難波礼賛 | 空堀ホイホイ

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大阪アースダイバー/中沢 新一



大変素晴らしい内容でしたが、この本の著者、オウム事件の時、色々あったみたいですね。

それはさておき。

ほんとにいい内容でした。

大阪の上町台地の賛美歌のようなエッセイでした。

元々大阪は上町台地を軸に、東は生駒山を挟んで内海が広がり、西は瀬戸内海。北は千里丘から能勢の山並みを見渡し、南は遥か熊野を見据えます。

今の四天王寺は上町台地の根幹に位置し、経済、貿易、軍事、宗教、そして、天体観測所と時間を司る権力の象徴、日時計の役割もあったのでしょう。

厩戸皇子は、この難波に、完璧な浄土都市国家を築き、本当に此処が「日出る処」であると、世界に向けて発信、アピールしたのです。

そして、この難波の風土が、人の文化、風習、思想を育み、醸成してきました。

古代から現代に駈けて、驚くほど歴史のレイヤーの類似点が見られます。

例えば在日コリアンの街、鶴橋は、何千年も前から朝鮮半島との交流が盛んであり、明治維新後、悲しい史実もあったが、大阪人の土着的な気質は、それらをむき出しにしたまま、生き生きと日々の暮らしの中で、喧々諤々と営まれています。

それから、大阪ミナミ。

心斎橋から千日前、そして新世界は、海の底でしたが、そこに宿る生命力。

そして、死生観。

そして、大阪特有のお笑いの文化。

そして、性。



我々大阪人は、毎朝、生駒山からの太陽に照らされ、西海の果ての浄土に沈む太陽に黄昏れます。

そういった原始的な本能に呼びかける地勢を、上手に暮らしの中で、無意識に泳いでいるのかもしれません。



難波は、江戸よりも、京都よりも、奈良よりも古い、生え抜きの古代都市。


今でも残る、四天王寺の西側に石の鳥居が在ります。

仏教を推し進めた聖徳太子が、なんで神社の鳥居??



なんでなんでしょうね~~~


鳥居が在るということは、御神体は??


この続くはまた今度!!