国見の丘から見下ろす仙台の街は、いつもと方向が違うだけでひどく印象が違う。

静岡市本通の呉服商に生まれた芹沢銈介は、型絵染の人間国宝であった。
わたしが彼の作品に出合ったのは10年以上も前。
登呂遺跡のすぐそばに、芹沢銈介美術館があった。
そこで見た、文字を意匠にしたデザイン、染色の作品の数々は非常に印象的であった。

そして、移り住んだ仙台にも芹沢銈介ゆかりの美術館があると知って、
訪ねたいと思いながら10年以上。
ようやく重い腰を上げたというか。

芹沢銈介美術工芸館。
東北福祉大学の構内に設けられている。
静岡生まれの芹沢銈介は、仙台の街や鳴子温泉の風情をひどく愛したという。

今回の特別展は、NYでの展覧会の凱旋展覧会のような趣だったので、
いわゆる代表作と言われる種類のものがたくさん展示してあり、
あらためて芹沢銈介の魅力と、芹沢銈介の得意分野を楽しむことができた。

1945年に制作された46年のカレンダーは、明るくモダンで、
恐らく失意の日本をいくばくかでも明るくしたのではないか、
と目のさめるような色彩に思った。

とはいうものの、その色彩はあくまでも「和」のそれで、
それは芹沢銈介が呉服商のうちに生まれたことと切り離せないのではないかと思った。

縄のれんを布ののれんに描いた、いわゆるトロンプルイユ風ののれんのユーモアと、
それが「開く」ものであることに意味性を感じざるを得ない仕掛け。

着物はわたし自身がそう興味がないせいか、
その斬新さも、着物そのものをキャンバスとした面白みをも
感じ切れているとは自分ではとても思えないが、見ているとそのうちわかってくるのかな。

それよりも、本の装丁にひどく興味を抱いた。
武田泰淳の「十三妹」。
このカルト的な小説の話はなにかのムックで読んだことがあったけれども、
その装丁を芹沢銈介がやっていたとは。
川端康成の「雪国」。
岡本かの子。柳宗悦(当たり前だが)。白州正子。
装丁も合わせてひとつの作品である、とあらためて。
本はかつて箱に入っていたのだよな。

会場で流されていたVTRで、芹沢銈介の制作場面を紹介していた。
書から下絵をとっていく作業は、
その書の、文字のもつ精神性を削り出して行く作業にも似ていると思った。
木の切れ端に仏を彫り出す仏師のように。

実用から精神性を探りだそうとする性分が、
民芸品の収集への情熱に変わったのだろうか。

そのデザインは、俗だが低俗でなく、
俗だからこそ商業デザインたりえ(JALの鶴丸は芹沢銈介の作品である)、
俗を越えるがゆえに美として使い捨てられない命を持つのだろう。


文字の意味性。
そして、文字から生まれてくる線とそれに飾られる文様に、
世界への控えめな官能をわたしは見る。


作品集を買おうとして、文字を意匠とした作品についての対談集を買ってしまった。
やはり初心者だから解題がほしいと思って。

先日、手元にあった商品券などを換金してふところを温めたばかりだというのにこの始末。

まあしょうがないな。

うつくしさに触れなきゃ生きて行けない。
愛がなくっちゃ生きていけない。

そんなもんだ。