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2016-04-22 02:18:31

燃えて岡山

テーマ:ブログ
岡山大会まで2日・そんな佐藤光留です。

プロ生活10年を過ぎ、なんとなく全日本に紛れ込んで数年。初の岡山凱旋を果たしたのが…もう何年前だったか。鈴木さんと組んで、対戦相手は真田&大和…だった…と…思う。

昨年は15周年という節目で凱旋させてもらった。パンクラスに入門し、所属のまま全日本プロレスで周年試合をする事になるとは子供の頃の佐藤君に言っても信じないだろう。

25年前。

まだテレビでしかプロレスの情報が入ってこなかった小学生時代に、僕の生活はプロレスの事だけで埋め尽くされていた。

土曜日の夕方に新日本プロレスを見ていた僕は、4年生の時に同じクラスになった松村君に教えてもらう形で、深夜の全日本プロレスの存在を知った。

いくら将来「変態レスラー」と呼ばれる人間だろうと、10歳の少年期に25時半開始のテレビを見るのは容易な事ではなかった。親が寝静まった後、眠い目をこすりながら徳大寺有恒さんの車番組と競馬ダイジェストという小学4年生には全く興味の持てない番組を乗り越えた日にだけ全日本プロレスは訪れた。

新日本プロレスとは違う、妙にリアルなプロレスが好きになった。試合後のインタビューすらなく、淡々とタフな試合が流れる。急に始まるプロレスニュース。番組を見終わった数時間後には登校時間がやってくるという過酷な環境で、僕と全日本プロレスの関係は続いていった。

そんなある日、とんでもないニュースが入ってくる。

岡山に全日本プロレスがやってくる際に宿泊しているホテルの支配人が、僕の保育園の1個上のお父さんらしい。たまたま母・知万理が「弘明がプロレスにハマっている」という話しをしたら、チケットがあるらしいのだ。

その報告を受けた僕の脳内では宇宙的な爆発が起こった。テレビで見ていたプロレスを生で見れるらしい。想像しただけで脳髄に甘いウイスキー状のアドレナリンが滝のように流れていくのがわかった。あまりの興奮でプロレス中継がない日も眠れなくて睡眠不足に陥った。

そしてやってきた1991年4月4日。母・知万理に連れられ、僕は松村君と一緒に初のプロレス生観戦に行くため、岡山武道館にやってきた。

運動公園には何度も来た事はあったが、岡山武道館に来るのは初めてだった。

多くのお客さんが来ていて、当たり前の話だが大人ばっかりだったのを覚えている。パンフレットを買ってもらい、アリーナの中に入った。中央にライトアップされた本物のプロレスのリングを見た時の興奮は、上級生の保健体育の教科書を見て子供の作り方を知った時以上の衝撃だった。

想像より大きな音のゴングが鳴り、いよいよ試合が始まった。第1試合は百田光雄VSリチャード・スリンガー。が、試合前にデビュー戦の2人が入り、タッグマッチになる事が発表された。初めて見に来たプロレスでデビュー戦が見れるなんて幸運だ。井上雅央と浅子覚。体の大きい井上選手が未来の三冠チャンピオンなんだな。

その後もテレビで出てきた選手、初めて見る選手が次々と登場した。アンドレ・ザ・ジャイアントの大きさに度肝を抜かれた。生で見る三沢選手のタイツはテレビで見るより緑が濃かった。最後は一番好きだった鶴田選手がジュニアの菊地毅選手をバックドロップで下して興行終了。僕も松村君も叫びすぎて声がガラガラだった。

その後、松村君に週刊ゴングと週刊プロレスの存在も教えてもらい熟読する生活になったもので、岡山で興行がある時には自分でチケットを購入して見に行った。ぎんざやプレイガイドにポスターが貼られているのを発見した時は、公衆電話で親の職場に電話して呼び出した。そのまま銀行でお年玉を引き降ろさせチケットを買わせるという迷惑なガキだった。本当にすみません。

新日本プロレスは県営体育館だったが、全日本プロレスは岡山武道館で興行をするのが常だった。まだ日本中の会場で「武道館」という名前の会場は、日本武道館と岡山武道館ぐらいだった上に、岡山武道館では信じられないぐらいの好カードが組まれる事が多かった。

チャンピオンカーニバル公式戦で三沢さんと川田さんのシングルを見た時は、打撃の衝撃が観客席まで伝わってきた。川田さんがハンセンに初勝利したのも岡山武道館だった。最強タッグでカンナムエキスプレスが田上&川田に9分で負けた時は自分の事のように落ち込んだ。数々の名勝負を見るたびに、自分も将来プロレスラーになって、岡山武道館に立つんだと思っていた。

高校を卒業してパンクラスに入った時、将来の事なんて全く考えていなかった。総合格闘技という言葉も一般的ではなかった時代にパンクラスに入った18歳の僕は、その日を乗り越えるのが精一杯だった。デビューした後も、プロレスを取り囲む環境の変化に全く抵抗が出来ず流されていく。勝てなかったプロレスラーには、影響力も皆無だった。ただただ誰も知らない個人HPで不満を撒き散らし、小さな世界で自分の名前を叫んでいるだけだった。

岡山にも帰らなくなった。まだ親も元気だった(今でも元気だが)し、関東での暮らしにも慣れてきた。プロレスばっかり見ていた僕には同級生との交流も少なく、地元と疎遠になっていても仕方のない事だと思っていた。岡山で国体があった時、県営体育館が取り壊され新しいアリーナが出来たのを耳にした時には、子供の頃にプロレスを見た会場の一つが無くなっても、何も感じなくなっていた自分がいた。

一度、総合格闘技の試合で岡山に帰った時があった。人生で最初で最後の凱旋試合なんだろうと思っていたが、特に何も見せ場がないまま1分で負けた。それでも故郷に対して何も思い入れがなくなっていた。が、全日本プロレスに潜り込み、岡山で凱旋試合をした時の光景は、今までと少し違うものだった。

入場コールの時「岡山県岡山市出身」と付け加えられた僕を、やたらとみんな応援してくれるのだ。他の会場では「佐藤光留って誰?」という反応だったが、岡山では違った。「名前も初めて見るけど岡山出身らしいから応援しよう」という感じだった。試合後に売店にいると、初めて会うファンの人がたくさん来てくれた。みんな「岡山出身なんじゃろ?応援するけぇ!」と言ってくれた。自身の15周年を岡山で行った時は、たくさんの人が祝ってくれただけでなく、同級生や岡山で同時期にプロレスを見ていた人達が集まってくれた。

佐藤光留というレスラー以外にも、岡山出身の選手はいる。が、自分が子供の頃に見ていたような環境でリングに立っている選手は少ないかもしれない。一晩で時代をひっくり返す強大な力はないが、佐藤光留独特の諦めの悪さで続けてきたキャリアがある。なんやかんや言うて今でも全日本プロレスのリングに立っているのは無力では出来ない事だ。

気持ちに火が着きそうになった時、当時全日本のリングに上がっていた潮崎豪選手がリングで「武道館を目指す」と叫んだ事があった。その時である。佐藤光留の中の面倒臭い負けん気回路がショート寸前になり、想いが口に出る。

「岡山武道館で試合がしたい」

夢を見る事は小学生の自分でも出来た。運と往生際の悪さで、今も夢だったプロレスラーとして生きている。

そんな今の生活が永遠に続く保証なんてどこにもない。それはプロレスに限らずだ。実現に向けて動き出さない限り、夢は夢でしかない。どんなに他人が導いてくれたとしても、自分が寝てる間は何も実現しなかった。逆を言えば、動き出せば夢が夢以上のモノになるという事だ。

動ける時間は永遠じゃない。生きてるうちに動かなければ、動けなくなった時に後悔しても遅い。漫画のヒーロー、ドラマの主人公が散々言っていたセリフだが、自分で実感してみるまではわからない。人生とはそういうもんなんだと思う。

自分では、自分の身体一つでプロレスをしていく事が精一杯なんだと思い込んでいた。実際そうだと思う。でも自分がもっと上でプロレスをすれば、岡山武道館でもう一度プロレスが出来るかもしれない。

誰かの目でなく、自分の目で岡山武道館の中に立つリングから見える光景を見てみたい。誰かの人生を変えたいなんて思わない。でも、自分の人生で「岡山武道館で見たプロレス」が大きな影響を与えてくれた事を、プロレスラーとして無視出来ない。岡山出身のプロレスラーとして。

もし岡山武道館にもう一度全日本プロレスが帰ってきたら。何が起こるかなんて想像つかない。けど、きっと多くの人が集まるだろう。それを想像しただけで僕はやる気になってくる。

今回の岡山大会は、チャンピオンカーニバル決勝大会前夜に開催される。昔と同じ、重要な大会だ。

何のチャンピオンでもない僕はカーニバルには参加できなかった。

そんな中、同じエボリューションのジョー・ドーリングに脳腫瘍が見つかって欠場。カード変更を余儀なくされた。「誰と試合がしたいか」と聞かれた僕は「その日に空いてる一番強い人と試合がしたい」と言った。まぁまぁの相手と闘いサラリと勝って凱旋試合を飾ることは容易だと思うが、僕は現役のプロレスラーだ。頼まれてもないのに生々しい現実を突きつける、岡山出身のプロレスラーだ。何の因果か、現三冠王者の宮原健斗選手と対戦する事となった。

チャンピオンには公式戦のない日にまで面倒臭いシングル戦を受けてくれた事を感謝したい。思いっきり蹴飛ばしたいと思う。「今風」を掲げるチャンピオンと僕とでは想い描く未来の景色に若干の違いは有ると思う。同じ夢を見るように強制はしない。夢は勝ち取るものだから。その点において、佐藤光留と宮原健斗に差は無いと信じている。

岡山武道館でプロレスしたって、今の世の中に大きな変化はないだろう。多様性を認めず、多くの人間が苦労なく飲み込めて消化できる価値観しか認められない時代だからだ。

でも僕は闘いたい。決して全国的でなくても、岡山に産まれ岡山に育ったプロレスラーとして。岡山武道館を目指したい。

Road to 岡山武道館。

そのために必要なものは何か。勝利?ベルト?井上雅央?松村君?

やってみるまで、わからねぇ。

2016年4月23日。全日本プロレス・岡山大会まであと1日。

じゃあまたね☆
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2016-04-09 01:39:55

限界ですか?

テーマ:ブログ
4月10日にPsLAB世田谷でセミナーを開く事になりました佐藤光留です。

普通、格闘技のセミナーってのは、海外から来日したチャンピオンとか人前に出る機会が少ない選手がやるものです。毎週のように試合をしているド腐れ下水道プロレスラー佐藤光留が、有料のセミナーで、いったい何を教えれば良いのか。大いに考えました。

話しは10年以上前に遡ります。

まだ駆け出しのパンクラシストだった佐藤君。年間で5試合をこなしておりましたが、まぁ戦績はパッとしませんでした。やがて収入も無くなりバイトをする事になりました。パンクラスのアマチュアクラスのインストラクターを担当させてもらえたのは幸運だったと思います。

朝から晩まで格闘技と携わっている生活でしたが、やがてプロレスの世界へも進出していく事になります。

その時、鈴木さんから「プロレスラーだったらコレぐらい毎日やって当たり前」というメニューを出されました。今から考えてみれば、鈴木さんにプロレスラーの練習について具体的なモノをもらったのはコレだけでした。

スクワットは500回。腕立て伏せを300回。毎日やる事。

体力的にはそんなに大変ではありませんでしたが、とにかく1人でやるのが大変でした。誰も一緒にやってくれなかったので、黙々とやらなければならなかった。何かテンションをあげる方法はないものか。

そこで思いついたのが、インストラクターをしているアマチュアの時間に、会員さんと一緒にやるという方法でした。

格闘技の道場とはいえ、アマチュア会員さんは一般人です。スクワット500回。腕立て伏せ300回はさすがに多いかな…とは思いましたが、とりあえずやってみる事にしました。

最初はビックリされました。が、口八丁手八丁で会員さんを参加させ、毎週やっていたところ、どんどん参加する人が増えてきました。20代より、30代や40代、中には50代という年齢の方も参加されていました。毎週、倒れそうになるまでやっても、必ず次の週もやってくる。「やりきった時の充実感がたまらないんです」と言われました。

よく「プロレス式のスクワットは膝を壊す」と言われますが、それは千回を超える回数を毎日繰り返した時の話しです。自重のスクワット自体に大きな問題はありません。

「合理的なトレーニングがしたい」と言われたので、このプロレス式トレーニングを勧めました。重いウエイトも持たなくていい。特別な用具もいらない。何より短い時間で精神的な根性と肉体的な粘り強さが手に入ります。どんなにトレーニング理論が進化しても、楽チンな運動で根性が手に入る事はないでしょう。

今回のセミナーでは、関節技やレスリング技術も教えます。が、せっかく佐藤光留と一緒に運動するんです。腐ってもプロレスラーと一緒にスクワットなんて秀樹感激ですね(さすがに今回は500回もやりませんが)。

参加を躊躇している人の中には「普段、運動していないから」「次の日、予定があるから」「出来ないと恥ずかしいから」等など、様々な理由があると思います。

が、インストラクター業を何年もやっていた佐藤光留は断言します。しんどそうなトレーニングを前もって理由を付けて避けると、超高確率で次の機会もやりません。「今回は」ではないんです。「今回も」になるのです。今回やらなければ、次回もきっとやりません。誰でもなんです。僕も自分の不得意な分野ではそうです。

結局、変わるには「今」やるしかないのです。

「しんどくないですか?」と聞かれます。しんどいです。練習なんですから。長い時間生きている人生に変化をもたらすには簡単な運動では無理です。でも休むなとは言いません。出来る範囲で一緒にやりましょう。

「運動経験が無いんですけど大丈夫ですか?」「最近、運動していないんですけど大丈夫ですか?」と聞かれます。運動してても大変なメニューですから安心してください。むしろ今回を逃せば、きっとこのまま運動不足が続いてしまいます。そっちの方が危険ではないでしょうか。

セミナーとは、楽して強くなるというような格闘技体系を金とって教えるところであってはならないと思います。「その人のレベルにあわせて」という考えは正しいと思います。だから無理強いはしません。が、最初から教える側が人のレベルを決めてしまうのは可能性を塞ぐ事にならないでしょうか。

足が動かなくなる事もあるでしょう。腕が震えて潰れてしまうかもしれません。でも、それは誰かのせいではなく、自分のせいです。普段の鍛え方が足りないのです。根性が無かったのです。それは恥ずかしい事です。その事実を隠す事は、もっと恥ずかしい事ではないでしょうか。

国からの補助も、ネットの中で作られる世論も、あなたを守ってくれません。メニューをこなせるのは自分の身体だけです。

ただ、コレだけは言っておきます。参加した人には、絶対に「参加して良かった」と言わせます。

定員まで、あと少しだそうです。予約はPsLAB世田谷(03-6413-7643)まで。

グヘヘ。スクワットすんのに腕が鳴るぜ。

じゃあまたね☆
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2016-03-31 01:22:16

明日のために

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それは3月27日。全日本プロレス・長岡大会の控室だった。

「佐藤さん、ちょっとジョーの事で話があるんですけど」。そう言われた僕に嫌な予感はしなかった。

ジョー・ドーリングとは同じエボリューションのチームメイトではあるが、スーパーヘビー級のジョーとジュニアの僕とでは、同列で何かをする事は少ない。控室では拙い英語で話し、ジョーのタブレットでモトリークルーやガンズ・アンド・ローゼスを聴くほどの仲ではあるものの、ジョーは諏訪魔さんと、僕は青木さんとタッグを組むのが全日本プロレスでの立ち位置だ。だから「ジョーの話し」と言われても、久々に日本に来たら行ってみたい店があるとか見たいエロ本があるとか、そんな類の楽しい話題だと思った。

が、話しを聞いた僕は、愕然として動けなかった。比喩表現ではなく、本当に息をするのも忘れるぐらい混乱していた。

ジョーに脳腫瘍が見つかった。悪性らしい。

4月から始まるチャンピオンカーニバルで膝の手術から復帰を果たすと思っていたのに、180度、反対方向の話しだった。僕は事実を自分の頭で整理して、再び混乱した。今なお、これを書きながら少し混乱している。ジョーはそれほど、病気からは縁遠い立場の人間だった(怪我はよくしてたけど)し、再会できるのを楽しみにさせてくれる人間だったからだ。

野村が加入したエボリューションから諏訪魔さんがアキレス腱断裂で休場を余儀なくされたのは今年の初め。理由は様々ながら、相次ぐ選手の退団は、チームとして全日本の最前線にいた我々にも影響があった。誰も退団していないユニットはエボリューションだけだったからこそ、まだ全日本のリングで評価を下される立場だったからだ。退団した人たちを「逃げた」とは言わない。が、少なくとも全日本のリングにいなくなった以上は、全日本のリングで評価される事はないのだから。

5人いるはずのエボリューションは3人しか動けないチームになっていた。ヘビー級は野村だけ。そんな中で迎えたジュニアリーグで、決勝が自分と青木さんだった事には今更ながら意味があったのだと思う。僕も青木さんも大きな声では言わなかったが、ジュニアのベルトへの欲と同列に、欠場中の諏訪魔さんとジョーへの思いがあったはずだ。結果的に僕が敗れたが、青木さんの腰にベルトを巻く作業は、佐藤光留なりのエボリューションというユニット内の人間同士で闘った事の証明だった。負けた人間が勝者の腰にベルトを巻くなんて、間柄に何もなかったら有り得ない行為だ。僕がジュニアのベルトを腰に巻いてあげれるのは、同じエボリューションの中で同階級の青木篤志だけだ。それだけ信頼と思い入れ、同じチームとしての潔さがある。

僕がどんな人間か知っている諏訪魔さんとジョーが写真を見れば、気持ちも伝わるだろう。その頃にはジョーが戦線復帰する話も聞いていたので、思いはますます強くなっていた。

そんな矢先だった。

青木さんから直接電話をもらい、ジュニア王者としてチャンピオン・カーニバルに出る事を聞いた。チャンピオン・カーニバルなのだから、ジュニアといえど王者が出るのは当然だと思う。ヘビー級しか出れないのであれば、それこそ三冠王者への挑戦者決定戦でしかないと思う。青木さんが出場するのは、同じ全日本プロレスのジュニアヘビー級の選手として誇らしくもあり、もちろん悔しさもある。全ては自分が弱いからダメなんだ。強ければ、チャンピオンになっていれば、自分が大事なチームメイトの代打だった。そう考えると、僕は堪らなく申し訳なかった。

でも、きっと何か佐藤光留にしか出来ない事があるはずだ。あまり細かいニュアンスの会話は出来ないけど、ジョーは僕が「佐藤光留にしか出来ない事」の上積みで全日本プロレスに居続けている事を理解してくれている。そのジョーに向けて、今の自分が出来る事を考えた。それはもう全日本プロレスに伝えてある。実現するかどうかは現段階ではわからない。が、一度は予選落ちしたジュニアリーグの決勝戦の場に立っていた事を含め、運命とタイミングはいつも佐藤光留の味方だ。

世の中に絶対はない。でも、ジョーは強い。やっと諏訪魔さんと対戦しなくていいと思ったら、だいたい代わりにジョーが反対側のコーナーにいた。だから知っている。ジョーは強い。彼のパワーと感性は、病気よりも強い。ジョー・ドーリングが突進すれば、誰も止める事が出来ない。それはきっと病気でも。ジョーを止める事なんか出来ない。

プロレスラーの端くれとして、ジョー・ドーリングというプロレスラーに、プロレスでメッセージを送りたい。1人でも多くの人に見届けてもらいたい。佐藤光留にしか出来ない事。

全ては明日のために。
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