金銀山美濃國分寺(大垣市) | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 平成27年12月20日


今回訪問したのは、大垣市青野町419にある「金銀山美濃國分寺」。

正式名は、「金銀山瑠璃光院国分寺」という。

本尊は、薬師如来。

「美濃國分寺跡」と大垣市歴史民俗資料館の北側にあり、

駐車場完備。


県道216号沿いに、とても分かり易い案内が立っている。
金銀山美濃國分寺1


県道216号線から見た感じ。

山の麓にある。

金銀山美濃國分寺3


「美濃國分寺跡」越し。
金銀山美濃國分寺4

「山門」付近。
金銀山美濃國分寺7


境内の南側には、薬師川が流れており、

「山門」前に「薬師橋」が架かっている。
金銀山美濃國分寺8 金銀山美濃國分寺9


「山門」前に建つ寺標「準別格本山美濃國分寺」。
金銀山美濃國分寺11


「山門」西に「鐘楼」と石碑「美濃國分寺」がある。

石碑には、「聖武天皇勅願所」「西美濃三十三霊場満願所」

「高野山真言宗」ともある。

この石碑は、以前は県道216号線近くにあったとか。
金銀山美濃國分寺13 金銀山美濃國分寺12


立派な「鐘楼」。
金銀山美濃國分寺14


境内の様子。
金銀山美濃國分寺24 金銀山美濃國分寺23
金銀山美濃國分寺25


「手水舎」。
金銀山美濃國分寺15


御縁起の解説板。
金銀山美濃國分寺16


  御 縁 起  金銀山美濃國分寺(解説板)

美濃國分寺は、今から凡そ、壱千二百有余年前

人皇四十五代聖武天皇様が、尊い御仏の

御教えを、日本全土に廣め、国民生活の安定と

国運の隆昌を祈るため、古の国々に一ヶ寺宛國分寺を

建立して、佛教伝道の先駆としようとの有難い御勅願

に依り、行基大僧正が勅を拝し、天平九年美濃國の

國府に近い青野ヶ原に来て、自ら一刀三礼欅の大木一本で

一丈六尺の薬師如来の尊像を彫刻して、本尊となし

七町四面の広大な境内に、七堂如藍を建立佛法興隆の

基盤、人心修養の根本道場とせられたお寺であります。

        年 中 行 事
 一月一日~三日  新年大祈祷会

 二月節分       厄除け星祭り大祈祷会

 四月八日~十日  本尊開扉大法要

 七月土用丑     諸病封じきゅうり加持

 八月八日       先祖を祭る盆施餓鬼大法要

 十一月廿一日    新四国霊場並弘法大師報恩大法要

 毎月八日       本尊御命日護摩祈祷会



隣には、本尊の解説板。

金銀山美濃國分寺17


 国指定重要文化財

    木造薬師如来坐像(解説板)

 この仏像は、欅の巨材から3mを上回る像身を彫り

出した一木彫の技法で、美濃国分寺の本尊として行基

自ら造像したものと伝えられる。

 後頭部や体背面材、両肩から手先、両膝部等は、江

戸時代後期に補修されているが、頭部の前面部は全て

当初からのもので、細かく切りつけた螺髪の刻み方や

温和な目鼻立ち、腹前の穏やかな衣文の刻み、控え目な

肉取りなど平安時代藤原期の作風を顕著に示している。

                       大垣市教育委員会


「本堂」の西側には、他の施設がある。

朱の「鳥居」の奥には、神社が鎮座している。

階段が急なので、少々危険。
金銀山美濃國分寺21

「大師堂」。
金銀山美濃國分寺18


「大師堂」の南側にある「南部観音堂」と「納骨堂」の一体型建物。
金銀山美濃國分寺19

「大師堂」と「南部観音堂」の間を進むと裏山に抜ける階段がある。
ここの裏山は、「新四国八十八ヶ所霊場」となっており、

其々の寺の本尊等が祀られたお堂がある。

但し、諸般の事情により一部欠けており、八十八ヶ所は無い。
金銀山美濃國分寺22

国分寺だけあって、参詣者は途切れない。