日本のために朝まで闘え | 公!!光留塾☆期間限定復活分校☆

日本のために朝まで闘え

 佐藤光留DEATH!!刀礼!!

 そんなこんなで闘って参りました「武道 掣圏」。一応「第零大会」とあるので、旗揚げ戦…ではなかったのですが、佐山さんの武道思想や、日本という国への想いに共感し、記念すべき大会に参戦出来て良かったです。

 …と、ここまでが表向き。もはやインターネットっつー道具で、世界はおろか電波さえ届けば宇宙の最果てにおる何者かにまでも閲覧される「ブログ」とゆーモノで文章を書いている以上、表もクソもないとは思うのだが、佐藤君なりに思う事もあるわけですよ。

 佐山さんの考えを丸ごと鵜呑みにする事が大事なのではなく、その思想に触れた人間が何を考えるか。それが大事だと思うのですよ。

 佐藤君が、今日の大会に参戦して感じたのは、残念ながら「温度差」だった。もちろん得るものも多かったが、残念ながら「武道 掣圏」という思想、いや佐山さんの願いにも似たものを、発信した側とされた側の温度差には本当に驚かされた。

 今回の大会は、試合そのものが持つ重大さよりも、礼儀作法や動作に大切なものが多く含まれていると思うのです。ロープや金網の無い試合で押し合えば場外に押し出せるのが最善な場面は多くなるだろうし、それによって試合の興奮度というのは減るかもしれない。

 が、それは当然じゃなかろうか?ただ簡単に観衆を興奮度だけで満足させるならば、既存の総合ルールで充分。そうではないから新武道なんである。

 個をアピールしようとするなら、選手が同じ衣装である必要は無いし、礼儀作法を学び、試合前に刀に礼なんぞしなくて良い。今日の「武道 掣圏」では、個を守り過ぎた事により失われつつある「国」の思想やなんかを復活させるために全員が統一したのだと思う。個は放っておいても輝ける。でも国は、もっと広い意味でいえば集団というものは、統率というものがとれなければ輝けないのである。

 プロレスでいえば、大スターがいるだけでは団体は浮上しない。敵がいて、前座がいて、その前にはスタッフがいる訳である。そこに観客という集団も揃って、初めて団体という国が浮上するのではなかろうか。DDTの両国以来の団結力や勢いというのは、やっぱり個である選手だけでなく、スタッフや観客のみんなが同じベクトルを向いているからだと思う。

 興行である以上、お金を払って見に来てもらってる訳だ。だが、金さえ払えば何をやってもいいという訳ではないだろう。選手が「笑ったら負け、ガッツポーズ禁止」というルールにのっとって闘っているのに、同じ場所にいる人間が選手を見て笑っているのは、今日に限ってはどうかと思う。佐山さんは思想を見せ物にしているのではない。

 ネットやなんやで、見る側がリングに立つ側を簡単に見下す事の出来るようになった今という時代に、いつもじゃなくても良いから、たまには自分の生まれた国や、これからの日本について考えてみるのも大切なんじゃないかと思う。間違いなく、これから先の日本は、今、日本に住んでいる我々の行動によって行き先が決まるのである。プロレスだってそう。これから先、絶対に無くなってはならないプロレスという素晴らしい文化ではあるけれども、僕たちが何もしなければ、必ず無くなってしまう。今、プロレスがあるのは、間違いなく「今までプロレスに携わった人達の努力」のお陰なんである。

 僕が昔からネットの掲示板とかが大嫌いな理由が、自分は火の粉を避けれる場所から、人に対して平気で石をぶつけれる仕組みにある。人に意見するのなら、自らも表に出るべきだ。自分はリスクをおかさないのに、他人にはリスクになるような事をぶつける。それが卑怯じゃなくて、いったいなんなのであろう。卑怯な事を許しておけば、卑怯が許される未来しかこない。これは法律とか、何かの規則で規制するものでなく、個々が自分を律して、やめるべきものではないだろうか。

 これからもDDTの僕と掣圏での僕は同時進行していく。どちらも佐藤光留だから。言葉では言い表せないが、きっと両方が心にある生き方の方が良いと思えるのですよ。



 と、少々お固い話しになってしまったが、このブログを書いている途中で、凄い事に気付いたので、その事実をココに記して終わろう。

 本日の新武道「武道 掣圏」での試合が

佐藤光留、初の後楽園でのメイン

 でしたの。パンクラスはもちろん、プロレスでも初めて!!10年!!

 じゃあまたね☆