の子が同居していて、一緒に駆け落ちした愛人はもはや失踪していた、夫を連れ帰り休業中の銭湯を再開させ、小学生の女の子を引き取り家族にして一緒に暮らす…。4本目は、濡れ場のあるお色気いっぱいの映画ではなくて、残り少ない命を燃やす強くて情の深い母を演じる宮沢りえの熱演が見られる『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016年公開、中野量太 監督&脚本)でした。ストーリのラストがまた泣けました。実は、幸野双葉も母親から遺棄された捨て児、安澄も一浩が若い時に結婚し、同居していた聾唖者の酒巻君江(篠原ゆき子)が捨てた子供だった。


でも、宮沢りえが第38回の日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を『紙の月』で受賞したのだから、もう一度この作品でオダギリジョが、その演技力を認められて、最優秀主演男優賞を頂いてもイイ俳優だよな…。私は作品賞と監督賞(か、或は「長い言い訳」の西川美和カナ…)にノミネートしていいかな…と思っています。『オーバーフェンス』他で、彼の千変万化に姿を変える演技には驚いたーナ。そして、宮沢りえの納棺されて花に埋もれた死に顔もなかなか美しかったです・・・ネ。


もう一つ付け加えます。イジメ・虐め・苛めに関して、私は母・幸野双葉の子供・安澄への対応にやや異議があります…。「逃げてはダメなんだよ、立ち向かわなければー」という励ましは、根性のある安澄には確かに良かったかもしれませんーね。でも、教室で泣きながら下着姿には、誰でも成れないよ…!私が親ならば、あーあは突き放して言えないーナ。きっと、学校へ怒鳴り込むか、教育委員会へ駆け込みますー。虐める親子と自分の子供を交えて、自分と担任の先生と教育委員を囲んで、PTAを開いてもらいますーネ!!!そこで、イジメに対してどうしたら良いか?対策を考えてもらいます…!!!あれでは、「弱い」子供は落ち込むだけで、末路は自殺しますーヨ。


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介護施設で過ごす90歳のゼヴ(クリストファー・プラマー)は、妻を亡くしたことさえ忘れるほど認知症が進んでいた。彼と同じ施設に、強制収容所の生き残りで、妻と家族を殺された同じ境遇にあったマックス(マーティン・ランドー)がいた。彼は、罪を逃れて逃亡したアウシュヴッツの親衛隊を告発することをライフワークにしていた。

5本目は、体が不自由で車いすのマックスは、ゼヴに1通の手紙を託し、家族を殺したドイツ人兵・ルディ・コランダーへの復讐と殺害を依頼する。ゼヴは単身でリベンジを果たそうと施設をこっそり抜け出し、ナチズムとホロコーストのドイツ兵戦犯を探す旅に出る映画『手紙は憶えている 』(2015年、アトム・エゴヤン)でした。果たして、ディ・コランダー、本名のオリー・ワリッシュの正体は誰だったのか。ゼヴの腕が握った拳銃は4人の人探しの最後の一人に向けられていた。その時、ゼヴの腕に彫られた囚人番号「78814」と、ルディ・コランダーの腕に彫られた「78813」は何を意味するのか?最後の「エ…?ア…!」と驚くドンデン返しのラストシーンは、観てからのお楽しみで内緒にしておきます…。

尚、 誤字脱字その他のために、アップした後で文章の校正をする時があります。予告なしに突然補筆訂正することがありますが、ご容赦ください…