武芸川紀行 八 「春日局御屋敷跡」 | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 平成26年 4月 6日


「祥雲山法泉寺」の案内板にあった地図を頼りに歩く。

「本堂」から2~3分で何やら見えてきた。
猪之洞神明社1 猪之洞神明社2

↓「春日局 ゆかりの井戸」
猪之洞神明社12


↓「史跡 春日局お屋敷跡」。
猪之洞神明社4 猪之洞神明社3


史跡 春日局お屋敷跡(解説板)

                  このあたり一帯

関ヶ原合戦の時、春日局の夫、稲葉正成は豊臣秀吉の直臣となり文禄の役(一五九二)のあと小早川秀秋の家臣となった正成は政治的、軍事的手腕は相当なものだったらしく、小早川家では五万石を受け関ヶ原合戦では秀秋の東軍の寝返りに力があったといわれるが政道についてたびたび秀秋に諫言したが聞きいれなかったため、慶長六年、夫正成は春日局と子供を連れて弟の、「改田孫六清常」の住む美濃国「谷口の里」に閑居した。

春日局とって遠祖父の斉藤利永の創建した汾陽寺と春日局の大祖母にあたる加納藩主 斉藤利国の妻、利貞尼(細姫)の開基とする法泉寺あり春日局にとってもゆかりの深い「谷口の里」でもあった。


「谷口の里」のこと

武芸の谷口には守護代 前斉藤氏が代々庇護した禅刹汾陽寺の所在地である。

さきに甲斐武田氏へ内通を織田信長にうたがわれた西美濃三人衆の一人安藤守就父子は天正八年この地に閑居していたとされる、さらにそれ以前に守護代斉藤利国の没後、その妻、一条関白兼良の娘「利貞尼」閑居して、庵を結んだのもこの地で、その「庵」が今の法泉寺である。

美濃平野の多くの武将どもは、この「谷口の里」と云う地を法界であり地形上絶好の隠棲の地であると意識していたものらしい。

     春日局「谷口の里」奉賛会
春日局守護神・開田家氏神様

猪之洞神明社


↓この辺りが屋敷跡だろうか。

基礎の様なデコボコがある。
猪之洞神明社5


↓「村社 猪之洞神明社」。
猪之洞神明社6

この神社には、狛犬がいない。

その代わりの様に「石灯籠」がある。
猪之洞神明社7

↓「拝殿」。
猪之洞神明社8

↓「拝殿」奥にある「本殿」。

「拝殿」の瓦は「三つ巴」なのに、「本殿」には「二つ巴」。
猪之洞神明社9 猪之洞神明社10

この武芸川の地には、紹介されてやって来た訳だが、

予想以上に心躍る史跡・寺社ばかりだった。

紹介してくれた方に感謝。


以上、武芸川紀行でした。(笑)