拝啓、秋山準様。 | 公!!光留塾☆期間限定復活分校☆

拝啓、秋山準様。

拝啓、秋山準様。

初めて実際に秋山さんに会ったのは、日テレの特番で芸能人がアマレスに挑戦するという番組でした。

まだ総合格闘技の世界でしか生きていなかった自分が、芸能人の選手のセコンドでディファ有明に紛れ込みました。その時、元大相撲の大至さんの対戦相手が秋山さんでした。

大至さんのセコンドは鈴木さんで、なんとなく流れで僕もセコンドへ。当時、鈴木さんはノアのリングでエラい事ばかりしていたので、万が一乱闘にでもなったら全員やってやる…でもノアの選手が意外と強かったらどうしよう。そんな無駄にピリピリした空気の中、秋山さんは現れました。そして何事もなく大至さんをスッ転がし、帰って行きました。

初めて試合をしたのは埼玉でした。分裂騒動の直後にバーニングとして残った秋山さんと闘う日が来た。僕は大森さんと組んで、秋山&金丸組でした。試合後のコメントで僕について記者の人に聞かれた時、「まだわかんない」と言われたのを今でも覚えています。それはそれは悔しかった。あの秋山準に対して、視界に入れなかった自分の力のなさが悔しかった。秋山さんにとっては長い人生の山ほどしてきたプロレスの1試合を訳のわからない変態レスラーと行ったに過ぎなかったのが、何より悔しかった。

それからもタッグで当たる機会はありましたが、どうしても僕はシングルで対戦したかった。一昨年前の王道トーナメントで、同じブロックに秋山さんの名前があった時は小躍りして喜びました。自分に発破をかけるため、開幕戦のジュニアのタッグマッチで勝利した後、「秋山準指名」という掛け軸を用意してきました。結果は僕も秋山さんも一回戦負け。

ジュニアのタイトル戦でも連敗している僕には、なかなか秋山さんとの対戦をアピールする機会がありませんでした。そんな中、2月の後楽園で発表されたカードに「秋山準VS佐藤光留」がありました。

全く何も聞かされていなかった僕は「はて、どこの佐藤さんだろう」と思いました。その佐藤が自分だとわかるまで、少し時間がかかりました。

捨てる身あれば浮かぶ瀬もあり。長らく全日本の控え室で存在感を発揮し、微妙にマッチメーク担当の人へのロビー活動も続けてきた成果は、全く自分の意識していなかった場所で実を結びました。

どっからどう見ても、僕は正真正銘の変態フリー参戦ジュニア戦士です。秋山さんは全日本プロレスの社長。三冠も世界タッグも巻いてきた、日本を代表するヘビー級の一人。佐藤光留なんかとは立場が違います。

だからこそ僕は、佐藤光留は言いたい。秋山さんの知らない世界をブチ込みたい。最強タッグのシリーズ中にシュートボクシングのヘビー級トーナメントに出場するという前人未到かつ前代未聞のスケジュールをこなす事で生きているプロレスラーがいる事を。勢いでロシア人との金網での総合格闘技戦のオファーを受けて大流血してしまうプロレスラーがいる事を。そんな人間が、少なからず全日本の未来に対して希望を持っている事を。

佐藤光留は決して秋山さんの歩んできたプロレス人生には存在しなかった色の選手だと思う。が、今の全日本に対するベクトルは同じ方向だと思っているし、なんなら秋山さんより過激に「もっともっと全日本を」と思い込んでいる自信がある。それを伝えるには1対1で試合をするのが、最もわかりやすく、そして伝わる手段だと思う。

どうぞ佐藤光留の本気を受け止めてください。





た だ し 。




必ずしも佐藤光留は正面から行くとは限りません。また、勝つためならなんだってやります。今日の控え室で、若手が持ってきた水が温かったのはなぜでしょうか。差し入れの煎餅の原材料は本当にモチ米だけでしょうか。

闘いはすでに始まっている。覚悟しろよ秋山準。触れてはいけない部分に触れてやる。

じゃあまたね☆