まずはこちらの動画を御覧ください。
そもそも、古事記、日本書紀ってのは、藤原氏主導で編纂されました。
当然、彼らにとって都合の良い書き方をされてるのです。
これ前提。
日本建国に至り、天武は蘇我氏の推し進めた仏教を引き継ぎます。
しかし、当時はまだまだ物部神道の影響はありました。もちろん現在も物部系の神社はたくさんあります。
藤原氏の政治が偉大なのは、仏教と神道のダブルスタンダード路線。
これを実現するには、藤原政権以前の、物部神道と、蘇我の仏教推進派が争って、分断されてるほうが都合が良かったのです。
これ、陰謀論よろしく『分断して統治せよ』です。
偽書とされる物部視点の古書「先代旧事本記」では、実は、それほど蘇我氏憎しと記されていない。
実際、今でも、仏教色の強い四天王寺の宮司さんは、物部の末裔です。
しかも、鳥居が、在る。
そして、こちらの動画もどうぞ。
です。
この説を支持します。
生駒山を御神体とした難波の街は、本当に、日出る処であったのです。
四天王寺に行こう。
全部、わかるから。