「12月特選映画ーノルウェイの森」その4★映画のMIKATA【②】 ★映画をMITAKA… | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。

◆スタッフ
監督: トラン・アン・ユン/プロデューサー: 小川真司 /エグゼクティブプ/ロデューサー: 豊島雅郎。 亀山千広/ 原作: 村上春樹/脚本: トラン・アン・ユン/撮影: マーク・リー・ピンビン/美術: イェンケ・リュゲルヌ。 安宅紀史/
編集: マリオ・バティステル/音楽: ジョニー・グリーンウッド/音楽プロデューサー: 安井輝/主題歌: ザ・ビートルズ 『ノルウェーの森』/照明: 中村裕樹/録音: 浦田和治/助監督: 片島章三/製作事業統括: 寺嶋博礼。 石原隆/
◆キヤスト
松山ケンイチ= ワタナベ/ 菊地凛子= 直子/ 水原希子= 緑/ 高良健吾= キズキ/ 霧島れいか= レイコ/ 初音映莉子= ハツミ/ 柄本時生= 突撃隊/ 糸井重里= 大学教授/ 細野晴臣= レコード店店長/ 高橋幸宏= 阿美寮門番/ 玉山鉄二= 永沢

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明けましておめでとうございます、昨年同様今年も「★映画のMIKATA ★映画をMITAKA」を宜しくお願いします。面白かったら是非、読者登録してね…。


考えてみると、パソコンの学校で「デザインWEBコース」の勉強しながら、電気工事士第二種の試験勉強をしたり、消防設備士乙種の受験勉強をしたり、それでも旅行好きの虫が疼き、あちこちの観光地を歩き回ったり、話題の小説があれば読みたくてついつい耽読してしまう本好きは止み難く、旅をすれば短歌を詠み、映画館に行くだけでは飽き足らず、この監督あの俳優の作品をどうしても見たくて、レンタルショップでDVDを漁り、深夜まで観賞したりと、随分と忙しい一年でした。そのせいでこのブログもついアップロードが遅れたり、掲載回数が極端に少なくなりました。これもそれもご寛容下さい。


このブログも今年で三年目です。時間が許す限り、或いは、映画はもう飽きたと放棄しない限り、本年も継続させたいと思っています。私の目指すのは、文芸批評家の小林秀雄のような≪映画批評≫です。映像の蜜を吸う蝶のように、蜜蜂のように、映画から映画へ生の真髄を求めて、光の花びらを飛び回る映像の虫ー。或いは、鳥仏師のように、シャガールのように、或いはアフリカのマコンダ族の彫刻する木像のように、チベット僧の描く砂絵の曼荼羅のように、精神と心の原初のパルスから受容する、悠久の集団的無意識の文化の水脈に漂うイメージに、色彩と形象を与える批評とエッセイを書く。そんな≪映画批評≫を目標にしたいです。これはまた春から大きな風呂敷を広げてしまったものだ…。

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大変頭のいい学生時代の私のある友人は、推理小説や探偵小説が好きで、読み終わると必ずといっていいほど、犯人が逮捕されるまでこのハードボイルド小説は、人間が5人死んだよーとか、犯人は自分の犯行を誤魔化すためにさらに3人殺したよ、殺人が殺人を呼ぶんだねーとか、シャーロックホームズの様に彼独特の口調で理知的に架空の凶悪な「殺人」を分析したものです。


イギリスの探偵小説家ギルバート・ケイス・チェスタトンのレギュラー主人公ブラウン神父の怜悧な推理を教えてくれたのも彼でした。夏山にテントと寝袋とコッフェルをフレームザックに詰め込んで、キャラバンシューズを履いて、太陽の照りつける山道を歩き回り、頂上に登りめた時の爽快さと、登山をするときの思索癖と孤独感を教えてくれたのも彼でした。


その彼が、ある日突然学校に来なくなり、前触れもなく自殺したときには、驚いたというよりも、むしろ心底、私は友人に何か大事なことの先を越された、彼の理性がいまだ明かされていなかった心の澱があったことを意外に感じ、とんでもない裏切lをうけたーという気持ちが先にたち、なにやら憂いと悲哀がこみ上げてきました。


もしも「ノルウェイの森」の、僕(ワタナベ)と直子との卑猥な性描写を一部分切り取って、週刊誌の「アサヒ芸能」か、「週刊実話」か、「週刊大衆」か、「週刊プレイボーイ」などの連載小説のページに掲載されていたとするならば、「ノルウェイの森」のセックスシーンを多くの人は、男の性欲をそそり立たせるポルノ小説と言っても、決して疑わないでしょう。


「ノルウェイの森」の一側面は下品に言えばポルノ的要素があるのです。ただ、それだけで終っていれば、ノーベル文学賞の噂の高い村上春樹もただのポルノ小説家になってしまいます。或いは、ただ不感症に悩み、性の歓びと、男と女の性の快楽を楽しめないセックス経験の浅い性不全症の女子大生が悲観して自殺した通俗小説になってしまのですが…。がしかし、村上春樹文学は、それだけの小説ではないだろう。


「ノルウェイの森」の時代背景は、1969年の秋、「僕」が二十歳になった時、僕と直子の二人の偶然の再会と、二人の友人キズキを含めた高校二年生の時の青春のトラウマの回想から始ります。そうなんです、直子のセックス不全症も、ワタナベの直子に対する燃焼できない責任感のような「愛」も、共通した友人・キズキの自殺が原点なのでした。全てがここから始まり、小説のストーリもキズキの死を追いかけた直子の自殺で終ります。だがこれだけでは、若さゆえの青春の疾風怒濤と、性の通過儀礼に失敗した単なる青春小説だけで終ってしまいます。


「ノルウェイの森」が発表された1987年当時に、柴田翔というもう一人の作家が、時代の雰囲気をインクと紙に充分しみこませて、多くの青春小説を書いて人気がありました。1964年に『されど われらが日々―』が発表され、第51回芥川賞を受賞。その後、『贈る言葉』(1966年)、『鳥の影』(1971年)、『立ち盡す明日』(1971年)などが次々と発表されました。私も同時代の青春小説として昔、ほとんど読んでいます。だが、私は、村上春樹がゲーテから柴田翔まで脈々と続いている青春小説の巨匠だとは言いません。そうだとするならば、むしろ私は村上春樹の「ノルウェイの森」だけを以ってして、柴田翔の青春小説の亜流と言わなくてはならないでしょう。ても私はそこまで愚昧でも、言葉の奏でるメロディーを聴きとれない文学音痴でもありませんよ…。


何故こんなことを書くかといえば、映画「ノルウェイの森」のトラン・アン・ユン監は、むしろこの「青春」の「性」という側面、生と死のあいだを去来する青春時代の美しい「性」に映像を収斂してしまっているのではないかと疑念を持ったからです。


では、単行本だけでも初版で449万部を発行し、単行本・文庫本を含めて1000万部を越えたベストセラーの「ノルウェイの森」で村上春樹は、≪何を?≫文学テーマとしているのだろうか…。或いは、村上春樹の彼ゆえの独特の文学テーマは何なのだろうか…?


今晩は些か疲れた…、この続きはまた次に書くことにします。
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