男も女も、若いという事は人生における最強・最大の武器だと言える。
しかし、残念ながらそれに気づくのは往々にして「若くなくなってから」だ。
今年51歳になる私がそれを実感しているのだから間違いは無い。
若いときは、その「若さ」という武器の強さをわかっていないので、貴重な時間を無駄に過ごしてしまいがちだ。
若いということの強みは沢山あるが、中でも「馬鹿になれるちから」=「馬鹿力」は若さの最大の魅力だと言える。
年齢を重ね経験値が増えていくと、物事に対して慎重にならざるを得ない。
「馬鹿力」とは、後先を考えずに突っ走れるエネルギーだ。
明日の世の中すらどうなるかわからない混沌とした時代のなかで、経験値に依存した予測や判断は役に立たなくなってきている。
経験に邪魔されていない、純粋で自由な思考から生まれる無限の想像力がこれからの時代には必要とされる。
この世の中には、過去に起こったことが繰り返し起こるような事象もあるし、統計的に予想が可能なことも多いが、それは若い人でも調べれば手に入る情報なので、経験値ではない。
例えば、私のような年齢(50歳)の人間が、成功の確率が統計的に明らかに低い1%も無いと思われる案件やプロジェクトに今から手をかけることはほぼあり得ない。
20歳くらいのひとであれば、現在できるできないの観点で、ポテンシャルがゼロだとしても、その可能性は無限大だ。
なんでも、やってみるまではゼロかもしくはマイナスだ。
若い人には、何の保証もない自分の無限の可能性を信じて行動どうできる馬鹿力と、それを実行する十分な時間がある。
学校教育や、受験、就職などの既成プロセスに埋もれて本当の馬鹿力を発揮できないひとが多いというのはとても残念なことだ。
君たちが、今、本当に、心の底から、やりたいこと、望むこと、欲しいもの、必要なもの、・・・は残念ながら私や君たちの親世代が提供してくれるものでは無い。
そして、君たちの目の前に立ちはだかっている既存の制度やシステムは、君たちの為に存在しているのではなく、君たちを食い物にして、親世代を養うためのものだという現実も理解する必要がある。
つまり、自分たちの未来の為に純粋に行動することは、自分たちの親の食い扶持を奪う行為となりかねない。
既存の制度やシステムをぶっ壊し、自分たちに都合のよいよう作り替えることは、にいわゆる下克上。親殺し。と言える。
相当な馬鹿力「ばかりょく」がなければ、なし得ることではない。