昨日の天皇杯決勝戦。
川崎フロンターレは、またもやタイトルに手が届きませんでした。
鹿島2-1川崎
鹿島アントラーズの優勝、おめでとうございます。
そして、遠くから参戦された両チームのサポーターの皆さん、お疲れ様でした。
ツイッターで拝見しましたが、フロンターレのコレオは見事でした。
正直に申しますが…
かなりショックです。
試合終了後、テレビ観戦だけにもかかわらず、疲れて3時間ぐらい寝入ってしまいました。
ど根性ガエルに登場する町田先生が、いつも「教師生活25年…」と言っていました…。
その半分ちょっとの年数でしょうか?
我が家が川崎フロンターレのサポーターと自称し始めて15年程度…。
一番初タイトルに手が届きそうだった試合だったように思います。
タイトルを単に獲るんじゃなくて、鹿島に勝ってタイトルを獲る…。
ここに大きな意味があるんだと思っていました。
ですが、今回も目の前に立ちはだかった「鹿島の壁」。
鹿島の守備は固かったですが、全体的にはある程度主導権を握ることのできた試合だったように思います。
だからこそ、悔しい…。
憲剛や小林悠にタイトルを獲らせてあげたかった。
今シーズンでチームを去る大久保選手や風間監督の花道を飾ってあげたかった。
昨日の我が家…長くなりますが、語らせて下さい。
試合開始前…
コンコン(←愚息の部屋のドアをノック)、コンコン(←娘の部屋のドアをノック)…
「始まるぞ!天皇杯決勝戦が…。川崎市民なんだから、この戦いを目に焼き付けておこう」と家族をリビングへ集合させました。
ここ川崎に住んで15年。
21歳の愚息は、昨日の決戦の地・吹田のお隣の豊中市の生まれですが、もっとも長く住んだのはこの川崎です。
川崎が地元と思っているでしょう。
小学生の頃には、川崎フロンターレのスクール(川崎球場)にも通いましたしね…。
こんなエピソードがあります…
愚息が自転車で川崎市のお隣の横浜市鶴見区に行ったとき、ボロの自転車が壊れてしまい、「鶴見区にいるんなら近くの自転車屋さんで新しい自転車を買って、いまの自転車を引き取ってもらいなさい」と言っても、それにしたがいませんでした。
なぜならば、自転車防犯登録のステッカーが川崎市のものでありたかったから。
鶴見区のステッカーは、馴染みがないので避けたいという理由です(鶴見区の皆さん、ごめんなさい)。
結局、ラゾーナ川崎で自転車を買い、川崎市の自転車防犯登録としました。
娘は、生粋の川崎っ子です。
川崎病院で産まれました。
生まれて半年ぐらいから、等々力に連れて行きました。
訳も分からないうちから、女の子なのに青いTシャツを着せて育てました。
一緒にお風呂に入っても、歌ったのは「海」や「象さん」ではなく、我那覇選手や、次期監督の鬼木選手(手拍子に合わせたチャントを学ばせました)、小林康剛選手(ゴダイゴのビューティフルネームも覚えさせました)や、ジュニーニョ、アウグストのチャントです。
くだらないかもしれませんが、我が家なりに、これらの「川崎愛」を貫いてきました。
今シーズンは、一戦も参戦していないので偉そうなことは言えないですが…。
そんな、おらが町川崎市の誇り・川崎フロンターレがタイトルをまた逸してしまったことのショック。
今回こそはと、家族でテレビの前で応援しましたが…。
本当にがっかりです。
選手も監督も本当に頑張ったと思います。
だからこそ、タイトルを獲ってほしかったし、獲らせてあげたかった…。
だからこそ、がっかりなんです。
いま、どうのこうの言っても仕方がないですけれどもね。
選手の皆さんにはゆっくりと休んでほしいです。
2ヵ月も経たないうちに、アジアチャンピオンリーグ(ACL)が始まります。
とにかく、リフレッシュをしてほしいと思います。
本当に、今シーズン、お疲れ様でした。
約一ヵ月前、航空機事故で亡くなった元川崎フロンターレの選手であったアルトゥール マイア選手に、初タイトルを捧げることができなかったことが残念です。
追記:
気持ちを切り替えて、今日はもう一つブログを書いています。
良かったら、お読みください。
こちらから( 「3」 )。