別海マラソン完走記そして...... | RUN FOR YOUR LIFE ~ きよしのブログ

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25歳から走り始めるが、真剣に取り組んだりサボったりを繰り返して来た凡速ランナー。
年齢の壁を破って〈フルでサブスリー〉を達成することはできるのか?
たまには家族のことや、ロックネタ、映画や本のことなどもお気楽に書いていきます。

第33回別海パイロットマラソンを走った結果、
サブスリーは達成できなかったのですが、
来年はきっとできる、絶対に3時間を切るぞ、
という強い気持ちが湧いてきました。
今年のレースを振り返ってみます。

〈春からの練習とレース〉
春からの練習もその後のレース出場もすべては別海マラソンにつなげて考えていました。
洞爺湖マラソンと千歳マラソンはサロマ湖100kmのための走りこみの一環でしたが、
サロマ出場もその練習も北海道マラソンや別海のための走りこみと考えていましたし、
士別ハーフや夕涼みハーフはサロマまでのウルトラ仕様の脚を
マラソン向きに変えていくためのスピード練習を行う過程でのチェックレースでしたし、
北海道マラソンは完全に別海のための走りこみです。
そして函館ハーフは別海直前のペースチェックレースでした。
すべては別海につながる練習の一環であり調整レースでした。
ですから、どれも全力を出していなかったというとんでもない事態だったのです。
全力を出すのは別海1本だけ。そういうことにしました。

〈1ヶ月前からの仕上げ練習〉
8月末の北海道マラソンまで、スピード練習も長い距離の走りこみも含めて、
マラソントレーニングは充分出来ていましたから、9月は仕上げをするだけです。
(つまり道マラのときは仕上がっていなかったということです)
道マラ後3日間ジョグ。ミドルペース走とゆっくり目の30kmロング走を挟んで、
6日から12日までの1週間で怒涛のポイント練習5回。
これでスタミナとスピードの融合を試みました。
6日~2km×5本、
7日~14kmレースペース走、
8日~峠ラン26km
2日間ジョグをはさんで、
11日~5km×2本、
12日~30kmロング走
きつかったけれど、これは自信になりました。
これ以降は連続ポイント練習などという無理はせず、
1週間でペース走、5km×2本、30km走といった内容で、追い込み度は低くしていきました。
今年初めての試みは1週間前の25日に函館ハーフマラソンに出場したことです。
定石ではフルマラソンの2週間前にハーフマラソンを、
1週間前には10キロレースを、ということでしょうが
今回はあえて1週間前にハーフマラソン出場とし、
ただしハーフとしての全力を出さず、フルマラソンのレースペースで15km走り、
ラスト6kmで余裕があれば少しペースアップするという走り方を考えました。
全くその通りにはいきませんでしたが、
余裕を持って88分台で走りきることが出来たので多少の自信にはなりました。
ただ、それでダメージが残らないか?不安も残しました。
それで最後の1週間は、月曜と木曜は完全休養、
水曜に10kmペース走、
金曜に2km刺激(レースペースより速い)、
後は短いジョグでつなぐという程度で、
練習を質・量ともにがっちり落として疲労ヌキに徹しました。
こうして10月2日のレースを迎えたわけです。

〈食事について〉
フルマラソン1週間前からのカーボローディングは、
僕はこの3年ほどは厳密には行っていません。
走るための効率的なエネルギーとしてのグリコーゲンは、
人の身体には貯蔵するのに限界があり、
普通の場合30km走ったあたりで枯渇してエネルギー切れになると言われています。
しかし、レースの1週間前から3日間炭水化物の摂取を減らして、
直前としては比較的長めで強めの練習を行うことで一旦枯渇させてから、
レース直前の3日間で炭水化物の摂取を増やし、
練習も極端に減らすことで平常より多量のグリコーゲンを蓄えることが出来る、
という理論(仮説)があります。
でも、こうしたカーボローディングは
最初の3日間炭水化物の変わりにたんぱく質や脂肪の摂取を増やすことになり、
消化器系や代謝系に(早い話が胃腸や肝臓・すい臓など)負担をかけ下痢になったり、
後半の3日間の炭水化物充填期間では思ったよりグリコーゲン量が増やせない、
など、プラスの効果よりもマイナス面が大きいという報告もあります。
それで、僕は前半の3日間はカットし後半3日間だけ行います。
直前の3日間、炭水化物の摂取を増やし、たんぱく質や脂質は少し減らします。
このやり方でもグリコーゲン量の増加は、
厳密なやり方と大差ないという実験結果もあるのです。
そもそも、長い間マラソンの練習を続けてきて、
ロング走の練習などもかなりこなしているランナーの場合、
すでに普段からグリコーゲンの貯蔵量は多くなっており、
カーボローディングなどは不要という説もあるのです。
まあ、あまり気にすることは無いようですね。
今回の別海前も僕は後半3日間だけのカーボでしたよ。
次に直前の食事ですが、
マラソン前夜にたくさん食べてカーボパーティーなどという人も多いかと思いますが、
前夜に食べたものはレースのときのエネルギーにならないと言われています。
少なくとも食べ過ぎた分は、身体が余剰分として脂肪として蓄えようとしますから、
効率の悪いエネルギーになるわけですし、
マラソンを走るには大変都合の悪いただの錘になるとも言えます。
当日の朝も同様です。朝たくさん食べても無駄というのが定説です。
少なくとも朝は甘いもの(単糖類)はダメです。
甘いものは(甘くないものとの比較で)カロリーは同じでも、
消化が早いので急激に血糖値が上昇しインシュリンをたくさん出させて、
スタート時点で低血糖状態ということになるかもしれません。
もしくはスタート直前に甘いものを食べると血糖値が高い状態で走ることになり、
走り始めの段階ではその血糖を使って走るというスイッチが入ります。
すると始めは効率が大変良いので速いペースで走れますが、
血糖が低くなると今度はグリコーゲンを分解してブドウ糖にしてエネルギーにします。
このとき、最初に糖分を使うスイッチが入っているので、
グリコーゲンに切り替えたときにも脂肪は使われにくいです。
ですから普通は有酸素運動である長距離ランニングのときに使われるはずの、
脂肪とグリコーゲンを混合させて燃やす回路が使われず、
主にグリコーゲンを使う回路のスイッチが入っているわけですから、
グリコーゲンは早くなくなります。
30キロよりずっと手前でエネルギー切れになる可能性が高くなります。
ですからマラソンの朝は甘くない多糖類、ご飯・うどん・もちなどが良いです。
単糖類に比べて消化分解に時間がかかりますからね。
ただ、今年僕は、あるランナーのレース直前の食事法が
これまた今年読んだマラソンに関する本の内容と同じで、
レースの結果も素晴らしいものが出ているので、
上に書いた定説と多少相容れない部分もあるのですが、
ひとつのチャレンジとして、今年の道マラと別海の2回のマラソンで
そのやり方を試してみました。
それは朝普通の量の食事をします。これは大体レースの3~4時間前です。
それから、スタート2~3時間前から始める食事がちょっと特殊なのです。
もちまたは握り飯をスタート30分前まで30分間隔で1個ずつ食べるのです。
今年の北海道マラソンでその方法を試したところ、
後半のエネルギー切れをほとんど感じなかったので、
別海でもやってみました。
まず、6時にうどんとおにぎり1個を食べました。
そして7時、7時半、8時、8時半に
しょうゆで味付けして海苔を巻いたもちを1個ずつ食べました。
でも、胸やけがして気持ち悪くなってきたのでここでストップ。
(本当は9時、9時半にも1個ずつの予定でしたが)
そして、スタート30分前にエネルギーゼリーを1本。
これでまた胸焼けがしました。食べすぎです。
この辺は少なめに修正したほうが良いのでしょう。(あのお方のようにはいきません。)
スタートしたら話は違ってきます。
レース中は甘い糖質がいいです。
吸収されるとすぐ血糖になってエネルギーになります。
以下、今回のレース中の補給食です。
14キロでアミノバイタル顆粒。
20キロでエネルギーゼリー。
28キロでアミノバイタル顆粒。
30キロでエネルギーバー。
以上を摂りました。
実は35キロでもう1個エネルギーバーのつもりだったのですが、
全くエネルギー切れの兆候が無かったので摂りませんでした。
上記の補給食は日本手ぬぐいを折ってはさんでお腹に巻きつけました。
日本手ぬぐいはウエストポーチよりも揺れず、すれて痛いということも無く、
違和感無く走れました。

〈第33回別海パイロットマラソンを振り返る〉
5時の気温が2.1度、6時で2.7度とこの時期としては非常に寒い朝でした。
でも快晴で、日が出ると気温は上昇、
スタートの10時には12.1度。11時13.3度。12時14.0度、13時14.3度。
と走りやすい気温でした。
ただ、その後曇ってきて気温が下がり、15時10.8度となったので、
4時間以上かかったランナーには後半寒かったかもしれません。
風は僕の走っていた時間帯では南風5mで大体は横風、後半やや追い風気味でしたが、
13時以降は南西の風または西南西の風となり、
後半強い追い風で、ラストの2キロからは強い向かい風になったようです。

以下、僕のラップです。
0:21:40 21:40
0:43:39 21:58
1:05:18 21:39
1:26:56 21:37
1:48:14 21:17
2:09:37 21:23
2:31:36 21:58
2:54:29 22:52
3:04:40 10:11
これがすべてです。全てを物語っています。
まず、食事のところで書きましたが、スタートの時点で胸焼け。
走り出しても気持ちが悪く、最初の1kmは予定ペースぴったりの4:15でしたが、
脚は楽だけれど、気持ち悪くてこのまま最後まで走れるのだろうか?と不安。
ウルチャレ以降モチベが下がって練習できていないと言っていたや~まさんも、
美唄で頑張リ過ぎて、その後走れていないから今日はダメと言っていたKENさんも、
今回僕と同様サブスリーを狙っているどうらのさんも、
み~んな、さっさと見えなくなり、
故障中だから今日はゆっくりと言っていたまぐちゃちゃさんも先に行っちゃった~。
でも、すぐ隣に去年の女子の優勝者(ナンバー2001番)がいたので、
このままこのペースで行こうと。
しかし、2キロあたりでペースが落ちているみたいなので前に出ました。
2回直角に曲がって、今度は西の方に向かうと、
斜め左前からの風になりペースが落ち気味。
1キロ4:15で5キロ21:15のペースを維持するか?
それとも自分の感覚でそこまでの2キロのペースの感覚で風に逆らわず、
多少タイムは落ちてもよし、後半追い風で取り返すか?
胸焼けで気持ち悪かったので、後者を選択しました。
それで、ハーフまでで予定より2分近く遅れとなりました。
で、2001番の女性ですが、10キロ手前で僕を抜かして行きましたが、
その後ハーフまでは20~30m先に見える所につけてはいました。
彼女もハーフ以降にペースアップするだろうから、それについて行きたいな、
と思っていたのですが。
23キロ手前で国道に出て追い風になった、さあ行くぞ、
と思ったときには、もう2001番は視界から消えていました。
もう、嘘みたいな凄いペースアップ!.....だったのでしょうね。
僕もそこからはどんどん抜いて行きました。抜く一方です。
やや右斜め後ろからの風と緩やかな下り坂を利用して、
軽く前傾して地面を押す感じで蹴らない力を使わない。
自分ではいい感じで走れていると思っていたけれど。
25キロのラップは21:17、思ったほど上がっていない!
20キロまで22分に近いラップで来ていたので、
後半は20:30くらいで行かなくちゃいけないのだけれど...。
ハーフを過ぎたくらいからやっと胸焼けも消えたし、
まだ脚は元気だしエネルギー切れも感じていないのだけれど、
どうも筋肉が硬くなったみたいで動きが小さくなっているかもしれない。
などと思っても後の祭り。
そこからはそのペースに嵌ってしまって上がらない。
でも、最後まで諦めない!と強い気持ちは切らさず、
どんどん抜いていきましたよ。皆ペース落ちてるんだなあ!
さすがにラスト7キロは少しペース落ちましたが、
ハーフ以降ほとんど抜かれず、
一人だけ35キロあたりで抜いた人が復活したようで38キロあたりで抜き返されました。
その人一人だけだったなあ。
後2キロを過ぎて、突然前方に同じ深川のランナーWさんを発見。
ほとんど歩くようなペースであがいていました。
彼は先日の深川市民駅伝で2.3kmを7分35秒という、
地元ランナーの中では最速タイムで走った人です。
実は彼の娘さんが僕の長男と同級生、そして奥さん同士も知り合いです。
でも、彼は僕より10歳以上年下ですけどね。
短い距離では僕など全く歯が立ちません。
長い距離でスタミナがつけばマラソンもいいタイムで走るだろうと思っていました。
今回はきっとサブスリーを狙っていたのでしょう。
しかし、今マラソンの「35キロ過ぎの壁」という洗礼を受けているのでしょう。
歯を食いしばって頑張っていました。
一声かけてパスさせてもらいました。
その後も競技場までの直線で一人、トラックに入ってからも2人抜いて、
ゴール!
3時間切れなかったけれど、4分40秒もオーバーしたけれど、
最後まで頑張りました。緩めることなく出し尽くしました。
それから2分ほど後ゴールしたのは、tonyさん。凄い!
3時間6分台でした。どこまで行くのか?還暦を過ぎて尚自己ベスト更新。
tonyさんがいるから、僕もまだ諦めないで行こうという気持ちになれます!
そして僕の3分ほど後に(だったかな?)ゴールにたどり着いたWさんを迎え、
先にゴールしていたや~まさん、KENさん、どうらのさんに挨拶。
当然3人とも余裕のサブスリー。
直後に中標津の"おやぢさん"もゴールに入って来ました。
彼は僕がブログを始めたころからの「師匠」です。
今年は故障であまり走れていなかったようですが、
確か3時間半くらいとレース前には書いていましたがね。
3時間8分台でゴールしていました。
やっぱり若さ、そして陸上を本格的にやっていた経験があるからでしょうか。
それから、チタンさんに誘われて、一緒の写真に納まって、
さあこれで帰ろう、と思って競技場から自分の車に向かう途中、
ゴールへ向かうこうめさん発見!
「こうめさんお帰り!」って声かけたら、「遅すぎる~」と嘆いていましたが、
少なくとも、ラストは元気な走り。同い年の元気な走りは嬉しかった。
やはり同い年のsibaさんにも、みっちいさんにも会えたし、
同じ街のランナーKさん、Iさんにも会えました。
皆頑張ってるなー、いいなーマラソンって。
いつもレース後には思うことですが。
最後は、よし次こそ絶対3時間切るぞ!そう思いながら帰途に着きました。


〈サブスリーへの思い、そして過去のフルマラソンレースを振り返る〉
30歳代のころ、サブスリーを目指して走った事は何度かありました。
結果はことごとく跳ね返されてきたわけですが。
1992年35歳の時出場した旭川マラソンで3:05:35というのがベストタイムでした。
その後サブスリーを諦め、走るモチベーションも低下し、
また、39歳のとき結婚し子供が生まれて多少は育児で時間が無く、
仕事にも異常なほどに打ち込んでいた時期でしたので、
30代後半から40代半ばまではほとんど走っていませんでした。
1年間の走行距離100km(サロマだけ)という年も何年かありました。
(つまり、走行距離ゼロでサロマを完走していたという恐ろしいこと)
恥ずかしくて、ランナーですなどと言える状態ではなかったです。
それが、40代後半になり、長男が小学生になったころから、
月間走行距離が150~200kmくらいになり、
少しずつサロマ以外のレースにも出るようになったんです。
47歳のときにはハーフが1:35、フルが3:20くらいで走れるようになりました。
すると、欲が出てきて、
サブスリーにまた挑戦してみよう、というような気になりました。
そこで次の年2005年(48歳です)から、別海マラソンに出場することにしました。
別海はそれ以前にも、完走すると鮭が1本もらえるということ、
10月始で涼しく走りやすい、
コースも割合平坦で前半ゆるい登り後半はゆるい下りで記録が出やすい、
などということを聞いていましたが、
遠いので(深川から350kmほどです)出場しようとは思わなかったのでした。
しかし、サブスリーを狙おうという気持ちになってくると、
遠いなどというのは記録が出やすいという魅力の前にはどうでも良くなって、
この年以降出場し、今年まで連続7回になっているのです。
で、初の別海は3時間16分48秒でした。
36歳以降ではベストの記録で走れました。
次の年2006年48歳の時には3時間10分40秒。
このときは始から終わりまでほぼ4:30/kmのペースを維持して走りきることが出来ました。
でも練習日誌によると、
この年はサロマ以降は北海道マラソンで42.195km走っただけで、
練習で30キロ以上走ったことがありませんでした。
ペース走やコントロールランニングを数回。
インターバルはやってない。後はほとんどジョグのみ。
こんな程度の練習で。3時間10分までいけた。
よし、来年こそはと思ったら.....。
2007年、2008年は何度もぎっくり腰で倒れ、
仕事も走りも休んだり、また無理して悪化して、の繰り返し。
洞爺湖も北海道も他のハーフのレースも満足には走れませんでした。
別海マラソンも2年とも3時間18分台。
これではいけないと、2008年の秋ころから時々整体に行くようになり、
また、練習内容も佐々木功さんの「ゆっくり走れば速くなる」と、
「eA式マラソントレーニング」を基本にしっかり計画を立てて走ることにしたのです。
そして、2009年2月からはブログを始め、frunに入会し、
夏ころからはJogNoteも始め、自分を走らざるを得ない状況に追い込みました。
(そんな大層なものではないでしょうけど?)
で、サブスリーを周りに宣言し練習するようになったと言うわけです。
ですから、今の「きよし」は2009年から生まれ変わったと言っても良いかな?
以降の別海のタイムを並べてみます。
2009年 3:08:00
2010年 3:06:57
2011年 3:04:40
と牛のようにわずかずつゆっくりですが、
サブスリーに向かって歩みを進めて来ました。
もう少し、もう少しですが、凄く遠いです...。
でも、狙えるところにいるとは言えるでしょう。
すべてのランナーの中でトップの3%に入るといわれるサブスリー。
来年はきっと!